2-14 襲われ、襲い
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明かりを消して、私たち四人は並んで横になっていた。
私は浅い眠りの中で、例の如くイナの幻を追っていた。あまりにそれがリアルで、夢に集中していた。
誰かが目の前にいる、という感覚に目を開けると、まさに誰かがのしかかってくるところだった。叫ぶより前に、首を締めてくる相手の腕を掴んだ。
力くらべになるが、相手が体重をかけられるのに対し、こちらは潰される形だ。
呼吸ができないために、力が抜けそうになる。ここで殺される? 誰ともわからない相手に?
「やめろ」
冷ややかで涼しげな声と同時に、光が瞬いた気がした。私の首を締め上げていた手が緩む。呼吸が回復する。
目の前にいるのは、どこかで見たことのある少年で、王立騎士学校の新入生だ。
その少年の首筋に、短剣を突きつけているのはエマだった。この時にはさすがにミリカとユリアも目を覚ましている。声を上げようとする二人をシィッとエマが制する。
「ここからがお楽しみだよ、淑女の皆さん」
エマがそんなことを言ったかと思うと、首筋を刃物で押さえられた少年の首筋を、手刀で打った。一声も発さずに少年が倒れこむ。やれやれとばかりに首を振って、短剣を腰の鞘に戻し、エマが私の方を見る。
「大丈夫かい? こんな無作法な男に襲われるとは、眠り姫もびっくりだ」
「お陰様で、助かった。どこの誰?」
「明かりはまずい。他にもいるだろう」
妙な展開になってきたな、と思いながら、私は月明かりの中で相手をしっかりを確認した。エマも身を乗り出している。
「こいつはガナッシュ侯爵の無能な跡取りの取り巻きじゃないか」
そうエマが言ったので、やっと記憶が繋がった。
例の権力をかさにきているとしか言えない少年、ガンダ・ガナッシュは、取り巻きにだけは困っていないのだ。常に四人ほどがそばにいて、体術や剣術の訓練でも仲間内でやっている。それを周りは、お遊戯会、と密かに呼んでさえいる。
つまりここを襲ったのは、ガンダの指図ということになる。
「こいつが帰ってこないことで、何か気付くんじゃないの?」
気持ちよさそうに失神している少年を眺めて、ユリアが極めて普通なことを言った。というか、いつの間にか行軍訓練が、私闘の場になっている。
「どこかの天才が、親の七光りを叩きのめしたせいだ」
エマが歯に絹きせぬ意見を言うので、私としては申し訳なかったが、こうなってはエマも無関係じゃないし、ミリカもユリアもそうだ。
短い相談の後、適当なロープで少年を縛り上げ、轡まで噛ませてから、私たちは夜の闇の中へ這い出した。
結局、逃げ出すことに決めたわけだけど、テントを失うのは損でありながら得だった。
ここから先、本当の野宿になるのが損で、川を渡るときに荷物が少ないのは得になる。
月明かりを頼りに、私たちは河原へ進み、川に踏み込んでいった。音がするけど、仕方がない。
ゆっくりと足場を確認して、四人が渡りきった時、対岸で声が上がった。お遊戯会の面々が事態に気付いたらしい。
「さっさと逃げよう」エマが小声で囁く。「もしかしたら連中が間抜けで、川に流されてくれるかもしれない」
私たちは夜の空気に濡れた服が冷えていくのを感じながら、先へ急いだ。
斜面を上っていき、木々の間を進む。足を滑らせそうになることも再三だった。
しかし朝日が差し始めた時、四人揃って街道へたどり着いていた。
「野宿は三回で済みそうね」
ユリアが嬉しそうにそういうのに、ミリカが唾を飲んでいた。
足早に先へ進み、第五都市まであと一日というところで、また問題が起こった。
ガンダ率いる新入生たちが追いついてきたのだ。
しかし彼らも予想外だっただろう。私たちは街道のそばの脇道で休んでいたけど、地上にはいなかった。大きな木が二本あり、その上にいたのである。テントを捨てる時、それでもと確保していた布を枝の間に渡して、その布の上で眠っていた。
もしガンダたちが声をかけ合わなければ、私たちも彼らに気付かなかっただろうけど、結論から言えば、彼らの声で私たちは目を覚ました。
片方の木にはエマとユリア、片方には私とミリカがいる。
私は枝が軋まないように注意して、下を覗いた。どうやら十人ほどがいるようだと、やっとそこでわかった。
ちらっと隣の木を見ると、巧妙に枝の隙間からエマが手を出している。その指が複雑に動く。座学で習った手話だった。
エマは一気呵成に襲いかかろう、と主張している。
確かに今なら、不意を打つことはできるはずだ。私はそっと手話で返事をして、ガンダを狙う旨を提案した。エマは二つ返事で了解したが、お前がやれよ、とも伝えてきた。
自分のケツは自分で拭け、と下品なサインが続いて、危うく笑いそうになった。
私たちは呼吸を合わせて飛び降りた。
ガンダの取り巻きは全部で十二人いたが、あっという間に半分になった。そこはそれ、私たちもただの女の子じゃない。一流の使い手の卵であり、しかもこの時、私たちの方が不意を討っていた。
倒れこんだ仲間を置き去りに、六人が逃げ出し、私はその先頭を行こうとしたガンダの足を払って、素早く組み伏せた。自分たちの頭領が倒れても、他の生徒の逃亡は少しも遅滞がなかった。
ガンダが何かを喚こうとしたので、私はエマを見習って、見よう見まねで首を強打して、彼の意識を奪ってみた。
危ないことをするなよ、とエマが近づいてくる。
「失敗すると殺すような技だよ。訓練が必要だ」
「どうやって訓練したの?」
「それは秘密」
私たちはほとんど相談もせず、ガンダ以外の六人を縛り上げ、木から吊るしてやった。
問題はガンダをどうするかだけど、私の一撃が軽かったようで、彼はすでに目を覚ましていた。覚ましてはいても、木に縛り付けられている。
「こんなことをしてタダで済むわけがないぞ、お前たち!」
威勢のいいことに、そんなことを口走っているが、エマはもっと実際的だった。
「口が達者な間抜けには、少しは躾が必要だな」
エマがガンダの手を掴むと、その人差し指を握り込んだ。
「こういう趣向はどうかな、未来の侯爵くん」
あっさりとエマはガンダの人差し指を逆方向にへし折り、情けない絶叫が響き渡った。
「ちょっと、エマ、やりすぎよ」
さすがにユリアが止めるが、私は内心、止めるのが遅い、と笑いそうだった。ユリアも形だけの制止をしたようなものだ。
「これで懲りるだろうさ。それとももう一本、いっておくか?」
悪びれないエマに、恐怖しかない顔を見せるガンダも滑稽だ。
エマはユリアになだめられる形で、それ以上はガンダに手を出さなかったけど、私たちは彼と彼の仲間を解放したりはしなかった。すぐに仲間が戻ってくるだろうが、しばらくは辱めを受けてもらおう。
私たちはこの夜も日が昇る前に移動を開始して、翌日の夕方にはゴール地点として設定されていた第五都市の駐屯騎士団の屯所にたどり着いた。もちろん、一番乗りではない。
教官は私たちが荷物をほとんど放棄していることに気づき、しかし深く追及せずに「減点だ」と言っただけだった。
「お遊戯会の小道具を奪えばよかった」
エマがそう言って、私たち三人はくすくすと笑った。
そんなことが、王立騎士学校に入って二ヶ月目にあったことで、この経験はいくつかの展開の予兆ではあったけど、その時の私は信頼できる仲間である、エマ、ミリカ、ユリアがいることに、十分に満足していた。
やっと私は、認め合える仲間を得たのだった。それも対等で、同年輩の。
(続く)




