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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
影に咲く剣
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1-5 侮辱

     ◆


 左肩の傷が痛みを発しなくなる頃、親方からの依頼の仕事を一つ、引き受けた。

 第四都市の中心に近い場所にある高級料理店を襲撃するように、という内容だった。襲撃と言っても、当然、皆殺しではない。ただ、警護の人間に決闘を挑め、という程度だ。

 この手の店には腕に覚えのある用心棒は十人くらいはいるが、彼らが実際に剣を抜くことは滅多にない。そもそもが抑止力だし、十人の剣士と正面衝突する勢力は限られる。そしてそんな勢力が第四都市の料理店を狙う理由はない。

 服装こそ整えて、僕は店の前に立った。用心棒は見える範囲では二人。入り口の左右にいる。

 こういう時、剣を抜いて切りかかるのが一番、単純でやりやすいが、一度に二人は切れない。つまりそんなパターンだと犯罪として立件されかねない。決闘ではないからだ。

 左肩を切ったあの暗殺者に関しては、翌日には警察が僕を訪ねてきた。僕にはあの男の目的はわからないし、通行人だって、いきなり切りつけられたのが僕だと話しただろう。警察はわずかな事実確認だけして、去って行った。

 さて、今はどうするべきか。

 迷うというわけでもなく、足は止めずに料理店へ近づいたところで、中から一人の男が出てきた。

 僕よりも年上で、年齢は二十歳すぎだろう。体格はいい。背が高く、がっしりしている。

 そして腰には剣がある。

 視線がぶつかる。

「賞金首だな? 来ると思ったよ」

 じっとは見ていたが、いきなりそんなことを言われるのは想定外だ。

 僕は無言のまま足を止めて、ちょっとだけ考えた。

 親方が僕を売ったのだろうか。そんなことがあるとは思えない。では僕にこの大柄な男をぶつける腹づもり? この男は明らかに店の用心棒ではないとなると、本来の護衛対象から離れているのか。

 そう考えれば、僕は陽動ということになる。

 陽動でも、本命が向かってくるなら、それはそれで本望ではある。

 男が腰の剣をゆっくりと抜く。余裕があることだ。飛び込んで抜く前に切ってやろうか。そんなもったいないことをしたくはないけど、後悔させるという選択肢もある。

 結局、男が構えをとってから、こちらは剣を抜いた。特に構えもなく、間合いを詰めていく。

 大男はわずかに顔を強張らせたが、すぐに無表情へ。いい冷静さだ、それが剣士の条件。

 お互いの剣の間合い。

 踏み出し、すれ違う。剣が空気を切り裂き、渦を巻く。

 先ほどとは違い、今度は向かい合って、静止。

 呼吸が浅くなる。視野は限定されるのに、不思議と不安はない。

 切っ先を見るでもなく、体を見るでもなく、何もかもに焦点が合い、思考が加速する。

 切っ先のわずかな動きが、きっかけになる。

 どう踏み込み、どう剣が走るか、予測できる。

 こういうのをオカルトだと断定する人もいるけれど、それは剣を持ったことのない人間だろう。

 実際に剣を向け合うと、この程度のことは日常茶飯事。

 僕の剣が緩慢に走り、しかし最短距離で、男の剣を受け流す。

 火花が散り、消える。

 どちらかの剣が欠けて生まれる小さな破片が飛び散る気配。

 相手の剣が勢いを殺せずに、流れていく横で、僕の剣は完全にコントロールされ、吸い込まれるように男のわき腹を切り裂く。

 二人がすれ違い、最初と同じような立ち位置で、向かい合う。

 男の顔が汗ばみ、わずかに顔が歪む。右の脇腹から出血している。右足がすでに血で染まり、地面にも血のしずくが落ちた。

「見事」

 男が低い声で言うが、そんな言葉が聞きたいわけじゃない。

 勝負を挑んで、この程度なのか。実は本命じゃないんじゃないか。拍子抜けだ。もっと使うと思っていた。なにせ、最後にはこちらが手加減する余地さえあったのだ。

 そんなことを考えているうちに、料理店の方で悲鳴が聞こえ、続いて誰かが争う音がした。入り口に控えていた店の用心棒たちが中へ飛び込んでいく。

 大男はそちらを振り返ってから、もう一度、こちらに向き直った。

「これを生き恥というのだな」

 そう呟いた。確かに、生き恥、と言ったのだ。

「生きていることは」

 どうしてそんなことを言ったのか、僕自身がわからなかった。

「恥ではない」

 いつになく強い口調で、まるで断定している僕に、男はかすかに口元を緩ませた。

「強い者の言葉だな」

 強くはない、と言いたかった。しかし目の前の男よりは強い。それなのに、強くないなんて言うのは彼への侮辱だろう。

 それきり、何も言わずに男は自然と間合いを取り、剣を鞘に戻して店の中へ入っていった。右足が踏んだところに、血の足跡ができた。

 背中を向ける彼を切ることはできたし、それがそもそもの仕事だ。

 それもまた、侮辱。

 しばらく、僕はその場に立って、料理店の様子を見ていた。

 店に誰がいるにせよ、襲撃されているらしい立場で、表の玄関から飛び出してくるわけもない。店の中の騒動はまだ続いているが、外からはよくわからなかった。

 玄関から店の給仕らしい数人が飛び出し、どこかへ散っていった。逃げたのではなく、警察でも呼びに行ったんだと思う。僕にはあまり関係ない。

 さっきの男が本命じゃないなら、言ってみれば、隠れている真打が、いるとすれば見てみたい気持ちだった。

 しかしそれは叶わないまま、警察の部隊がやってきて、店の周囲を固め、十人ほどが突入していった。その時には野次馬が集まっていて、僕もその中に混ざっている。ただ、警察官が壁を作り、店の入り口からはさっきの立ち合いの時よりだいぶ離れてはいる。

 結局、動きがないまま時間だけが過ぎたので、僕は店の前を離れた。時刻はすでに深夜に近いが、親方に報告する必要のある情報もないが、事情は知っておくべきだろう。

 例の巨大な建物へ行くと、珍しく玄関の前に武装した二人が立っていた。酒に酔っているようでもない。顔見知りだったので、通してもらえた。しかしその時も、緊張した様子がはっきり見えた。

 一階のフロアには武装した男が二十人ほどいた。こちらも誰も笑ってもいなければ、ふざけてもいない。僕を見ても、少しも変わることなく、真面目な顔だ。いかにもな様子で、微笑ましい。そう思うとこちらが本当に笑いそうだった。

 最上階へ上がると、そこにも武装した男が二人いて、植物園のようなフロアに入っても、見たところでは五人が警備している。

 親方自身はいつもと同じ様子で、ソファに座ってテーブルの上に地図を広げていた。ちらっと見るところでは、第四都市の地図だ。

 僕に気づいて親方が顔を上げる。真面目な顔、真剣な顔だ。

「切ったか?」

 そう訊ねられて、答えに困ったけど表情は消しておく。

「一人と対峙して、重傷を負わせました。殺してはいません」

「どんな相手だ」

 僕は思いつく限りの情報を並べようと思ったが、大男で、若い、というのが重要なくらいで、残りは剣術の特徴や、ちょっとした印象程度しか話せない。名前すら名乗っていないのだ。

 僕が口を閉じると、親方は難しい顔になり、「一階にいろ」と言って身振りで僕を下がらせた。どうやらまだ仕事は終わらないらしい。

 一階へ降りても、やることはないし、他の連中は話ができるほど和んじゃいなかった。きっと僕が一番、緊張していないだろう。こうなると、彼らが何を気にしているかは、不思議になってくる。

 ただ、そんなことも訊けないほど、張り詰めてはいる。

 仕方なく、腰の剣を抜いて、刃の状態を見た。火花が散ったし、削れた感触もあった。

 抜き身の剣に光を当てたが、問題はなさそうだ。とりあえず今日のところは、だけど。

 鞘に剣を戻し、壁に体を預けたところで、玄関を開けて一人の男が入ってきた。そのまま階段の方へ勢いを殺さずに駆けて行き、大きな足音で階段を駆け上がっていくのがわかった。

 まだ夜は終わらないらしい。



(続く)

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