1-5 侮辱
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左肩の傷が痛みを発しなくなる頃、親方からの依頼の仕事を一つ、引き受けた。
第四都市の中心に近い場所にある高級料理店を襲撃するように、という内容だった。襲撃と言っても、当然、皆殺しではない。ただ、警護の人間に決闘を挑め、という程度だ。
この手の店には腕に覚えのある用心棒は十人くらいはいるが、彼らが実際に剣を抜くことは滅多にない。そもそもが抑止力だし、十人の剣士と正面衝突する勢力は限られる。そしてそんな勢力が第四都市の料理店を狙う理由はない。
服装こそ整えて、僕は店の前に立った。用心棒は見える範囲では二人。入り口の左右にいる。
こういう時、剣を抜いて切りかかるのが一番、単純でやりやすいが、一度に二人は切れない。つまりそんなパターンだと犯罪として立件されかねない。決闘ではないからだ。
左肩を切ったあの暗殺者に関しては、翌日には警察が僕を訪ねてきた。僕にはあの男の目的はわからないし、通行人だって、いきなり切りつけられたのが僕だと話しただろう。警察はわずかな事実確認だけして、去って行った。
さて、今はどうするべきか。
迷うというわけでもなく、足は止めずに料理店へ近づいたところで、中から一人の男が出てきた。
僕よりも年上で、年齢は二十歳すぎだろう。体格はいい。背が高く、がっしりしている。
そして腰には剣がある。
視線がぶつかる。
「賞金首だな? 来ると思ったよ」
じっとは見ていたが、いきなりそんなことを言われるのは想定外だ。
僕は無言のまま足を止めて、ちょっとだけ考えた。
親方が僕を売ったのだろうか。そんなことがあるとは思えない。では僕にこの大柄な男をぶつける腹づもり? この男は明らかに店の用心棒ではないとなると、本来の護衛対象から離れているのか。
そう考えれば、僕は陽動ということになる。
陽動でも、本命が向かってくるなら、それはそれで本望ではある。
男が腰の剣をゆっくりと抜く。余裕があることだ。飛び込んで抜く前に切ってやろうか。そんなもったいないことをしたくはないけど、後悔させるという選択肢もある。
結局、男が構えをとってから、こちらは剣を抜いた。特に構えもなく、間合いを詰めていく。
大男はわずかに顔を強張らせたが、すぐに無表情へ。いい冷静さだ、それが剣士の条件。
お互いの剣の間合い。
踏み出し、すれ違う。剣が空気を切り裂き、渦を巻く。
先ほどとは違い、今度は向かい合って、静止。
呼吸が浅くなる。視野は限定されるのに、不思議と不安はない。
切っ先を見るでもなく、体を見るでもなく、何もかもに焦点が合い、思考が加速する。
切っ先のわずかな動きが、きっかけになる。
どう踏み込み、どう剣が走るか、予測できる。
こういうのをオカルトだと断定する人もいるけれど、それは剣を持ったことのない人間だろう。
実際に剣を向け合うと、この程度のことは日常茶飯事。
僕の剣が緩慢に走り、しかし最短距離で、男の剣を受け流す。
火花が散り、消える。
どちらかの剣が欠けて生まれる小さな破片が飛び散る気配。
相手の剣が勢いを殺せずに、流れていく横で、僕の剣は完全にコントロールされ、吸い込まれるように男のわき腹を切り裂く。
二人がすれ違い、最初と同じような立ち位置で、向かい合う。
男の顔が汗ばみ、わずかに顔が歪む。右の脇腹から出血している。右足がすでに血で染まり、地面にも血のしずくが落ちた。
「見事」
男が低い声で言うが、そんな言葉が聞きたいわけじゃない。
勝負を挑んで、この程度なのか。実は本命じゃないんじゃないか。拍子抜けだ。もっと使うと思っていた。なにせ、最後にはこちらが手加減する余地さえあったのだ。
そんなことを考えているうちに、料理店の方で悲鳴が聞こえ、続いて誰かが争う音がした。入り口に控えていた店の用心棒たちが中へ飛び込んでいく。
大男はそちらを振り返ってから、もう一度、こちらに向き直った。
「これを生き恥というのだな」
そう呟いた。確かに、生き恥、と言ったのだ。
「生きていることは」
どうしてそんなことを言ったのか、僕自身がわからなかった。
「恥ではない」
いつになく強い口調で、まるで断定している僕に、男はかすかに口元を緩ませた。
「強い者の言葉だな」
強くはない、と言いたかった。しかし目の前の男よりは強い。それなのに、強くないなんて言うのは彼への侮辱だろう。
それきり、何も言わずに男は自然と間合いを取り、剣を鞘に戻して店の中へ入っていった。右足が踏んだところに、血の足跡ができた。
背中を向ける彼を切ることはできたし、それがそもそもの仕事だ。
それもまた、侮辱。
しばらく、僕はその場に立って、料理店の様子を見ていた。
店に誰がいるにせよ、襲撃されているらしい立場で、表の玄関から飛び出してくるわけもない。店の中の騒動はまだ続いているが、外からはよくわからなかった。
玄関から店の給仕らしい数人が飛び出し、どこかへ散っていった。逃げたのではなく、警察でも呼びに行ったんだと思う。僕にはあまり関係ない。
さっきの男が本命じゃないなら、言ってみれば、隠れている真打が、いるとすれば見てみたい気持ちだった。
しかしそれは叶わないまま、警察の部隊がやってきて、店の周囲を固め、十人ほどが突入していった。その時には野次馬が集まっていて、僕もその中に混ざっている。ただ、警察官が壁を作り、店の入り口からはさっきの立ち合いの時よりだいぶ離れてはいる。
結局、動きがないまま時間だけが過ぎたので、僕は店の前を離れた。時刻はすでに深夜に近いが、親方に報告する必要のある情報もないが、事情は知っておくべきだろう。
例の巨大な建物へ行くと、珍しく玄関の前に武装した二人が立っていた。酒に酔っているようでもない。顔見知りだったので、通してもらえた。しかしその時も、緊張した様子がはっきり見えた。
一階のフロアには武装した男が二十人ほどいた。こちらも誰も笑ってもいなければ、ふざけてもいない。僕を見ても、少しも変わることなく、真面目な顔だ。いかにもな様子で、微笑ましい。そう思うとこちらが本当に笑いそうだった。
最上階へ上がると、そこにも武装した男が二人いて、植物園のようなフロアに入っても、見たところでは五人が警備している。
親方自身はいつもと同じ様子で、ソファに座ってテーブルの上に地図を広げていた。ちらっと見るところでは、第四都市の地図だ。
僕に気づいて親方が顔を上げる。真面目な顔、真剣な顔だ。
「切ったか?」
そう訊ねられて、答えに困ったけど表情は消しておく。
「一人と対峙して、重傷を負わせました。殺してはいません」
「どんな相手だ」
僕は思いつく限りの情報を並べようと思ったが、大男で、若い、というのが重要なくらいで、残りは剣術の特徴や、ちょっとした印象程度しか話せない。名前すら名乗っていないのだ。
僕が口を閉じると、親方は難しい顔になり、「一階にいろ」と言って身振りで僕を下がらせた。どうやらまだ仕事は終わらないらしい。
一階へ降りても、やることはないし、他の連中は話ができるほど和んじゃいなかった。きっと僕が一番、緊張していないだろう。こうなると、彼らが何を気にしているかは、不思議になってくる。
ただ、そんなことも訊けないほど、張り詰めてはいる。
仕方なく、腰の剣を抜いて、刃の状態を見た。火花が散ったし、削れた感触もあった。
抜き身の剣に光を当てたが、問題はなさそうだ。とりあえず今日のところは、だけど。
鞘に剣を戻し、壁に体を預けたところで、玄関を開けて一人の男が入ってきた。そのまま階段の方へ勢いを殺さずに駆けて行き、大きな足音で階段を駆け上がっていくのがわかった。
まだ夜は終わらないらしい。
(続く)