2-11 涙
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屋敷へ戻って、私は一人で訓練を続けた。
相手がいなくても、剣を振ることはできる。そして試験で見た、様々な剣の筋は新鮮な記憶として刻み込まれていた。
今まで、想像もしていなかった切っ先の翻りが、まるで光の筋になって、視界に現れる。
こう攻められれば、こう斬り返す。この筋には、こう体を逃す。
うまくいかないことも多い。想像の中の超高速の斬撃は、仮想の私に傷を負わせる。痛みのない傷を負うたびに、私は仕切り直して、繰り返し繰り返し、名前も知らない誰かの、名前も知らない流派の剣を、受け続けた。
馬で遠乗りに行き、そうでなければ長い距離を走った。
秋が深まり、それでも全身が汗でずぶ濡れになる。脇腹の傷跡が痛みを発するけど、すでに塞がってはいた。医者には痛みが当分、消えないと言われている。
熱を出したのは一段と冷え込んだ日で、私は高熱にうなされて見る夢の中で、背中を向けて去っていくイナを見て、シアンを見た。
看病してくれた下女が言うには、うわごとで二人の名前を何度も呼んでいたという。そして悲鳴をあげ、意識を失ったとも。私はそのことを少しも覚えていなかった。
意識がはっきりしたのは、一週間後で、部屋には暖房が置かれていた。泊まり込んでいた医者がやってきて、診察の後、薬を処方した。苦いそれを飲み干すと、先ほどよりはどこか澄んでいるような眠りが私を飲み込んだ。
夢の中で私は剣を振っていた。
広い空間で、一人きりで、でもまるで相手がいるように剣を振る私を、別の私が遠くから見ている。
私が何もない場所に殺気を込めた剣を繰り出すのが滑稽で、でもなぜか、笑えなかった。
剣が命を奪うためにあることが、急に理解できた。
シアンを切った時だって、そうだったのに。
シアンは最後に、それを教えたんだと、もう長い時間が過ぎているのに、ようやっと理解した私がいた。
イナのことを持ち出して、私を挑発したのも、私の中にシアンに対する殺意を作るためだった。
王立騎士学校の試験で、私が勝ち残ったのも、そのせいだろう。
他人に殺気を向けること。他人に殺気を向けられること。自分の中の殺気を支配下に置くこと。他人に向けられた殺気に対抗すること。
それができる剣士は、少ない。私は十歳になる前に、その当たり前の素質を、一人の老人に命を代償に教え込まれていたことになる。
目が覚めて、また医者がやってきたけど、その時には体には少しの違和感もなかった。
また薬を飲むように言われたけど、今度は眠らなかった。もういいだろう、と医者が頷き、一礼をして去っていった。
しばらくして、父がやってきた。一通の封書を持っている。少しだけイナの遺書のことを思い出した。
「王立騎士学校からだよ」
受け取った封書を開き、中の書類を読んだ。
私は、王立騎士学校への入学を認められていた。
「次の春は、王都で迎えることになる」
父の言葉が震えているのに、その時になって気づいた。父を見ると、がくりと膝をつき、その場で頭を下げた。
「すまない、フランジュ、すまなかった」
いつかの母と同じだった。何をそんなに、謝るのか。
親友の命を奪ったことか。師の命を奪わせたことか。それともそれ以前に、私を今の私にしたことか。
誰にも責任なんてないのに、と私は思った。
私は私がなりたい私だけを目指して、今になってしまった。イナも、シアンも、私という人間が犠牲にしたんだ。父も母も、何かを背負う必要はない。
私が、一人で背負うべき重荷を、今、父は少しでも軽くしておこうと思っているのか。
「剣士になります」
そう答えると、父が顔を上げた。涙で頬が濡れていた。
「お前は人を殺せるような娘じゃない。それを、私たちが、変えてしまった」
父の震える声に、どう答えることができるか、少し考えた。
「剣を取る必要がある時、剣を取ることのできる娘です」
屁理屈を、とシアンなら言って、笑い飛ばしただろう。でも父にはそんな余裕はなかった。
父はもう一度、頭を下げ、身も世もなく泣いていた。その時の様子を、私は長い間、忘れなかった。私という人間の本質は私にしかわからないはずなのに、父には、そしてきっと母にも、何かが見えているのだということを、思い返す度に考えた。
親が望む、理想的な娘。
私はどうやらそこから離れてしまったらしいと、この日、気づき始めた。
私の願望とは全く違う、虚像としての私。
これからずっと、両親を裏切って生きていくんだと、私は父から目を離し、手元の書類を見て考えていた。
私に与えられた多くのものが、ここに至るまでに永遠に失われていた。そしてきっと、また失うだろう。
それでも未来には、失われた以上のもの、失われる以上のものが、待ち構えているはずだ。
窓の向こうで、ひときわ強い風が吹き、窓ガラスを揺らした。
(続く)




