2-10 世界を知った日
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王都はあまりにも巨大だった。半日前から城壁が見えていたのに、日が暮れる頃になってやっと到着した。
平凡な旅籠に部屋を取っていて、御者は私に断って出かけていった。遊びに行ったのは明白だけど、彼を引き止める理由もない。ハメを外しすぎなければいい、というのはシアンが私に教えたエセ帝王学の一つだ。
八歳の子供が一人で部屋にいるのも不審だろうが、もし誰かが見ていれば、その八歳の女児が短い剣を手に取り、月明かりに刃をかざしている様は、異質だっただろう。
屋敷を出る時、父はシアンを殺した剣を私に持たせた。試験で真剣を使うという理由もあるけど、それ以上にシアンの存在をはっきりさせたかったんだろう。
試験で失敗すれば、それで何かが決定的に終わってしまう気がしたけど、それは緊張とは切り離されていた。
死ななければ、何も終わらないとこの時から、私は悟り始めていた。
だから、試験での失敗は、シアンが今までに私に施した様々な訓練の否定であって、その意味では、私は自分のことよりも、シアンという人間の功績をこそ、背負っていたわけだ。
でも試験がダメでも、いずれシアンの存在を日の光の下で輝かせる方法はある。
私がより成長して、輝けば、それはシアンの輝きだろう。
剣を鞘に戻し、私は眠った。御者はいつの間にか帰ってきていて、翌日の朝には私が起きるのを待ち構えていた。少しだけ眠そうではあったけど。
一人で王都の中心近くにある王立騎士学校の建物の一つに向かった。王都は人が多く、それだけで具合が悪くなりそうだったけど、どうにか耐えた。これだけの大勢がいったい、どうやって生きているのかが不思議だった。
建物にたどり着き、受付で書類を見せ、記名して、中に招き入れられた。広い敷地が広がっていて、今も生徒だろう少年少女が走り込みをしていた。建物の方から声も聞こえる。
試験のための係員がそここにいて、矢印の書かれた紙を持っているので、迷わずに会場に着くことができた。そこに至るまでに同じ受験生だろう子どもたちを見たが、身なりが立派なものが多い。貴族の子弟といったところだとそれが示している。
中にはまるで飾り物のような剣を持っている子どももいて、どういう親に送り出されたのか、不思議でもあり、可笑しくもあった。笑いなんてしないけど。
会場でまず座学の試験を受けるが、これは一次試験と大差ない内容だ。次に行われるのが面接。しかし難しいことを聞かれるわけじゃない。私は平凡さを意識して、答えた。
最後が実技。相手が誰かと思ったら、受験生だった。
しかも真剣を使えというのだ。
私の生活していた屋敷の武道場に似ているけど、広さは五倍ほどもある空間だった。それが四つに区切られ、一対一が四つ同時に行われている。順番で呼ばれて、勝ち抜きのようだ。
私は一人目、二人目を難なくなり過ごした。切ってしまうわけにはいかないけど、真剣を向けられている子どもの胆力では、降参するのも早い。
剣を叩き落とし、弾き飛ばし、切っ先を突きつけ、それで終わり。
五人を倒してから、私の前に進み出てきたのは、会場へ来る途中で見た、例の飾り物の剣を持った受験生の少年だった。年齢は私より四つは上だろう。つまり、入学可能なギリギリの年齢。
キラキラと輝く柄に手をかけ、少年が緩慢な動作で剣を抜いていく。なるほど、刃も綺麗だ。
でも美しさが人を切るわけじゃない。
試験官の合図と同時に、剣を構えた少年が突っ込んでくる。
バカバカしかった。訓練は積んでいても、まるで死にたがっているようなやり方だ。
身をかわして、足をかけてやった。盛大に転んだ彼の手首を踏みつけ、少年は悲鳴をあげて剣を手放した。つま先で蹴り飛ばし、起き上がろうとする少年の首を足で押さえてやる。
剣を使うまでもなく、彼はすでに二回か三回は死んでいる。
「足をどけろ! 下賎な女め!」
少年が喚き始める。
「これでも僕は、ガナッシュ侯爵家の長男だぞ! 足をどけるんだ!」
ガナッシュ侯爵家とやらを、私は全く知らなかった。後になってみれば貴族の一角として、ちょっとした金持ちで、ちょっとした権力を持っていたが、金も権力も、八歳の小娘にはどうでもよかった。
足をどけてやる必要もなかったけど、私は従ってみた。
無様に起き上がった少年が転がっていた剣を手に取り、構え直す。
そしてまた突っ込んできたので、剣を跳ね上げ、武器を失ったところへの拳の二発でもう一度、床に這わせてやった。
彼の値段が張りそうな剣は、私の手の中に落ちてきた。掴み取って、さて、と少年を見ると、真っ青な顔をして、こちらを見ている。
「そこまでだ」
試験官がやっと声を発した。遅いくらいだ。
しかし下がるように言われた受験番号は、私の番号で、驚いた。勝ち抜きじゃないか、と思って試験官を見るが、首を横に振られた。
やっと権力とやらの力を実感しつつ、私は奪った剣を少年の足元に投げつけてやった。
床に突き立った剣に悲鳴をあげ、起き上がりかけていた少年がまた転ぶ。
面白くない、と思い、私は壁際に下がった。
なんとか侯爵の子どもという少年は、実力では一人も倒さなかった。五人ほどに圧倒され、しかし試験を受け続けて、最後には敗者とは思えない堂々とした様子で、壁際に並んだ。
不愉快だけど、私は彼のことをすぐに忘れてしまった。
理由は単純で、受験生の中にはこれはと思う使い手がいるからだ。私と互角かそれ以上の使い手、それもまだ十歳程度の彼ら彼女らは、まさに才能の持ち主である。
私がワクワクしているのは、実力伯仲の相手がこれだけいれば、世界も少しは楽しめそうだな、と実感を持って理解できたこともある。
シアンどころではない使い手が、この世界にはいる。
私の知らない剣術が、魔技が、多くあることは、私にとっては視界が急に開けるようなものだった。
試験が終わり、宿に戻って荷物をまとめ、夜のうちに私は王都を離れた。旅籠に泊まる銭を節約したかったし、私はすぐにでも訓練を続けたかった。
屋敷に戻ってもシアンがいないことが、悔やまれた。
私はもう、一人で訓練するしかない。
でもきっと、近いうちに仲間が見つかる確信が、自分でもよくわからないところで芽吹いて、みるみる大きくなっていくのが感じられた。
私はこの日、世界を知ったのだ。
希望と刺激に満ちた、果てない世界を。
(続き)




