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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
影に咲く剣
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1-4 死線

     ◆


 瞬間だった。

 振り返りざまに相手を切った。

 唸り声のような声がわずかに発せられて、相手は倒れこむ。

 血の匂い。死の匂い。

 いつもの匂いだ。

 通行人の数人が悲鳴をあげるが、あまりに一瞬のことだからか、逃げ出すものは少数。

 僕は剣を鞘に戻し、やっと左肩の辺りが熱を持ってるのに気づいた。見れば着物が切り裂かれている。遅れて血が滲み始めた。

 倒れている男は、もう少しも動かない。手から剣が離れ、投げ出されていた。彼の体の下に血が広がり、水たまりのようになる。

 仕方がないので、僕はその場を離れ、人気のない方へ進みながら、闇医者が診療所を構える路地へと戻るしかない。

 それにしても、あの男の気配は本当にかすかだった。実は周囲を確認した時、彼が僕のすぐ横を通り過ぎていくのを、目の端で確認はしていた。剣を帯びていたのだから、当然だ。

 しかしすれ違う時にも、こちらをちらりとも見ず、殺気も感じさせなかった。

 それがわずかな間隙、僕が一歩を踏み出そうとした時に、背後に一秒の半分くらいの時間、留まって、剣を抜いた。

 ほんの少しのズレが僕を救った。

 そのズレは、僕が踏み出す瞬間の彼の決断と、僕の反応のズレだったろう。

 彼がすでに僕の背後にいて、僕からすれば視界の外。しかしそれ以上に、その位置にいては動いた途端に僕に察知される。そういう、ギリギリの場所にいたことになる。

 もし僕がわずかに早く踏み出していれば、片足に力が入らず、男の居合を回避できなかったはずだ。できたとしても、今よりも深手を負い、続く攻撃をさばけた自信はない。

 ただ、僕が動き出した時は、あの暗殺者にとってはわずかに遅かったようだ。彼自身が僕とすれ違った関係で、自然さを装うために足を進めざるをえなかった。それで自然と間合いが生まれてしまった。こちらも、もし僕が少しでも早く動き出していれば、彼は彼の望んだ間合いで、剣を繰り出せたはず。

 まったくの偶然が、僕に勝機を与えたようだった。

 親方からの警告も、あるいはどこかで生きたかもしれない。

 路地から路地へ抜けるうちに、左肩からの出血は左袖を重くしていた。それでも回り道をして闇医者の建物にたどり着き、階段を上がった。

 階段の途中で、例の青年と出くわした。彼は僕の怪我を見ても顔色ひとつ変えずに、こちらへ、と階段の先へ案内してくれる。これくらい肝が座っていると、気持ちよささえある。

 最上階は昼前の太陽の光で明るかった。例の老人はまだベッドに寝転がっている。

「昨日の夜、遅い時間にお客がありましてね」青年が手を洗いながら、言い訳のように説明した。「明け方に眠ったんですよ。僕が施術してもよろしいですか?」

 もちろん、と頷くと、彼はテキパキと準備を進め、あっという間に薬を注射し、傷口を縫合した。

「何度見ても、すごいですね」

 汚れた手を洗いながら、顔だけはこちらに向けて青年が笑う。

 僕の体のことだろう。全身のありとあらゆる場所に、傷跡がある。上半身が裸なので、腕も肩も、胸も背中も、腹も腰も、必ず傷跡があることがわかる。足にもあるが、それは今は見えない。

 実は首筋に傷があるし、顎にもあるのだが、それは小さくてあまり目立たない。

「よく鍛えられている」

 そう言って手の水滴を払い、手をぬぐいながら彼は戸棚の前に立った。薬を処方してくれるんだろう。

 実は体を鍛えたことはなかった。剣を素振りしたことも稀だ。

 全ては実戦の中で身につけた。先ほどのように、相手の剣を受けることも再三で、その度に全身に傷が生まれる。縫合した傷もあれば、ただ圧迫して直した傷もある。

 この話をすると、剣を使うものは大抵は信じない。信じたとしても、僕の実力を過小評価する傾向になる。

 理由を推測すると、剣士は大抵が、道場で模擬的な剣術比べをすることになり、訓練こそが実力への最短であると考えるし、そもそも実戦で剣術を磨いたものをほとんど知らない。実戦とは、つまりどちらかが死ぬことを意味する。その点で、実戦剣術は軽視はされなくとも、信用はされない。

 僕のように数え切れない戦いを切り抜けるものの方が、極めて稀なのだ。大抵の実戦剣術を声高に叫ぶ剣士なんて、僕から見ればまだひよっこ。そんなひよっこが大勢いるから、大抵の剣士は実戦剣術というもの信じないのかもしれなかった。

 青年が塗り薬を入れた器と粉末の薬の入った薬包を持ってきた。塗り薬は布に塗り、その布で傷口を押さえて包帯を巻くように、粉薬は痛みが出たら飲むように、とのことだった。

 ちょうど懐には銀があるので、支払いはその場でできた。

 一度、大きないびきをかいたかと思うと、ベッドの上でのっそりと老人が起き上がった。無防備に伸びをして、それから僕に気づいた。

「背中、ではないな」老人があくびをする。「また斬り合いか?」

「それが仕事です」

「私たちの仕事を増やしてくれて、助かるよ。できれば相手を切り殺さず、腕を落とす程度にしてもらえれば、さらに仕事が増える」

 奇妙な冗談に、なけなしの愛想笑いを返そうとしたけど、うまくできたかな。

 青年の方が、血で汚れた着物は目立つから、とまるで普通の町民のような服を貸してくれた。銀をもらいましたから、差し上げます、とのことだった。

 礼を言って地上へ降り、先ほどとは逆の方向へ路地を進んだ。さすがに警察が例の暗殺者について調べているだろう。

 僕のこともあるいは、気づいているだろうから、近いうちに貧民街へ聞き取りに来るかもしれない。

 この国のいいところは、剣士には大きな権限が与えられてることで、それも剣士を名乗るのに身分も血筋も関係ないということがある。

 どんな人間でも、剣を身につけていれば、剣士とされる。法律は剣士と認める剣の長さを規定しているけれど、それは大して意味を持たない。剣と見えるものは、大抵は剣だし、見間違うことはない。

 剣士は剣士と立ち合いをすることを無条件に許可される。

 殺人さえも、犯罪にはならない。それでも、死んだ方は二度と口がきけないので、警察が取り調べるわけで、何かしらの事情で犯罪と認定される場面もあるようだ。

 先ほどの場面は、間違いなく僕が襲われたし、相手が死んだのは返り討ちにあったからだ。

 僕に落ち度はない。

 路地から出て、今度こそ周囲を念入りに把握し、歩き出した。

 今度こど、帰ることができそうだ。



(続く)

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