1-33 苛烈な意志
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陛下はこちらをまっすぐに見て、静かな口調で言った。静かすぎて、雑踏の中だったりしたら、聞き返すしかなかったかもしれない。
「剣聖の剣を受けたと聞いている」
聞いているも何も、実際に目の前で見たはずだが、あれはお忍びで公にはできないのだろう、とすぐ考えた。
「はい、その通りでございます」
頭を下げると、ジャニアス三世は嬉しそうだ。
「なぜ死ななかったか、私に説明してみせよ」
「剣聖様のご慈悲か思います」
「それはないと今、剣聖に確認した」
本当だろうか。ただ、至高の存在に食い下がるわけにも行かない。一方で余計なことも言えない。
「わずかに下がれたからではないかと思います」
「下がれた?」
「剣聖様と手合わせをした時、私は深く踏み込み、そこで逆に剣聖様に切られました。剣聖様の剣が私に向かっていると理解した時、下がったのです」
視線の先でジャニアス三世は玉座に肘をつき、頬杖をつくような姿勢でこちらを見ている。
「下がれるものか? お前は剣聖を切ろうとしたのだろう?」
「完全には下がれません。わずかに後ろへ体を逃すことを、下がると表現いたしました。ほんの少しの傾きです。剣聖様の剣は私を深く切り裂きました。傾きがなければ、今、ここにはいません」
「死んだ、ということだな」
「今、生きているのも奇跡です」
筆頭御典医と言われたあの老医師のことを口にしなかったのは、実はあれがガングの手配ではなく、ジャニアス三世の指示ではないかと思ったからだ。野良犬じみた剣士に筆頭御典医を手配するのは、剣聖という立場では無理だと思う。
いずれにせよ、陛下には深い感謝を伝えるべきだか、今ではない。
公の場ではないところで、会えるはずだ。
陛下はまだ頬杖をついているが、視線は鋭かった。
「王都八傑など、私にはどうでも良いが、それに匹敵するとか。どのような経歴か、問うことはすまい。求めるのはただ一つ、強さだ。強いのか?」
「剣聖様の剣を受けて生き残る程度には」
ざわっと参列者が一斉にうめき声や小声を発し、場がざわめいた。それに対し、ジャニアス三世が「静まれ」と一言言うと、またピタリと静寂がやってきた。
「剣聖に勝てはしないが、負けはしない。お前はそう言いたいのか」
「次に剣を合わせれば、百回やって百回、私が死ぬと思います」
「何か含むところがある言葉だな」
「もし一万回、手合わせが出来きれば、一回は勝てるかもしれない、とは思います」
今度こそ、周囲で人々は声をあげ、僕を否定する声も確かに聞こえた。ジャニアス三世も当分、黙っていたが、表情には怒りはない。感情が希薄な面持ちで、じっとこちらを見てる。僕も彼だけを見ていた。
「良かろう」
その陛下の一言で、場がしんと静まる。
「命は一つだ。一万回のうちの一回が、最初の一回にならなければ、お前は死ぬ。ただ、死ぬ度に強くなると考えると、お前を殺すのは惜しいということになる。そのお前を、武官にせよという進言があった。それを私は吟味したつもりだ」
すっと姿勢を戻し、陛下はわずかに目を細めた。
「お前を特例で、武官とする。剣聖の元につき、学べ。名を名乗れ」
「お待ちください、陛下!」
声を上げたのは列席している一人で、服装からすると貴族のようだ。
「そのような、何をしてきたか分からぬものを、武官にするなど無謀というもの。年齢は重ねていますが、特例で王立騎士学校へ入れ、そこで勉学に励ませるのがよろしいかと」
「そうでございます」
別の貴族も続けて発言する。
「陛下を御支えるするのにふさわしいものは、大勢おります。長い時間を勉学と鍛錬に明け暮れ、陛下のそばに立ちたいという一心で、全てを捧げているのです。ただ剣聖殿と戦い、生き残ったからという理由で、そのような下賎なものをそばに置いてはなりません」
「まさしくその通り。陛下、御考え下さい」
「陛下」
「陛下!」
数人の貴族の進言に、ちらっとジャニアス三世は顔をしかめ、「わかっている」と応じた。投げやりな、仮面が外れたような調子だった。
「ではお前たちに聞くが、勉学とやらを積めば、剣聖と立ち合って生き残れるか? 訓練を積めば剣聖の剣を受けて生き残れるか? 生き残るというのは、手加減していない剣を受けて、それでも死なないか、ということだ。死んでしまったが、次は勝てる、などというわけにはいかない。次はないのだ。一回だけの、命をかけた手合わせ。そのものが生き残ったようにできるか? どうやったら一度の勝負に勝ち残れるか、説明できるものは申してみよ。誰でも良い。許す、答えよ」
貴族たちは何も言わない。
ジャニアス三世の苛烈な思考に、反論できるものはいない。
国の中で最も強いとされる剣に敵うものはおらず、それはつまり、絶対の死だ。剣聖の力が激しい訓練の先にあるとして、あるいは素質を磨き抜いた先にあるとして、同じ地平に立てるものは、きっと極端な少数だろう。
貴族たちの中にある欺瞞は、学歴や免許皆伝のような誰にでもわかるものは、誰にでも理解される、という発想だ。その点では、僕は学歴はないし、免許皆伝も受けていない。
その代わり、剣聖との真剣のやり取りに生き残ったという、曖昧と言ってもいい実績はある。誰だって剣聖に挑戦することはできる。しかし挑戦して敗れれば、そのものは死ぬ。こうなると、全く分が悪い賭けになる。
「誰も答えぬのか。臆病なことだ」
焚き付けている至高の存在の言葉に、やはり誰も答えなかった。
「名乗れ、剣士よ」
僕はわずかに顔を上げ、まっすぐにジャニアス三世を見た。
「オーリー・イエニアと申します」
「オーリー・イエニアを武官として、剣聖の補佐を命じる。剣聖の指示に従い、私と王国の守護の一翼を担うように。大儀であった」
すっと陛下が立ち上がったので、慌てて頭を下げる。銅鑼がなり、陛下はそのまま謁見の間を出て行った。銅鑼が鳴り止み、顔を上げると玉座は空になっている。ガングと国王の側近たちもいなかった。
部屋の空気が緩み、そこここで貴族たちが立ち話をしたり、歩きながら話して部屋を出て行く。
「こちらへ、オーリー様」
声をかけてきたのは、どこへ控えていたのか、ここへ連れてきてくれた剣士だ。そうか、彼がいないと帰り道もわからないのだ。
数人の貴族がこちらを睨みつけ、もっと多くの貴族が僕のことを話しているのはわかった。長くここにいても、不快なだけだ。剣士に導かれて、僕は謁見の間を後にした。
病室に戻ると、看護師が頭を下げ、「おめでとうございます」と丁寧に発音した。
「かしこまる必要はありません。今までの僕と変わりませんから。服を脱がせてもらっていいですか?」
顔を上げた看護師は「かしこまりました」と笑う。からかわれたんだと、それで気づいた。
長い時間をかけて服を着替え、いつものラフな服装に戻り、髪の毛を解いて、化粧を落とした。服を脱ぐのも大変だったけど、化粧を落とすのはもっと大変だ。
「武官になられたのです、ここを出て行かなくてはいけませんね」
看護師の言葉に、僕は頷く。武官は屋敷を与えられるものらしいが、とりあえずは剣聖が使う屋敷で寝起きすることは、聞かされていた。
「寂しくなります、オーリー様は長くここにおられたから」
そう言う看護師の目元が、少し濡れて見えたので、僕はさりげなく視線を窓の向こうに移動させた。僕だったら、涙を流すところを他人に見られたくはない。
「本当に、時間の流れの速いこと」
看護師がそう言った。
そう、時間はとても速く流れていく。意識しないと、あっという間に消えてしまう。
これからもきっと、そうなのだろう。
すんと看護師が小さく、鼻を鳴らしたのが聞こえた。
(続く)




