1-31 弟子と友と
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訓練の最中で、彼が部屋に入ってきた時、僕は二人の剣士と剣を合わせているところだった。反射的に真剣を弾き返し、距離を取る。二人も動きを止めて、クツルを見た。
「久しぶりだな、クツル」
そう言ったガングを見た時には、彼はもう立ち上がっている。クツルが頭を下げ、部屋の中央へ進み出たのに合わせ二人の剣士が場所を開け、片膝をついた。僕も見様見真似で同じ動きをしたが、クツルが睨み付けてくるので、首を垂れる動作をするのは都合が良かった。
「剣聖様、何故その男を生かしておくのです」
挨拶もなく、クツルが怒りを滲ませた声で言った。僕には二人の姿は見えない。
ガングが世間話のように答える。
「その男、というのは、オーリーのことか?」
「そうです。シュダ・キャスバを殺した男だと、分かっておられると思いましたが、ご存じないのですか?」
「まあ、そうだろうとは知っているが、重要なことか?」
「あなたの弟子を殺したのですよ!」
甲高い声でクツルが叫ぶ。こんな人格の男か、と意外に感じた。ガングはどう応じるだろう?
「弟子を殺した。なるほど」
気のない調子でそう答えるガングに、クツルが詰め寄ったのが、見える足の動きとそれ以上の気配でわかった。
「仇を討つべきです! あなたほどの方が、なぜ、決着をつけないのです」
「殺すには惜しい」
この剣聖の言葉には、僕が一番驚いただろう。彼は、僕をそんなに評価していたのか。
「惜しい? ただの小僧でしょう。命を奪った者の命を奪うことを、躊躇っておられるのか?」
「躊躇ってはいない。ただな、クツルよ、考えてみるといい。なぜシュダは死んだのだ?」
「そのものが殺したのでしょう!」
「ではなぜ、シュダはオーリーを殺せなかった?」
ぐっと何かが詰まるような音を、クツルが発した。ガングはそれに対して、十分に余裕があるようだった。
「答えろ、クツル。なぜシュダは死んだ? なぜ負けた? その答えを私はもう知っている。わからないのか? なら、言葉にしよう。それはな、シュダが弱いからだ」
クツルが先ほどより大きく、一歩、下がった。
「し、死者を悪く言うものが剣聖とは、見下げたものだ! 自分の弟子を弱いなどと!」
「しかしそうだろう? 強ければ今、生きていたはずだ」
急にガングは歩き始めたのが、足音でわかった。しかしとても小さな足音しかしない。
「シュダは私兵を使って、第四都市の貧民街を焼いた。それは大勢が否定する、間違った行動だ。悪行だ。だからシュダが死んだことを、正義による天罰と捉えるものもいる。しかし私はそうは思わない。シュダを切ったのは正義でもなければ、神でもない。一人の青年だ。違うか?」
クツルは答えないが、唸るように呼吸している。
「剣士に必要なものは強さだ。強いものだけが生き残り、弱きものは去るのみ。強ければ全てが許されるとも言える。私は一度、オーリーを切ることにしたし、実際に切った。だが奴は生き残った。だから私はオーリーを認めている。シュダよりもだ」
「あなたは、人ではない……!」
「そうだ、剣士は人ではない」
小さくガングは笑いながら、クルツの周りを円を描くように歩いている。
「剣に全てを賭け、命を投げ出す、おおよそ人間の原則を外れたものが、剣士だよ。強さだけを求め、他人を犠牲にして、生き血をすするように流血の中で生き、どこであろうと死を撒き散らす悪鬼。悔しいと思うなら、剣を抜けよ、クツル。オーリー、立て」
僕は素早く立ち上がった。
クツルは真っ青な顔をしている。怒りが強すぎて血の気が引いているのだ。手が震えているのも見えた。ガングは平然と、僕の位置からするとクツルを挟んだ向こう側にいる。
「私にとやかく言うのだから、お前にも実力があるのだろう? クツル。オーリーを切ってみればいい。できないのか? やりたくないのか? 怖気付いたか? それともまさか、死にたくないのか?」
最後の一言が引き金になったように、クツルが剣を抜いた。
僕は抜くべきか迷った。腰には訓練で使った剣がある。真剣だが、切れ味は悪い。
こんな剣で切られたくはないな。そんなことを思い、しかし剣を抜いていた。
急に空気が氷点下になり、肌が痺れる。冷たさが手足を伝わってくる。
良い殺気だった。
クツルの姿が消える。彼独自の足の動き。横に唐突に出現し、切っ先が向かってくる。
だから僕も同じことをした。
クツルの技が歩技と呼ばれることを、僕はガングやその従者から教わっていた。奥の深い技術で、無数に枝分かれしている技術だった。
すり足や送り足から始まったとされるそれは、操るものの体を重さから解き放つ、神秘じみた技だが、技である以上、能力さえあれば習得できる。
半年近い時間をかけて、僕はそれを身につけていた。
クツルの切っ先が空を切り、僕の体はクツルの側面。唖然とした顔でこちらを見るクツルの首筋に、僕の剣の切っ先が突きつけられていた。
「一度、死んだ気分はどうだい、クツル」
言ったのは剣聖で、投げやりな調子だ。クツルは動くこともできず、しゃべることもできずに僕の前にいる。剣から力は抜けていない。諦めていないのだ。
その剣士に、言い含めるようにガングが言葉を続ける。
「お前もシュダも、同じだ。敗者だよ。敗者には意見する権利はない、そもそも生きる権利がない。王都八傑などと呼ばれても、永遠に強いわけではない。世界に満ちる、様々な技、様々な人間が常に高みを目指し、高みに位置するものは常に挑戦を受けるものだよ。そして自分より強いものに取って代わられるのが、宿命だ」
クツルは無言。汗が顎を伝っている。僕は剣を少しも動かさなかった。
剣聖もまた、その場を動かない。
「もし、お前がオーリーを葬りたいとして、十人でも二十人でも、仲間を集めたとする。それで押し包めばあるいは殺せるだろう。暗殺者を当ててもいいし、食事に混ぜて毒を飲ませることもできる。剣士の強さではないが、力を持つ者の宿命の一つだ。では、そうやって誰かを始末して、次には誰が来る。集団を統率したお前が頂点に立って、それならどこかの誰かが、それ以上の集団でお前を襲うかもしれない。自分が押し包まれて首を取られる時、お前はまさか、卑怯だ! と叫ぶのかな。どうだ?」
やはりクツルは無言。僕もだ。緊張は続いている。
「強さには様々な側面がある。一人で最強でも、一人では百人は相手にできない。だから、強さとはその程度のものと考えるしかない。ほんの短い時間だけの、輝きさ。そしてその時を過ぎれば、蹴散らされて、儚く消える。ほとんど何も残さずに」
「こんなことに、意味はない」
呟くようにクツルが言った。
「そんな戯言など、聞きたくない。俺は、シュダの友だ、シュダを殺したものを許せるものか!」
クツルの姿が霞む。歩技の一つ。早い。
切っ先の前から消え、僕の背後へ。こちらも歩技で対抗、弧を描く刃を避ける。避ける動きのまま、クツルの側面へ。
クツルはまだ動いている。僕の側面へさらに回りこみ、僕もやはりクツルの側面へ。
目まぐるしく両者が立ち位置を変え、その高速の移動に空気が攪拌される。
「無駄だ」
ガングの声に、僕とクツルが動きを止めた。
ガングがいつの間にか剣を抜き、しかもすぐそばにいた。
彼の剣の切っ先は、クツルの額に触れる寸前だった。僕の剣はまだクツルに迫っていない。クツルの剣も中途半端な位置にあった。それほど、ガングが速かったことになる。
「これ以上、恥を晒すな」
今までと違うガングの口調にあるのは、寂しさだろうか。
クツルは軋むほど強く歯を噛み締め、一歩、下がった。そして剣を鞘に収めると、そのまま扉へ向かっていった。
誰も何も言わないまま、彼は去っていき、ドアが閉まってからガングが素早く剣を鞘に戻した。僕も剣を鞘に戻したが、その僕にガングが手のひらを上にして向けてくる。
「剣をよこせよ、オーリー」
「何故ですか?」
「教えることは全て教えた。あとは自分で磨け。お前の剣を返すから、その剣をまず返せ」
反射的に頭を下げ、僕は腰の剣を鞘ごと外し、彼に手渡した。
(続く)




