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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
影に咲く剣
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1-3 報酬と懸賞金

     ◆


 貧民街の朝は静かだ。大半の住民は夜に働くからだろう。

 僕はベッドの上で目を覚まし、背中を確かめた。痛みは消えている。包帯を解き、鏡で見てみると、まだ傷跡は生々しいが、傷口に当てられていた布は綺麗なものだ。

 念のため新しい布を当て、包帯を巻き、服を着た。

 顔を洗い、朝食として昨夜のうちに買っておいたパンをかじっていると、ドアがノックされる。いるよ、と声をかけると、若い男が入ってくる。どこからどう見ても小悪党で、つまりは誰かの手先。

「報酬だ」

 男が懐から取り出した小さな袋をこちらへ投げてくる。パンを持っていない方の手で受け止め、パンをくわえて両手を自由にすると、袋の中身を取り出してみる。

 銀の粒が入っている。貧民街には似つかわしくないが、人間の命としては妥当だな。

 袋の中身に誤魔化しがないことを確認し、男に頷くと、彼はさっさと部屋を出て行った。パンを口に押し込み、銀の粒の入った袋を懐へ入れ、外へ出た。

 朝も早くから走り回っている子供たちが「オーリー、剣術を教えて!」などとまとわりついてくるのを、「またいつかな」とやり過ごして、僕が初めてジョズに連れて行かれた家に向かう。

 朝だが、明かりは灯っている。そして建物も立派になった。数年前に改築したのだ。

 この建物の明かりが消えているところを、僕は見たことがない。

 一階に踏み込むと、朝食の最中の男たちがこちらを一瞥し、次には表情をほころばせる。

「へい、オーリー、景気は良さそうだな」

 まあね、と応じて、男たちに手を振って吹き抜けになっている二階へ階段を上がっていく。ここにいる男たちを前にすると、僕は少しだけ安堵する。仲間だから、とか、同じ立場だから、とか、理由はありそうだけどあまり考えたことはない。

 二階から通路を進むと、女たちと出くわした。誰もが疲れた表情だが、僕を見ると笑ってくれる。

「朝早いわね、坊や。お仕事は順調?」

 赤いドレスの女に、ぼちぼちだねと応じて、他の二人には挨拶程度で、すり抜ける。

 三階は素通りし、最上階の四階へ。

 四階は一人の男の住居で、その男を僕たちはただ、親方、と呼んでいた。

 階段の終着点がドアで、そこを開けると明かりが眩しい。天井が全てガラス張りなのだ。そして無数の植物が繁茂している。ここでしか見られないものも多い。蝶がヒラヒラと飛んでいる。

 奥へ進むと、ソファとテーブルが置かれている。このフロアに壁はなく、植物が区切っているスペースが無数にある。その中に親方の寝室もあり、よく眠れるものだと僕はここに来る度に思う。実に酔狂である。

 ソファに座ると、少しして初老の男性がやってきた。部屋着姿で、片手にマグカップを持っていた。僕に気づいて出てきたわけで偶然ではない。その辺りは鋭敏な男である。

「オーリー、仕事は失敗しなかったようだな」

「四人、余計に切りました」

 その話をするために、ここへ来たのだ。

「この街の人間ではありません。目的が思いつかないのです」

「嘘は良くないぞ、オーリー」

 ソファに座りながら、そんなことを言う親方の顔は笑っている。こちらの心中などお見通し、ということだ。

 僕は無表情のまま、推測を口にした。

「僕が狙われているのでは、と思います」

「今まで、何人を切ったか数えているか?」

 くだらない冗談だ。わかりませんと答えて、やり過ごす。

 切った人数は、最初こそ数えていた。それももう昔のこと、とっくにやめてしまった。

「俺が把握している範囲でも、百人に近い」

 別に驚くような数字ではない。それに驚くとしたら、百人を切ったことより、百人に切られなかった方が驚異的だ。

 戦場に出たのなら、百人を切るには相当な実力、それ以上の幸運が必要だろう。ただ、戦場と比較できないのは、街で人を切るときは、大抵はその相手を退ければ、終わる。短い時間に集中と体力を傾け、短期決戦になる。

 親方はズズズとマグカップの中身をすする。コーヒーの匂いが僕の方まで来た。

「お前を恨んでいるもの、憎んでいるものは大勢いる。復讐ということだな。あるいは報復。実際にお前を切る実力のない奴は、お前に懸賞金をかける。お前の首の値段を教えてやろうか?」

 返事をしない僕に、あっさりと親方は口にした。今朝、僕が受け取った銀の粒の袋一つなんて、問題にならない高額だ。

「いずれは強敵が現れる」

 親方がこちらを見る。鋭い視線。本気の視線だ。

 でも僕が怯えないのは、何故だろう。

 数え切れないほどの相手が、僕に殺意のこもった視線を向けてきた。命を奪おうと、首を撥ねようと、それだけを考えている目だ。狂気に支配されているとも言える。

 自分の命を無視して、後のことも考えず、ただ僕を倒すだけの目つき。

 そんなものに慣れてしまって、僕は相手の意志、迫力を、自然と受け流せるようになっているみたいだ。

 しばらく僕の瞳を覗き込んでから、親方はふっと力を緩めた。空気が少し和らいで、つまり、親方の気迫はそれくらい強かったことになる。空気の張り詰めた状態を感じ取ることは、剣を向けあう時には、呼吸を読むのと同じくらいに大きな要素である。

 親方がテーブルにマグカップを置いた。

「気をつけることだ、オーリー。背後にも、身内にもだ」

 ええ、そうします、と応じて、僕は席を立った。今の一言で、おおよその目的は果たせた。

 親方が言う通り、僕を狙っている奴がいるし、それがすぐそばにいることも、暗に匂わせた形だった。彼の立場からすれば、自分の部下を堂々と疑うわけにはいかないんだろう。常に度量の広いところ、余裕や寛容さを示す必要もある。もし組織の害になると思えば、非情に徹する必要もあるだろうが。

 少なくとも、まだ僕が切って捨てられることはないらしい。

 一階まで降りると、男たちが食事を終えて、朝から酒を飲んでいた。この建物の警備を兼ねているはずだが、誰もこの建物を襲撃する、そんな無謀はしない、ということか。この建物は、言ってしまえば悪の中枢で、下手に手を出せば悪党どもにすり潰されてしまうだろうし。

 外へ出て、例の闇医者のところへ行った。路地はひっそりとしていて、屋上の診察室へ行くと、医者の老人が僕が治療を受けたベッドに横になり、いびきをかいている。僕の気配に気づいたのは隣の部屋にいた彼の孫で、顔を出すと、ああ、という顔になる。

「オーリーさん、祖父にご用ですか?」

「お金を払いに来ただけだよ。渡しておいてくれ」

「ええ、わかりました。傷は背中を?」

 この青年は僕と同年輩だが、祖父に負けず劣らず腕はいい。今も僕の動きで傷を負った場所を見抜いているのだから、見るべきものあるし、僕も何度か実際に診てもらったことがある。

 彼の父は夫婦で第四都市の一角で診療所をやっていて、そちらも名前が通っているが、その息子である青年が、祖父と闇医者稼業に精を出すとは、わからないものだ。

 診ますよ、と言われたが、それは断って辞することにした。

 路地から通りへ抜ける。行き交う通行人を透かし見るように、周囲の視線に気をくばるが、何もない。普段通りに通りを通行人が、通り過ぎていくのにも不審な点はない。

 しかしどこにいても、僕は気を抜くことを許されない。

 買い物をして帰ろう、と一歩を踏み出した時。

 背後で涼しい音が鳴った。

 剣が鞘を走る音。



(続く)

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