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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
影に咲く剣
27/188

1-27 頬に傷

     ◆


 内側の城壁を抜けた。馬車は曲がりくねった道を進んでいく。

 かなり遠回りしているけど、ちゃんと馬車が通れる道があることになる。考える必要もないけれど、もし国王や王族がどこかへ逃げる時は、走って逃げるのか、それとも馬に乗るのか、馬車に乗るのか、気にはなる。馬車で逃げたら、やや効率が悪いかもしれない。

 馬車が止まり、降りると、そこはもう門の内側で、巨大な建築のすぐそばだった。隣には巨大な塔がそびえ、それが王城の中心らしい。そこに接するようにある建物に、案内された。

 廊下は窓が多く、光が強い。どこか第四都市で見た、あの温室を連想させるけど植物は見えない。チラッと見ると中庭は緑は少なく、岩や石、砂利が何か意味ありげに配置されているだけ。

 階段を上がり、上の階へ。二階の廊下も、また眩しいほど光が差し込む。その辺りを考えて設計されているのかも、と不意に気づいた。

 部屋の一つに通される。足を踏み入れて、思わず声が漏れそうになった。

 小さな扉に見合わない部屋だ。板の間で、天井の真ん中に明かりを取るための穴があり、すりガラスが柔らかな日差しを導いている。板の間と言っても、長い時間によって自然と磨かれた美しい色合いをしている。歴史さえも感じられた。

 家具は何もなく、扉は僕が入ってきた一つと、奥に二つ。

 剣術の訓練をする部屋だとすぐにわかった。近衛兵は入ってこないので、ドアが閉まれば僕一人だ。

 観察するものもない、と思っていると奥のドアが開いた。

 やってきたのは少年で、椅子を抱えている。顔立ちの整った少年で、人形めいている。重そうな椅子を運び、何か位置が決まっているかのように微調整してそれを置いた。

 頭を下げ、少年が出て行くのと入れ違いに、やっと目的の人物がやってきた。

 腰には二本の剣。長い髪をひとつに結んでいる。穏やかな表情には、攻撃性は少しもない。

「逃げないのは立派だ」

 そう言って彼は僕の前に立ち、少し眉を上げた。

「私の名前を聞かないのか?」

「剣聖、ということがわかれば十分です」

 笑い声を漏らし、彼は頷く。

「それでは俺が無念だよ、オーリー。名乗らせてくれ。私の名前はガング・キュリオス。国王陛下に仕える、烈の剣聖だ。クラッシュとも呼ばれる」

 握手でもしそうな雰囲気だったが、彼はそんなことはしなかった。こちらを水面のように澄んだ瞳で見て、一歩、二歩と下がった。

 これから斬り合いになるのは、誰でもわかる。

 彼には僕を切る理由がある。そしてその理由を否定できない僕でも、おいそれと切られるわけにはいかない。

 剣聖の実力とは、どれほどか。

 剣をいつでも抜けるように、体の力を抜き、姿勢を整えた。

 だが、びっくりすることにガングはゆっくりと両膝をつき、手を妙な形に組むとその姿勢で目をつむった。

 静寂。瞑想状態のガングには、どこか人間離れした気配が宿っている。

 今、打ちかかって、どうなるだろう。とても不意を討って倒せるとは思えない。

 隙がないわけじゃない。

 ただ、信じられないのだ。自分の剣が、届かないという妙な予感がある。打ち消すことができない予感だった。

 ドアが開いたので、そちらを思わず見ていた。もしガングがその気なら、抜き打ちで切られたかもしれない。

「こんなに朝早くから、剣士というのは生き急ぐものだな」

 そんなことを言って入ってきた男に、僕は見覚えがあった。

 賭場で見た男。剣士とガングと一緒にやってきて、大負けをした男だった。貴族だと思っていたが、こうして明るい光の中で見ると、どこか気品がある。ただ服装は寝巻きのようなもので、高級そうにも見えるけど、シワだらけで安物にも見え、値段は想像できない。

 あくびをかみ殺しつつ、その男がぽつんと置かれていた椅子に座った。

「ガング、寝ているのか?」

 ついにあくびをして大口を開けてから、男が問いかける。ガングはまだ瞑想の姿勢で、動いていない。

「起きております」

「そうかい。で、そちらのきみが今日の相手だな。なんでも王都八傑を一人切ったそうな。あっているかい?」

 世間話のような調子の質問に、どう答えるべきか迷ったのは、この男の素性が予想できたからだ。

 剣聖と気楽に話せる相手は、そう多くない。剣聖といえば、王族の守護者であり、相談役でもある。位としては貴族と同列と言ってもいい。

 つまり、この男の立場は、想像に難くない。

 この男なんて、言ってもいけないのだ。

「オーリー・イエニアと申します。国王陛下」

 頭を下げると、現在の国王ジャニアス三世はひらひらと手を振った。

「かしこまる必要はない。で、本当に八傑の一人を切ったのか?」

「成り行きで、そうなりました」

「不意打ちか? 奇襲か?」

「正面から。お互いに全力を出したと考えています」

 それはなかなか、とジャニアス三世は顎を撫でる。寝巻き姿なのはなぜだろう。そのせいもあって、覇気が全くない。

 ガングは姿勢を変えないまま、黙っている。

 もう一度、ジャニアス三世があくびをする。

「じゃ、オーリーくん、死ぬ覚悟はいいかい?」

「剣聖様と立ち合え、ということですね?」

「立場は問題ないよ。それに敵討ちでもないことを、はっきりさせておこう。ガングにもその気はないだろう」

 思わず目の前にいる剣聖を見た。瞼はまだ降りている。視線が合うことはない。

 国王は椅子に座り直し、なぜか手首をほぐすような動きをした。

「この決闘の立会人は私だ。両者、全力を尽くすように。私は素晴らしい剣が見たい。それが唯一の希望である。合図はいらんな。オーリーくん、好きな時に剣を抜けばいい。それを始まりとしよう」

 そう言ってから、人が悪そうな笑みをジャニアス三世が見せる。

「油断するなよ。大抵の相手は一太刀も浴びせられず、逆に一太刀で殺されるから」

 ふざけた口調だったが、内容を軽視する理由はない。僕はそっと、まだ動かないガングから離れた。広すぎる間合い。

 国王はもう何も言わない。

 呼吸を整える。剣聖と立ち合うというのも、非現実的だった。

 自分に言い聞かせるように、いくつかを確認した。剣聖とはいえ、物理法則は無視できない。そして剣が当たらなければ、負けることはない。魔技には注意が必要だろう。

 腰の剣に手を置いた。ジャニアス三世が、あくび。

 瞬間、僕は剣を引き抜いた。

 目の前からガングが消える。左だ!

 僕の剣は今、右手にある、まるで瞬間的に現れたように、左手側にガングがいる。いつの間にかガングの手には短剣。短い分、早く抜けたのか。

 防御は不可能、僕の姿勢は不完全。右手の剣も間に合わない。

 迫ってくる切っ先を睨みつつ、逃げよう、避けよう、と体を逃がすが、僕の体はあまりにも遅い。

 短剣が下から上に走った。

 転がり、起き上がる。右の頬に痛み。顎から頬へと切られたようだ。瞳は無事、視界も問題ない。

 しかしそんなことを悠長に考える間もなく、ガングが間合いを詰める。

 短剣だけでの連続攻撃。避けるのが難しいほどの速さ。右手の剣を駆使して、短剣を弾き続ける。足払いを跳んで回避し、足払いに連動した短剣による膝への攻撃を床に剣を突き立て、力を込めて倒立。

 空中を一瞬でガングの短剣と僕の剣が複雑に行き交い、宙を舞った僕の体は天井を蹴り、床へ。

 構わずにガングが間合いを詰めてくる。

 防戦一方だった。全身のいたるところを切っ先がかすめ、皮膚が切れ、血が滲んでいく。どうにか動きを鈍らせない程度の傷で留めるしかできない。

 ガングが持っているのは短剣で、つまり普通の剣の長さなら、こうはいかない。

 焦燥感に駆られている僕が間合いを取ると、唐突にガングが足を止めた。

 僕が躊躇ったわずかな間に、彼が左手で長剣を抜いた。

 いよいよ、本気か。押し潰そうとしないとは、手を抜かれているな。

 僕は集中するために、細く息を吸い、吐いた。

 頬から、顎から、血が滴る。

 ガングが、踏み込んでくる。



(続く)

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