1-24 違和感
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非合法の賭場での仕事は、特に問題もなく進んだ。
働き始めて三日目に、清算する時に金がないと言い出す客がいた。ディーラーに掴みかかったのを用心棒の一人が組み伏せ、どこかへ引きずって行った。奥の知らない扉の向こうだ。
他の客は僅かにざわめいただけで、日常茶飯事のように視線を送るだけだ。彼らの様子を見ると、そういう敗者を憐れむことはないようで、しかし人間を見る視線でもない。自分がその立場にならない自信、確信があるような目のやり方だった。
それから十日ほど、連夜、賭場を眺めていたけど、特筆すべき展開はなかった。
二週間が過ぎた頃に、その夜も賭場の壁際に立っていたが、剣士の客が一人、こちらをチラチラと見ている。視線が合いそうになると向こうが逸らすのだが、やや遅い。こちらはわざとよそへ目をやっているように見せかけて、視界の隅でじっと観察できた。
年齢は三十歳になるかならないか。体格は小柄。しかし肩幅は広い。服装は金が余っているという雰囲気ではなく、上等なようだが着古されて見えた。
腰の剣は、質素な鍔と飾り気のない鞘。ただし、柄を見れば長く使っているのがわかる。それくらいの見立ては僕にもできた。
明け方までその剣士は遊び続け、遠くから見たがほんのわずかな負けで終わったようだ。ディーラーに笑顔を見せ、去って行った。
賭場が閉じてから、報告の中で僕はビョウにそのことを言ってみた。
「あれは上客だ。気にするな」
無表情にそんなことを言われた。他の用心棒の様子を、視線を向けずに意識したが、誰も少しも気にしていない。上客というのは、金を多く落とすという意味だろうか。
会は終わり、用心棒も解散になった。
その三日後、同じ剣士がやってきた。服装は違うが、髪型は同じ、剣も同じだ。この日の服装はやや砕けて見えた。ほんの一瞬の観察で、顔が少し赤いような気がした。明かりが薄暗いので分かりづらいが、酒を飲んでいるのか。
不思議と前回は頻繁にこちらを見たのに、この時は全く気にしていないようだ。前回は新入りの用心棒が気になっただけ、という可能性を吟味しながら彼の様子を見ていたが、やはりこちらは見ない。
何事もなく賭場は閉じた。剣士はこの日は少し勝ったようだ。
次にその剣士にあったのは四日後で、この時も当然、服装が違う。平凡な服で、わずかに髪型が違った。この時も僕に興味はないようだった。
仕事を始めて一ヶ月が過ぎ、報酬を手渡された。思ったよりも高額だ。旅籠に戻り、まだそこに留まっているシーマに、金を少しだけ渡した。彼女は嬉しそうにしていたけど、感謝の言葉はそっけない。しかし悪い気もしない。正当な金額に対する、正当な返事だった。
賭場では程々に問題が起き、数人の客がどこかへ消え、新顔がやってきて、そしてまた消えた。用心棒の中にもいなくなるものがいて、しかしビョウは変わらずにそこにいる。
数ヶ月が過ぎて、おおよその客の顔やその遊び方を覚えてきた時、それを目にした。
例の剣士は週に二回か一回、賭場へ来ていて、遊び続けていた。勝ったり負けたりで、トラブルを起こすことはない。何度か大負けしたが、笑いながら清算していた。
その日も剣士はやってきて、サイコロ賭博をしていた。一番小さな卓で囲んでいるのは五人だけ。三つのサイコロを椀のようなものに投げ入れ、そこで出たサイコロの目で勝ったり負けたりする遊びだ。ディーラーはいるが、この賭博は純粋な運の勝負になる。本質的には理屈じゃないのだが、博徒たちは運というものを波のように捉えて、独自の理屈を構築する、そんな遊びだった。
剣士と他の客、そしてディーラーがサイコロを放り込み、歓声を上げたり、悲鳴を上げたりする。僕からはどんな目が出ているかわからないし、あまり興味もなかった。
もう顔を知っている剣士だし、問題も起こさないと思えば、自然と注意が逸れ気味だった。
何かが視界の隅をよぎって、反射的にそちらを見る。いつの間にか剣士の横の席が空いていて、新しい客がそこに座ったのだ。
初めて見る顔だったと思う。年齢は四十代か。武器は帯びていない。ディーラーに人懐っこい笑みを浮かべて、何か話しかけている。
どうしてその普通の男が気になったかは、彼が座った横の席にいる剣士が、明らかに緊張したからだ。ほんの一瞬だ。わずかに視線の動きがぎこちなかったのが、ちょうど見えた。もし見逃したら、もう何の引っかかりもなく、放置しただろう。
周囲を見るふりをして、新顔をそうとわからないように、数回に分けて観察した。
どう見ても普通の男、どこかの商人のような服装で、特徴らしい特徴がない。
ただ、椀の中にサイコロを投げ込む動作が、変に洗練されている。投げる度に願をかけるような動作をするし、身振りも変えているのに、不思議と無駄がない。
本当は剣士じゃないか、とすぐ考えたが、平民の服装をする理由がよくわからない。
ただし、もしもの時のために警戒はする必要があるはずだ。今は剣を帯びていなくても、例えば隣の男の剣を奪うという想像もできた。どれほどの実力か測れないのは、ある意味では不気味でもあった。
その不安は杞憂で終わり、まず剣士が席を立ち、少しして男も席を立った。まだ明け方には早い。二人に関係があるのか、ないのか、少し考え、もちろん何もわからないままだ。余計なことを考えると集中が乱れると考えて、脇に置いておく。
その日の賭場が閉まってからの報告の場で、不思議な男のことを口にしようとしたけど、それより先に別の用心棒がその男の話をし始めた。新しく入ってきた用心棒だ。
「気にすることはない」
それがビョウの答えで、僕は意見を言わないことにした。
以前、あの賭場通いをしている剣士を上客と表現していたことを、思い出していた。今まで、彼が大金をこの賭場に吐き出していることではないのは、総合的に考えれば明らかだ。
なら別の意味で上客で、空想に過ぎないはずだったけど、誰かとの繋がりがあり、その繋がりがあの剣士を特別にしていると考えることが、今はできた。
本当はサクラなのかもしれないし、賭場が雇っている勧誘員のような立場の可能性もあるけど、この夜に初めて見たあの男は、非合法の賭場というものに興奮しているようでもないし、剣士が連れてきたようでも、何か誘いをかけているようでもない。
いったい、あの剣士も、その隣に座った男も、どういう立場なんだろうか。仕事に支障が出るなら、ビョウが教えてくれるだろうから、問題はないとしておくしかない。
旅籠に帰り、眠り、夕方になる前に目が覚めても、脳裏にはサイコロを投げる動きがしっかりと焼き付いていて、食事の間もそれを繰り返し、なぞった。
どこにも特別なところはない。余計な動作も多い。
それなのにその中に、剣が最短距離を進む時に似た要素がある気がした。
食事を終えて賭場へ向かいながら、まだ考えている自分がいて、珍しいことだし、さらに珍しいことに忘れるように自分に言い聞かせていた。
賭場に上がって、客がやってくる。剣士は来ないし、当然、例の男も来ない。
また何もない、静かな日々が続いた。
季節が進み、長い夏の暑さも徐々に空気から抜けてきた頃、次の動きがあった。
剣士と、例の男が同時にやってきた。
もう一人、男性を伴って。
(続く)




