1-23 賭場
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賭場は驚くことに、大きな料理店の最上階だった。三階建の建物で、いざという時、どうやって逃げるのだろう?
シーマに言われた通りに一階の受付で符丁を口にすると、こちらへ、と笑顔で給仕の服装の男性が僕を奥に導いた。明るい廊下の先の事務室だが、そこで待っている男は笑顔ではない。
「名前は?」
タバコではなく、太い葉巻をくわえたまま、もごもごとそう訊ねられた。
「オーリー・イエニア」
「誰に剣を習った?」
まさか貧民街の悪党とは言えない。少し気を利かせて答えるしかない。
「独学です。師匠が相手を切ってくれるものでもありません」
男の顔に笑みが浮かぶ。良いね、と言ったようだが、あまりにも発音が曖昧で、そう解釈しただけだ。僕は無表情のままで、別に笑うような場面でもないし、愛想で用心棒が務まるとも思えないかった。
目の前を葉巻の甘い煙が漂い、よし、と今度ははっきりと言って立ち上がった彼は、僕の横を抜け、「ついてこい」と言った。この時は葉巻を手に持っていた。
廊下へ戻り、さらに奥へ行く。扉があり、その先は階段。何度か折り返して上がっていき、また扉。その先はまたも廊下。だけど今度は明かりが抑えられている。賭場によくある、人相を分かりづらくする配慮だった。
先導されて、一番近い扉の奥に男が入り、僕も続く。
金属の匂いがした。そこにいるのは、二人の男で、話していたようでもなく、少し離れてタバコを吸っていた。煙の匂いがしないのが不思議だ。それよりも刃物の気配が濃い。
二人の男が立ち上がり、僕をジロジロと見た。
「新入りだ。腕は知らないが、この顔だからな、使うんだろう。仕事を教えてやれ」
そう言って案内した男は部屋を出て行こうとした。
出て行くのを待たずに、二人の男が殴りかかってきた。暴力による洗礼、というわけだ。あるいは試験かもしれない。
床に這ったのは二人で、僕の拳が二人を打ち据えた音で、出て行こうとした男が思わずといった風に足を止めるが、表情には何の感情もない。そういう人間を僕は信用できると思っている。
呻いている二人の男をチラッと見てから、「奥に行け。責任者は片目の男だ。仕事を教えてもらえ」と、倒れた二人にはもう興味が失せたように部屋を出て行った。
まだ起き上がれない二人を介抱するべきかもしれないけど、殴りかかってきた相手を返り討ちにして、その世話をするのでは、殴られた方も立つ瀬がないと考えた。幸い、意識は失っていない。痛みが引けば、普通に戻るはず。
部屋を出て、廊下の奥の扉を開いた。
ラジオが鳴っているがほんの些細な音。賭場は意外に広く、非合法とは思えない。テーブルがいくつもあり、数種類の遊びが行われているらしい。札を使うもの、サイコロと駒を使うもの、無数の駒の組み合わせで点数を競うものなど、僕も見知ったものばかりだ。
第四都市の貧民街に賭場があって、何度か助っ人で用心棒をした。
片目の男を探すと、壁際に立っている。こちらを見ていて、視線がぶつかった。軽く頭を下げ、歩み寄ると、「新入りだな?」と向こうから声をかけてきた。
「お世話になると思います」
「控室に二人いたはずだ」
「いました」
「生きているか?」
その質問には少し微笑ましいものがある。こういう質問は、殺す程度の実力か、手加減できる程度の実力かを訊ねているわけで、力量と結果が反比例のような関係になる。
「すぐに起き上がれると思います」
「殺しが嫌いか?」
今度の質問には、さすがに笑みが消えた。質問の真意があまりわからなかった。
「好きではないと思います」
「それは都合がいい。客を殺されてはたまらん」
今度は男がわずかに口元を緩めた。
それから仕事について教えてくれたけど、やることは見張りで、もしトラブルが起きたら、その客を逃がさないようにする、という程度だった。トラブルというのは、イカサマがバレるか、清算する時に金がないとか、あるいは酒に酔って暴れるとか、そんな可愛いものだった。
その夜から僕は賭場の隅に立って、じっと客の様子を見るように言われ、片目の男が指差した場所に立って、賭場を眺めた。
賭け事に興じているものは様々で、見るからに裕福そうな男もいれば、どう見ても普通の住民に見える男もいる。全体の三割ほどは女で、ただ女は自ら賭けに興じるのではなく、男に同伴しているようだった。みんな露出の多い服を着て、化粧もしっかりと施している。年齢も幼いというほどではなく、しかし年増というほどではない、女盛りとでも呼べばいいのか、そういう年頃だ。
注意するべきはそんな客ではなく、剣士の客だということはわかった。
この賭場の不可解なところは二つ。一つは最初から疑問だった、いざという時の脱出手段。手入れがあった時、どうやって逃げ出すのかは謎だった。もう一つが、剣士から剣を取り上げない、ということだ。
剣士が自暴自棄にでもなって剣を抜けば、怪我をするものが出るだろう。
部屋の壁際に立つ用心棒の数は、ざっと見て六人。卓の間を行き来するものが十人ほどか。それに対して剣士の客が見える範囲では、六人はいる。バラバラの卓に並んでいるが、もしこの六人が結託すれば、修羅場になるかもしれない。
でもそれは素人の僕でもわかること。もしかしたら客を選んでいて、連携したりしないし、ヤケを起こさない客しか入れない可能性はある。
夜が更けていき、客たちの一部を帰っていくが、不思議と入れ替わるように新しい客が来る。時間とともに酔っているものが増え、そういう客は比較的、早く帰っていく。
明け方になると空いている席も増え、少し気が楽になった。最後の客が帰り、ドアが閉まった後、ディーラーの立場の者たちがふっと息を吐いたのが印象的である。用心棒たちはそんなことはしない。緊張の種類が違う。用心棒の緊張は、もっと緩慢に抜けていく。
片目の男のところに集まり、気になる動きをしていた客について用心棒たちが報告したけど、僕にはまだよくわからない。その報告会もすぐ終わり、片目の男が解散を告げ、それぞれに部屋を出て行く。
「名前は?」
片目の男が声をかけてきたので、僕は足を止めて振り返った。彼はタバコに火をつけている。
「オーリーです。あなたは?」
「ビョウ」
「よろしくお願いします、ビョウさん」
タバコの煙を吐いてから、軽く僕の肩を叩いて、彼が先に部屋を出た。
こうして初日の仕事が終わり、あまり疲れも感じなかったが、太陽が上がった頃に旅籠の一階に戻れた。中に入ると、女将の姿はない。しかし料理は仕込んでいるようで匂いがした。厨房の方を覗くと、皺だらけの顔の老人が、鍋をかき回している。
視線がぶつかる。
「何か、食べ物はありますか?」
「何がいい?」
「素早く食べられるものだと、助かります」
そこで待ってろ、と老人が囁くように言って、厨房の奥に行ってしまった。まさか一人で全てを作っているわけではないだろう、と思ったけど、他に人気はない。助手はこれから来るのかもしれない。
立ち尽くして待っていると、老人が戻ってくる。平たい器にのせられているのは細い縮れ麺で、その上に肉と野菜を細かく刻んだものが混ぜられた味噌が載っている。箸はもう差し込まれていた。
「これで味を調整しろ」
そう言って老人は小さな器を添えて、中身はどうやら汁らしい。汁で味噌を溶いて、好みの味付けにしろということなんだと思う。礼を言って、自分で席についていい加減に汁をかけて、混ぜて啜る。麺は水にくぐらせたようで、冷たい。もっと暑い気候ならもっと美味く感じたとぼんやり思った。
食べ終わって礼を言って食器を戻す。金を払おうとすると、
「娘が来てからで良い。伝えておく」
と、返事があった。あの太った女将が娘なのか、と思考が言葉を辿って、驚きがあったが、あまり踏み込むのも危険と判断して、そこを離れた。
昨日のうちに教わっていたシーマの部屋に行くと、足音で気づいたのだろう、ノックと同時に扉が開いた。シーマがどこか得意げに笑う。
「無事に仕事ができたみたいね」
「お陰様でね」
「私を雇うってことよね」
「え? きみに何ができるの?」
正直、全く予想できなかった。
「洗濯、掃除、食事の調達、いろいろな情報収集、そして王都の常識を教える」
全て自分でできる、と言いたかった。ただ、この少女を放り出すのは気が引ける。非合法の賭場に口をきいてくれたわけで、何かあれば少女の身に災難が振りかかる可能性がある。
意図してかどうかは知らないけど、僕と彼女は部分的に一蓮托生になった、とも考えた。
「私を信用してないの?」
観念して、僕は言葉にした。
「信用するしかないじゃないか」
(続く)




