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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
影に咲く剣
21/188

1-21 問答

     ◆


 連れて行かれた先は豚肉料理の店だった。

「豚肉は疲れを癒すらしい。まぁ、気休めだがな」

 個室に通されてから、クツルがそう言った。彼は店に入った直後から、店員たちに話しかけられて、嬉しそうに応じていた。馴染みの客というよりは、もっと親しげな関係のようだ。

 僕は黙って給仕の出してくれたお茶に手を伸ばす。

「第四都市業火事件では、大勢が死んだと聞いている」

 低い口調でクツルが話し始めるけど、僕は構わずに器を手に取る。茶はまだ暖かい。すぐに飲める程度の温度だ。そっと口をつけると苦味が広がるが、不快ではない。

 クツルはテーブルの上に置いた手、その指を何かのリズムを刻むように動かしている。

「事の次第は王都でも話題になって、だいぶ調べが進んだ。事の始まりは、シュダ・キャスバの後援者が第四都市へ遊びに行き、それを悪党が確保したことからだ。どうやら身代金が目的だったようだが、詳細は知らん。その時には王都で、その後援者の老人の息子が、シュダの奴に泣きついた。やはり私にも詳細は理解できないが、シュダは仲間を引き連れて、第四都市へ向かった」

 器の中身を少しずつ飲みながら、僕は耳だけを傾けた。まだクツルは器に触れもしない。もう茶は冷たくなっているのではないか。

「誰がどうやって、実際のところを把握したかは知らないが、おそらく老人は殺されていて、シュダは何を思ったか、悪党どもの巣窟である貧民街に火を放った。そして部下と共に、歯向かうものを皆殺しにした。正しいかい?」

「ええ、まあ」

 話を聞いているうちにどこかで火が爆ぜる音がした気がした。それを遠ざけるために、わざと曖昧な態度を選んだ。すでに過ぎたことで、重要かもしれないが、いくら整理して、理論付けしても、何も戻ってはこない。

「悪党どもの反撃を受けて、シュダの事務所は壊滅した。やっていることは悪党以上に悪党だが、力量はあった。誰が切ったのか、それは王都でも話題になったよ。シュダ自身も切られて、死体になって戻って来た」

「残念でした」

「まさか」

 ぐっとクツルがこちらに身を乗り出す。

「あんな剣が上手いだけの小悪党は死んだ方がマシだ。剣聖の弟子だからみんなが敬うが、それにあぐらをかいた大馬鹿者だ。金ヅルのために街を燃やし、ついでに自分も部下も死んで、何も残ろない。何をしたかったのやら」

 そこへ給仕が料理を運んできたので、会話が中断する。給仕が去ると「さっさと食いな」と促してくる。僕は料理の豪勢さより、クツルが何も注文していないのが気になっていた。自然と料理が出てくるのである。訊ねるべきかもしれないけど、ややこしいのはやめておいた。

 黙って食べようと、箸を手に取った。

「第四都市には行ったことはないが、めぼしい剣士はいないはずだった。そういう情報をよく探るのさ。剣術の使い手は、めったにいないし、すぐ死ぬ。私の弟子も形になるものはまだいない。四年ほど、道場で大勢を見たが、誰もいないんだ。だかお前は少し違う」

 豚肉を煮込んで柔らかくしたものを、苦労して箸でつまむことで、もう一度、促す言葉を回避した。クツルは話を先へ進めた。

「シュダは王都八傑として、認めたくないが並の使い手じゃなかった。一流だ。私や他の八傑はほとんど並んだ実力だが、私と奴が戦えば、どちらも無事では済まないはず。どう思う?」

 さすがに回避しきれず、今度は豚肉を薄く切ったもので野菜を巻いて揚げたものを口に運ぶ動きを一時的に、止める。

「クツルさんの剣を見たことがありません。真剣を、ということです」

「剣を抜くことは、生死を賭けるということ。むやみやたらには抜かない」

 それはそうだろう。

 だけどそれは、王都という温室の中での、生ぬるい空気じみた発想。

「ここに来るまで、様々なことをしました」

 何も言わずに料理に手をつけたクツルが食事をしながら、視線だけがこちらに向けられる。僕はできるだけ相手に伝わるように、考えた。

「用心棒として、路銀を得ました。用心棒たちはむやみやたらに相手を切るものではありませんし、刃を抜くものは少ないです。抑止力とでも呼ぶべきものですから。しかし、盗賊や山賊は、刃を抜いて向かってくる。そうなれば、こちらも剣を抜くしかない」

「それで?」

「用心棒は、外見も大事です。強いように見えるものに襲いかかるのは愚かですから。ただ、ある程度の観察力や経験があれば、誰には挑んでいけないか、わかります。反対に、誰なら倒せるかも。それなのに、時折、真剣を抜くと豹変する者もいる」

 嬉しそうに笑いながら、クツルは食事をやめない。僕はもう箸を置いていた。

「真剣を抜くことは、それだけ大きなことだと僕は感じています。覚悟や冷静さ、沸騰、そういうものが真剣を抜くと体に染み入る。だから、僕はクツルさんの実力を本当の意味では知らない」

 そこまでしゃべって、少し疲れている自分を感じた。元から話をするのが得意ではない。話しすぎたな。呼吸が上がるわけでもなく、体が重いわけでもないが、喉元がやや不自然だ。

 僕はもう一度、箸を手にとって、野菜が入っている汁を飲んだ。何で味をつけているのか、程よい塩加減だ。

「真剣で人を切ることは」クツルがゆっくりと言った。「王都では滅多にないな。ここは平和で、何より、陛下の膝下。むやみに血を流してはいけない」

 それはどこの街でも同じだろうと思ったけれど、声にはしなかった。どんな街でも、道でも、人を切ることは間違っている。王がいようといまいと、そんなことは大した問題ではない。

 またクツルが黙ったので、静かな中で食事が進んだ。

「どこかに行くあてがあるのか? 何をしに王都へ来たんだ?」

 そう訊ねられ、「鍛冶職人に会いたいと思いました」と答えたけど、これは用意していた答えだ。実際、ライコクと同門の職人がどんな剣を作るか、興味はあった。

「鍛冶職人?」

 ちらっと今は僕のすぐ横にある剣をクツルが見た。

「新しい剣を所望しているのか?」

「この剣に不満はありません。ただの興味本位の、見物のつもりです」

 不思議な奴だ、とクツルが笑った。

 あらかた料理も食べ終わり、給仕がまたお茶を運んできた。最初に出てきたものとは色が違う。濃い茶色をしていて、湯気が上がっている。

「きみの剣術を試したい。真剣で」

「殺し合いはこの街ではできないのでしょう?」

「命を賭してでも、きみの剣を見たい。そしてもし私が勝てば、私の部下になれ」

「無駄なことです。負ける時は、死ぬ時です」

 じっと睨まれたけど、僕はそっと視線をそらして、器の中の茶を見た。まだ湯気が、ゆっくりと身をくねらせるように立ち上り、消えていく。

「殺しはしない」

「僕は殺します」

 空気が軋み、音にはならない悲鳴のように、甲高い音がなった気がした。

「シュダを切ったか?」

 今までになく、硬質なクツルの声。

「おそらく」

 そう答えると、彼は細く息を吐いた。そしてどうやら、視線をテーブルに落としたようだ。もちろん、料理の残りを見ているわけではない。僕が器の中を見るのと一緒だ。

 何かを考える時、人間は目の前を見ながら、実際にはそれ以外を見ている。

 また沈黙。今までで一番、濁った沈黙だった。降り積もったものに埋まってしまったような、息苦しい沈黙。でも僕には苦ではない。待つことだ。そして、息を浅くすること。

 ガタリ、とクツルが席を立った。

 何か言うかと思ったが、彼は無言のまま僕の横をすり抜け、個室を出て行った。

 しばらく一人で椅子に座ったまま、器を見ていた。湯気は徐々に薄くなり、完全に消えた。

 静かだ。先ほどとは違う静けさ。僕の中にある答えの出ない感情が、まるで濁った水のどこかに焦点を合わせるように、僕の思考を散漫にしている。ただ、自分のことだけ考えればいい、自分の内側だけを見ていればいいのは、楽だ。

 器を口につけると、静かな音ともに給仕がやってきた。お茶のおかわりはいるかと聞かれ、もう出ますと答えて僕も席を立った。

 支払いはクツルがしてくれていたが、礼を言うことはできそうもない。

 店の外へ出て、意外に旅籠の一階の食堂も、いい味をしているな、などと青空の下で考えた。




(続く)

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