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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
影に咲く剣
20/188

1-20 剣を振らない勝負

     ◆



 次の日も、例の事務所へ向かった。

 看板を見ると「オージー剣術事務所」と書いてある。その看板は小さくて控えめなので、前日は気づかなかった。

 早い時間だったので、一階の道場ではまだほんの四人しか人はいない。その四人も稽古着だが、木の棒を弄びながら雑談をしている。

 あまり何も考えずにじっと見ていると、そのうちの一人が僕に気づき、こちらへやってくる。窓が開けられて、少し汗の匂いがした。

「入ってこいよ」

 近くまで来ると、男はそれほど若くない。三十代くらいか。髭がうっすらと生えている。その男の向こうで、三人がニヤニヤと笑っている。

「遠慮しておきます」

 できるだけ穏便に済ませたかったが、男はまだニヤニヤと笑っている。

「そのナリは形だけか? 度胸試しで顔に傷をつけたのか?」

「その通りです」

 劇的に男の雰囲気が強張り、「来い」とさっきとは打って変わった声が口から漏れた。怒りを通り越して、殺意さえ籠っている声だ。

 無視できるかもしれないが、しかし、これは例の指導者の男に近づく好機かもしれない。

 頭を下げ、窓を離れて入り口から中に入った。四人のうちの一人が棒をこちらへ投げてくるが、わずかに距離が足りずに床に転がる。

 屈んだところで、棒を叩きつけられるのはわかっていた。

 だから、そっと手で払った。素手だが、コツさえ掴めば、わずかな力で勢いを逸らせる。

 棒の先が床に当たって跳ね返った。棒を持つ男もよろめいた。手が痺れただろう。

 うろたえる彼らの前で、僕は棒を手に立ち上がった。

「どうぞ、お好きなように」

 さっと三人が棒を構えて、取り囲んだ。三対一か。

 急に周囲が燃え盛っているような気がした。

 熱と煙の匂い。地獄の顕現。死と破壊が吹き荒れる世界。

 男の一人が声を上げた。ハッとして、視線を向ければ、男が三人、まとめて飛びかかってくる。炎も匂いも、消えた。

 ゆっくりとこちらに向かってくる三人は、遅すぎる。

 僕の体は、普通に動く。

 すれ違い、二人が倒れこみ、一人は棒を取り落とした。悲鳴を上げているのはその男で、手首を押さえ、膝を折ってうずくまる。他の二人は気を失っている。少し強く打ち据えすぎたかもしれない。

 棒を僕に渡し、離れて見守る様子だった男が唖然としてこちらを見ている。僕は棒を構えるでもなく、彼を見やる。見ていて分かるほどブルブルと震えた男が一歩、二歩と下がる。

 そちらに歩み寄ろうとすると、扉が開く音がして、静かな声が発せられた。

「それくらいにしなさい」

 そちらを見ると、例の指導者の男性だった。稽古着で、こちらに歩み寄ってくるが、不自然なほど足音がしない。まるで重心がぶれないのは、どういう訓練を積んだのか。

 何も気にした様子もなく、彼は倒れている二人に活を入れ、手首を抑える男に何か声をかけた。そして無事な男に、三人を病院に連れて行くように指示を出した。

 こうして彼と僕の二人だけになった。

「きみの名前は?」

「オーリーと申します。失礼しました」

 頭を下げたが、帰る気は無かった。僕だけではなく、彼もこのまま僕を帰さないだろうと、変な確信があった。

 床に転がっていた棒を取り上げ、何も言わずに構えを取る。こちらも棒を構えた。

 間合いはやや広い。少し詰めないと、一撃を繰り出すのは難しい。

 そう思った時には相手が動き出し、近づいてくる。

 普段と違うのは、僕の方が遅いことだ。

 すれ違う。

「何をやった?」

 そう言われた僕は、こめかみを汗が伝うのを感じて、冷静になるように心がけた。

 あまりにも早い剣に、受けるのもほとんど不可能と判断した。だから、可能な限り早く身を引いて、同時に棒を最低限の動き、最短距離の振りで、僕の肩を打とうとした棒を弾いた。

 真剣だったらどうなったかは、想像したくなかった。

 振りが早いのか? 違う。こちらの予測を上回る踏み込みが理由だ。

 また沈黙がやってくる。間合いはやはり広い。

 今度はこちらから仕掛けた。間合いを詰め、深く踏み込む。

 一振りで相手を崩す。さすがに速さが違うので、不完全。身を引かれて、間合いを作られる。構わず前進し、二度目、三度目の振りも交えて追撃。

 四度目の振りは、完璧に捉えた。

 男性の像がぶれた気がした。

 反撃に備えるが、反撃は来なかった。目を見張ってこちらを見る男性に、僕は先ほどの彼の問いを返したかった。

 今の動きは、やや常識を外れている。たぶん、足を送る技術を極めているんだろう。実際はわからないが、滑るように移動したように見えた。

 お互いにもう何も言わずに、じっと動きを止めて、視線だけをぶつけていた。お互いに隙を探し、どこから崩すか探っている、そんな視線だ。

 誰もやってこない。やってきても、どちらにもそちらを見る余裕はないだろう。

 まるで真剣、まるで殺すつもりで棒を向け合っている。

 汗が滲み、流れていく。呼吸は浅いが、時間とともに乱れていく。

 足が今にも前へ飛び出そうとするのを、抑える。誘われれば、逆襲される。それはこちらも同じ。踏み込ませようと誘っても、彼は出てこない。

 実力は伯仲か、あるとしてもわずかな差だ。

 その差は、そっくりそのまま結果にならないと、確信が持てる。こちらが上なら彼はそれを逆手にとって、隙を突いてくる。逆にこちらも、ひっくり返せる余地がある。それくらいのわずかな差。

 棒の一振りで言えば、同時にそれぞれの頭を砕く程度の、一瞬の中の一瞬の前後しかないはず。

 沈黙が圧力を持ち、体力を奪う。

 それを振り払いたくて、決着を望む心が起こるのを、唾を飲むように心の奥に押しやる。

 いつまで続くのか、と思っているところで、相手がすっと身を引いた。まだ油断せず、僕は棒を構えていたけど、もう一歩下がって棒の先が下げられたところで、僕も構えを解いた。

「どちらから来たのかな、オーリーくん」

「第四都市から参りました」

 ふぅむ、と男は顎を撫で、にっこりと笑った。

「私はクツル・オージーという。この上の事務所の所長だよ。私の部下にならないか? オーリーくん」

「用心棒ですか? いえ、あまり興味がありません」

「それだけの剣を使うのに、興味がないか。王都八傑の助手にもなりたくないか?」

 王都八傑?

 ああ、今は違うな、とクツルが頭に手をやる。

「一人欠けて、王都七傑か。座りがいいんだか、悪いんだか」

 笑いながら、服の袖で汗を拭うと「とにかくは稽古の後に飯だよ。稽古を隅の方で見ていなさい」とクツルは言って、こちらに手を向ける。木の棒を返せ、ということらしい。

 手渡すと、「これはまた」と笑みを深くする。それから自分が持っていた棒をこちらに差し出す。

「持ってみなさい」

 不思議に思って掴んでみると、軽い。僕が振っていた棒は中に何かが詰められているとやっと気づいた。

「腕力をつけるために金属が軸に入っている。よくあれだけ早く振れたものだ」

 クツルが肩をすくめた。

「しかしこんな棒で打たれては、怪我をするだけだろう。あいつらもまた、頭がないことだ。重ければ触れないと思ったんだろうが。破門にしようかな」

 僕は軽い棒を返し、その辺りへと示された板の間の隅に座った。

 少しすると門人がやってきて、稽古が始まる。しかし稽古はやはり退屈だった。物足りない剣術で、剣術というより遊び、チャンバラと言えばいいのだろうか。クツルが教えている相手の大半は、王都で暮らしている住民のようだ。

 つまり、趣味なのだ。剣術を極めようとするものは少ない。

 稽古が終わり、門人たちが去っていき、最後に残ったのはほんの二人だ。

 それからは少し見所のある稽古があった。二人はクツルの懐刀なのかもしれない。この二人の剣術は実践的で、ただ、クツルとは差がありすぎる。

 昼前に稽古が終わり、二人の門人に何かの指示を出し、クツルがこちらへ来る。

「汗を流して着替えてくる。腹が減っただろう」

 どう答えるべきか迷って、頭を下げるだけにした。

 玄関で待っていてくれと言われたので、少し待つと服を着替えたクツルが出てくる。

「何が食べたい? 話の駄賃として、何でもいいぞ。その代わり、聞かれたことに素直に答えろよ」

 快活な笑みを見せて、強い力で肩を叩かれた。

 王都で何が食べられるか、あまり知らないとは言えず、黙っているわけにもいかず、

「お店はお任せします」

 と、答えるしかなかった。

 それが可笑しかったのだろう、クツルは豪快に笑って、僕の先を歩き始めた。



(続く)

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