1-19 王都
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王都に来たものの、目的はない。
王都八傑の中の一人が欠けたことは、どうやら王都の住民には当たり前のことになっているらしい。通行人の剣士に訊ねると、不思議そうな顔をしながらもその欠けた八傑の一人の事務所の場所を教えてくれた。
実際に行ってみると、事務所の建物は立派だったが、看板は降ろされて人気はなかった。
「兄さん」
いきなり声をかけられてそちらを見ると、ニコニコしている魚売りの男だった。年齢は三十代くらいか。棒の両側に桶を下げて、その棒は彼の肩に乗っている。天秤みたいだ。
「八傑に弟子入りって感じかい? どこから来たね」
「いえ、そういうわけではないのです」
愛想よくしようとしたけれど、声はいつも通り、単調なものになってしまった。僕の態度に、しかし男は動じた様子もない。
「この先にね、八傑というか、今は七傑だが、その一人の事務所がある。そこに行くといい。いい報酬が得られるって話だ。いいよなぁ、剣士っていうのは。まぁ、金があっても死んじまったら終わりだがね。ははは!」
その七傑の一人の名前を聞こうとしたが、それより先に男が「魚を買うかね?」と言ってきて、剣士の気迫とは違う別の気迫があったので、思わず名前も知らない川魚を二匹、買っていた。男は懐から出した厚手の紙で魚を包んでくれた。
改めて質問しようとしたが、男はすぐに桶を持ち上げて、歩き出す。引き止めるのも申し訳ない、と思い直した。商売というのは、剣士にとっての決闘に近い要素だろうと僕も理解していた。商品が売れなければ、生きていけない。商売でじわじわと首を絞められて生きていけなくなるのは、剣士が失血で死んでいくのに近いとイメージしている僕だ。
魚は通りかかった職業不明の女に押し付け、道を進んだ。
言われた通り、確かに事務所があった。不思議な建築で、一階は大きいが、二階はふた回りほど小さい形になっている。階段で直接、二階に上がれるようだ。
耳に人の声が重なり合って聞こえ、一階部分の窓から中を覗いてみた。
どうやら道場のようで、木の棒を持った男たちが殴り合っている。殴り合っているようにしか見えないが、どこかに技のようなものがある。
誰が一番、良い動きをするかと思っていたが、棒を持って動いている男ではなく、そんな男たちを指導している立場の二十代後半ほどの男が、一番、油断も隙もない。
何より常に周囲に視線を配る動作に、練度を感じる。あの視線の配り方は、一人で多数を相手にする時には有利に働きそうだ。体の動きにも余裕があり、足の捌き方には視線が吸い寄せられた。
しばらく立ってると、その男性がこちらに気づいて、僕と視線がぶつかった。無意識に軽く頭を下げたが、彼はもうこちらを見ていない。
三十分ほど眺めて、やはり指導している男性が特別ということがわかり、その場を離れた。
王都の中でも安い旅籠を選んで部屋を取ってあって、そこへ戻ることにした。旅籠と言っても、一階が食堂で宿泊客はそこで食事を取りたければ取れる。すでに三日ほど利用しているが、食堂には宿泊客以外の客の方が多い。
昼をだいぶ過ぎて、その食堂へ入ると宿の女将も兼ねている初老の女性が出てきた。かなり太っていて、膝が痛そうな動きをする。そういうのを見てしまうのも僕の病気のようなもの。
「何にします?」
「うどん。山菜を乗せてください」
「はいよ。飲み物は?」
「茶を冷たくして」
はいはい、と頷き、そのまま女将は奥の厨房へ行った。大声で注文を叫ぶ女将の声に、嗄れた声が応じる。まだその声の主を見たことがない。
少し待っていると、すぐに丼を持って女将が戻ってきた。どんとテーブルに置かれ、箸も出てきた。礼を言って食べ始める。うどんというものは、王都に来る途中で知った料理で、第四都市では見たことがなかった。麦の粉をよく練って、細く切ってある。どうやって切っているのか、麺は長い。
女将がグラスを持ってきて、戻るかと思ったら、そのまま僕の向かいの席に座った。他に客がいないからかもしれないけれど、ちょっと食べづらい。
「仕事は見つかりそう?」
そう訊ねられて、僕は麺をすするのを中止した。
「物見遊山です。宿のお代は払いますので、ご心配なく」
「立派な剣を持って、どこかの名のある人に弟子入りするんじゃないの? まだ若いでしょう? 何歳?」
自分の年齢を思い出すのに苦労して、大雑把に答えた。
「十八です」
「若いわねぇ。その顔の傷は誰につけられたの?」
「稽古の中で」
でまかせを言っているわけだけど、僕は表情から感情を抜いているので、女将は信じたようだった。
「八傑も一人欠けてどうなるやら。剣聖様が敵討ちをするなんて噂もあったけど、そんな噂も噂のままで消えたわね。キャスバ様も不憫なこと」
「キャスバ様?」
「第四都市で切られた八傑の一人ね。烈の剣聖と呼ばれている今の剣聖様の弟子の方で、小烈とも呼ばれたけど、死んでしまっては終わりですものね。なんでも、出資している企業の方が悪党に殺されて、その復讐をしたというけど、街を焼くなんて、恐ろしい方だこと」
僕は黙って、またうどんをすする動きに戻った。
第四都市の貧民街を焼いた事件は「第四都市業火事件」と呼ばれ始めていた。それは王都八傑の一人が血迷ったという文脈で語られているようだ。金のために大勢を殺したと批判するものも多い。
これもまったくの噂で、王都に入って初日の夜、大衆浴場へ行った時に聞いた話では、王都八傑そのものに対する評価が変わり始めているらしい。
あまりに強い力を持ちすぎ、軍や警察の管理を離れるような行動を取るようでは、ただの軍閥みたいなもの、とその初対面の老人は話していた。彼は僕の全身の傷を見て、そんな話をしたようだ。剣士は王都では僕の感覚とは違う文脈で語られるということになる。
うどんを食べきり、冷たいと言っても常温のお茶を飲んでいると、「剣聖様も非情ねぇ」と女将がまた話し始めた。なかなか客がやってこないので、僕も解放されそうもない。
「非情というと?」
諦めてこちらから話題を振ってみると、女将は顔をしかめる。シワが多い顔に、さらに深いシワが生まれた。
「敵討ちをしないなんて、非情じゃない?」
「亡くなられた方は間違ったことをした、と評価されているのでは?」
亡くなられたもなにも、僕が切ったわけで、違和感しかないが素知らぬふりを通した。女将も気づかずに、それは世間の評価、と首を振る。
「自分の弟子が殺されて、放っておくのは剣士じゃないわ。子供を殺された親が仇を討たないようなものよ。あそこまで育てて、鍛えて、最後には死んでも黙ってるなんて、不自然だわ」
そんなものなのだろうか、と思ったけど、言わないでおいた。
「剣聖という方は、強いのですか?」
「強いから剣聖になったのよ。どんな田舎から来たの? あなた。その顔の傷は本当に見せかけなの? 剣も?」
「見掛け倒しとよく言われます」
僕にしては珍しくジョークを口にしたわけだけど、女将は「みっともない」と切って捨てた。ジョークは未だによくわからない。
「剣聖様は、強いわよ。前に見たことがあるの」
「え? いつですか?」
「四年ほど前ね。国王陛下が御幸される時、王城から出たところで暗殺者の集団が襲ったのよ」
「ああ、その話は聞いたことがある」
記憶を探る。
「確か、「第四皇子の反逆」と呼ばれてますね?」
「そうそう。第四皇子だったお方が、暗殺者を雇ってね、結局はあの方は処刑されてしまったけど」
「剣聖はどのような剣を?」
女将が話し始めようとした時、入り口が開いて四人連れの客が店に入ってきた。女将が跳ねるように立ち上がり、客を席に導き、注文を聞き始める。どうにも話を続けるのは無理そうだ。
お茶を飲み干し、女将に代金を払って、少し早い時間だけど僕は二階にある部屋に向かった。
剣聖の剣とは、どんな剣なのだろう。
(続く)




