4-46 死の乱舞
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兵士の列から先へ進んで行く。
大陸王国の青騎士団の紋章の染め抜かれた腕章の男が俺に気付いた。百人隊を示す腕章だ。兵士たちは俺に気付いても、声をかけなかったのだった。
俺の鬼気がそうさせているのだろう。
「何をしている?」
百人隊規模の指揮官自ら近づいてくるのを、俺は逆にそっと間合いを詰めた。
誰も声を上げない。
指揮官が宙を舞い、倒れこみ、俺の手には彼の腰から引き抜いた剣があった。
そこに至って兵士たちが一斉に距離を取り、武器を構えるが、俺は彼らを一睨みした。
「俺に構うな」
剣を手にしたまま、真っ青な顔をしている指揮官を置き去りに、俺は更に先へ進んだ。
兵士の列が割れ、その間を進めば、前方に空白地帯を挟んで、神聖王国の軍勢が見える。見える旗は四つ。翼竜騎士団のそれだ。四千人が目の前にいることになる。
進み出て、両軍の中間で、俺はすっくと立ち、剣を掲げた。
「俺の名前はシン・ホワイトウッド!」
出せる限りの声を出す。
「大陸王国において、烈の剣聖、影の剣聖の友であり、神聖王国において聖騎士団団長補佐の友であるものだ! 俺がこの戦場を預かる! 両軍より、戦う意思のあるものを出されよ!」
俺の声の響きが消えると、シンと戦場は静まり返った。
「俺一人を切ることもできないのか!」
両陣営のほうを見ると、兵士たちがざわめき、やがてそこから一人ずつ剣士が進み出てきた。
俺を左右から挟む形だが、二人ともが不可解そうにこちらを見て、油断こそないが、殺気は鈍っていた。
ここは戦場だぞ。
問答をする余地はない。
俺は下げていた奪ったばかりの剣を振るい、歩技が唸る。
湿った音が連続し、小さな声の後、大陸王国、神聖王国、両者の剣士が倒れた。
空気が一瞬で緊張し、殺気が立ち上った。
「これで終わりか! ならば両軍共に兵を引け!」
怒号が上がり、まずは大陸王国、ついで神聖王国から、それぞれ五人ほどが突っ込んでくる。相手の国を潰すためではなく、俺を潰すための部隊だ。
集中する。音が消えていく。風が吹いているはずでも、それがやけに冷たく、刺すように感じる。
集中することだ。
最初に俺に剣を向けたのは名前も知らない大陸王国の兵士だった。
火炎の剣聖が言った十人の死者など、今から問題じゃなくなる。
俺が振った剣が首筋を引き裂き、兵士が目を見開く。
次は神聖王国の戦闘の兵士。突き出した切っ先が心臓を破壊し、次には引き抜かれ、隣の剣士の足を切り払っている。
膝で顔面を蹴り上げ、背後からの大陸王国の兵士を剣の一薙ぎで両腕を飛ばす。
理解できたのはそこまでだ。
剣が、足が、止まることなく攻撃し、回避し、殺戮の限りを作る。
「これまでか! この程度か!」
血でずぶ濡れになりながら、俺は叫んでいた。
周囲には十を超える屍が倒れている。もう誰一人、動かない。
地面が揺れる気がした。
両陣営が動き出す。数は数える余裕はない。
足元に転がっていた持ち主を失った剣を蹴り上げ、空いている手で掴んだ。
ガング、クツル、俺に力をくれ。
両軍の兵士がぶつかる。
その真ん中に俺は立っていて、そして、両手の剣が躍動し、体はあまりにも速い動きに霞み、縦横に走り、尽きることのない破滅を生み出していく。
誰もこんなところで死にたくないだろう。
どこにいたって、死にたくない。
でも兵士だ。剣を手に取っているのだ。
なら死は約束されている。
勝てなければ、死ぬしかないのだ。
俺の体を槍が、剣がかすめていく。
少しのズレで命を失う。少しのズレで傷を負い、動きが鈍る。
それに恐怖する気持ちにならないのが、あるいは二人の剣士の祝福だったかもしれない。
剣を振るだけ、足を捌くだけ、それだけでいい。
そして命を奪うことだけを、考えればいい。
時間の感覚が消え、音が消える。そして視界から全ての像が消え、その真っ白い背景に無数の赤い線が走る。
その線が敵の刃の走る筋。
赤い線を避け、逆に刃を繰り出す。
手応えも消えた。剣が折れることはわかる。周囲には武器は無数にあるから、心配はない。
次々と剣を変え、槍を持ち、斬り払い、突き立て、引き裂き、抉っていく。
いつまでこれを続ければいい?
いつ、誰がこれを終わらせてくれる?
どこか遠くで鉦がなっている。繰り返し繰り返し、響いている。
音が聞こえないのに、なぜそれだけが聞こえるのか。
赤い筋はどこにも見えない。
息が止まっている。俺はもしかして、死んだのか。
息を吐いて、目を一度、強く閉じた。
恐る恐る目を開けると、真っ青な空があった。俺は空を見上げているらしい。
全身が痛み、唐突にガチガチに強張り始めた。
そこらじゅうに傷を負っているようだ。両手には剣を持っているが、左手の剣は折れていた。
敵は、どこだ?
周囲には無数の死体が横たわり、俺だけが立っていた。神聖王国の兵士も、大陸王国の兵士も、見境なく、俺は切って捨てていた。
もちろんそれぞれの兵士が争って死んだ者もいるだろう。
今、この場では誰も生きてはいない。
殺して、殺されて、そんなことが兵士の定めか。
もう一度、深く息を吐いた。
ぐらりと体が揺れるのを、どうにか堪える。
鉦を鳴らしているのは両陣営らしい。神聖王国軍が引いていき、大陸王国軍も陣形を整えている。
俺は何をしているんだ?
こんなことをしても、何にもならない。
ただ命が失われただけのこと。土地は踏み荒らされ、人々は恐怖し、悲しみ、そして永遠に帰ってこない親しい誰かを思って、絶望することになる。
平和を唱えて、俺はそれを踏みにじったのか。
誰も救えずに?
もういい、と誰かが言った。背後だ。
今の俺なら、どんな腕の悪い剣士でも殺せただろう。
少しも動けず、立っているだけで精一杯なのだから。
「もういい、武器を捨てろ」
その声がエマ・ユースタインの声だと気付く前に、俺は立ったままで意識を失った。
(続く)




