4-45 それぞれの戦場
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春先、王都にたどり着いて、俺はそのまま剣聖府の出張所に取次を頼み、その日のうちに剣聖と面談ができたが、その段になって王都が今までと少し違うことを意識した。
人々は不安げで、兵士たちはピリピリとし、王城もどこか落ち着きがなかった。
剣聖は王城に出仕している途中で、王城の中の一室に俺は通された。
「よくここまで来られたわね」
そう言いながら、火焔の剣聖は俺のほうを向き、目が開いていれば睨みつけてきたところだろう。
俺は書状を手渡し、剣聖はそれを開いて、頷いた。
「陰謀だっていうのね。でも、神聖王国はすでに大陸王国の領土に踏み込んでいる」
そうだろう、とは思ったが、今はそんな話題でやりとりしている暇はない。
ここに来るまでの間に、早馬に何度も追い抜かれたし、すれ違いもした。大陸王国と神聖王国はすでに抜き差しならない状態になっているのは、気づかない方がどうかしている。
「撃退した、という感じでもありませんね。負けているのですか?」
「押されているように見せかけて、引きずり込んでいる形ね。しかし危ういのは間違いない」
「無駄な争いです、陰謀であることを証明すれば、状況は変わる」
「変わらないわ。もう戦い始まっている」
俺はどう答えることもできないまま、じっと火焔の剣聖を見た。彼女は書状を折りたたみ、机の上にそっと置いた。
「あなたはいいように利用されて、悔しいでしょうけど、そんな個人の感情など国にとっては小さなものよ」
「俺が終わりにさせます」
思わずそう言っていた。火焔の剣聖がかすかに首を傾げる。
「どうやって? ただの一人の人間であるあなたが、何をする? 何ができる?」
「やれることをやりますよ。ここにいるよりは遥かにマシなことをします」
俺はそれだけ言って、さっさと部屋を出た。王城を飛び出し、気づくと街道を走っていた。向かう先は大陸王国南西部、今まさに戦場になっているところだ。
何かが、できるはずだ。
俺にできることが、何か。
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火焔の剣聖であるフランジュは王城の一室でため息をついて、シン・ホワイトウッドと入れ違いに入ってきた男のほうを見た。白い装束を着た黒い肌の近衛騎士団団長は、嬉しそうに笑っている。
「気概のある青年ですね」
「気概で戦争が終結するとも思えないけど」
「あれだけ本気なら、何かが動くかもしれない」
かもしれないが、国がそんな曖昧なものに命運をかけるわけにはいかない。
「準備はどうなっている?」
「ええ、白騎士団から馬の扱いに慣れたものを選抜して、百騎の騎馬隊を二つ編成しました」
フランジュたちの観測では、神聖王国軍は大陸王国に攻め込んでいるが、両国の国境地帯の大半は高い峰が連なる山脈で隔てられていることが、大きな意味を持つ。。
山脈が存在するために、神聖王国軍が侵攻するにあたって前線へ物資を送るには、限られた平野を利用するしかない。そうでなければ 海を使うかもしれない。
「海軍はすでに出動しています。海岸地帯にも地方軍を配置するように指示しています」
「反発があったでしょう」
「軍務尚書が苦言を口にしましたが、丸め込みましたよ」
よろしい、と頷いてフランジュはじっと考えた。
騎馬隊で神聖王国軍の兵站を断てば、事態はまた変わる。神聖王国軍は敵の領内で孤立するのを避けるために後退するだろう。しかしそこで踏みとどまり、補給線の再構築を目指し、持久戦を選ぶ可能性もある。
土地勘がある分だけ、大陸王国が有利ではあるが、補給線を分断し続けることがどれだけ意味を持つか。神聖王国としてはどこかで講和を結ぶだろうが、大陸王国としては以前の国境線を維持するという条件は外せない。
そんな神聖王国の要求を飲んでしまえば、橋頭堡を作るのを勧めているようなものだ。
「考えても仕方ないわね」
フランジュはルドに指示を出し、騎馬隊を出動させた。ルドも退室する。
季節はまだ春になったばかりだ。
フランジュは席を立ち、しばらく窓の外を眺めてから、重要な相手との面談のために、部屋を出た。
戦場に出るだけならまだ楽なのに。そうは思っても、人には立場というものがある。
フランジュには、火焔の剣聖としてできないことがあり、ただ、できることがある。
彼女が正しい選択をすれば、それで救われるものがいるのを、思い描いた。
誰かの死の上に立つとしても、立っているものがいれば、それでいい。
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初夏になろうかという頃、俺は戦場のすぐそばまでやってきたが、大陸王国軍の後方は神聖王国軍による攻撃に備えてだろう、強度の緊張と殺気に覆われていた。
俺は構わず、兵士の前に飛び出し、捕らえられた。
ここにたどり着くまでにいくつかのことを知っている。まずどこかの騎馬隊がこの戦場方面へ駈け去っていくのが遠くに見えた。もう一つは、神聖王国軍はすでに大陸王国の南西部において砦のいくつかを奪取した上に、新しい砦の建設さえも始めているということだ。
通りかかった村にいた逃げてきたという大陸王国の人間たちが口々にそう言っているのを聞いた。
俺にできることは、限られている。
俺はひたすら「エマ・ユースタインに会わせてくれ!」と喚いた。狂人と思われるかもしれない、この場で切り捨てられるかもしれない。
それならそれまでのこと。
兵士たちは俺の両手を背後で縛り、喚くのをやめさせるために轡をかませた。そして雑に引きずっていった。
どこへ行くかと思ったが、幕舎の一つで、そこにはメキーアと呼ばれていた軍人と、まさにエマ・ユースタインが椅子に腰掛けて、不機嫌そうにこちらを見ていた。兵士が俺を縛っていた縄を切り、轡も外した。
「本当にここに来るとは、底なしの間抜けなのか?」
メキーアの言葉に、俺はきっとすがるような瞳をしていただろう。
「戦争など終わりにするべきだ。こんな陰謀で、大勢が犠牲になる必要はない」
「今のところ、大勢は犠牲にはなっていない」
そうメキーアがキッパリと告げ、一層、苦々しげな顔になった。
「決闘によって勝敗を決めているからな、神聖王国の剣士は一人も死んじゃいないのが問題だが、大陸王国でもまだ十人しか死んでいない」
「奴らは調子付いている」エマは腕を組む。「そして我々は怖気づいている」
「俺に任せてください」
「バカを言うな!」
メキーアが席を立って、剣を抜こうとした。それをそっとエマが制止する。
「あなたの力量はよく知らない。その若さで命を捨てることはない」
「俺がやりたいからです」
「自殺志願者?」
「剣士とはそういうものです」
ダメよ、とエマが言った時、俺は立ち上がっていた。エマの手がさりげなく腰の剣に伸びているが、構わずに俺は身を翻した。
幕舎を守る兵士に好奇の目で見られながら、俺は大陸王国軍が形成している陣地の方へゆっくりと歩いて行った。
強い日差しの中で、全てが白く染まる。
戦うしかない。
国のためでも、自分のためでもなく、もっと大きな何かのために。
世界のためでもなく、もっとちっぽけで、無意味なもののために。
(続く)




