4-42 不自然な幸福
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俺とファナは神聖王国の中で、別の道を進み始めた。
ファナは神官騎士団の中でも魔技、神聖王国で言うところの奇跡の使い手として、聖騎士団に所属することになる。それも最初から十人隊の隊長である。聖騎士団は総勢で百人しかいないので、十人隊長も十人しかいない。
この特例的な登用とは裏腹に、俺は神官騎士団に所属することもなく、神聖王国でも飛脚をやっていた。大陸王国同様、神聖王国でも飛脚というものがあり、駅伝の仕組みもある。
俺は少しずつ、神聖王国の新しい側面に触れていった。以前、この国にネイスンと一緒に入った時とは違う光景が、見えてくるのは不思議だった。
この国には大陸王国のような王族や貴族はない。だから血筋や家柄で得をするものは基本的にはいない。
一部の神官や武人の家族は裕福だが、他はおおよそが似たような水準で生活しているのは、新鮮だ。
三つの宗派の共通点として、貧しいものや困難に直面しているものには積極的に救いの手を差し伸べる、という教えがある。だから裕福なものは自然と施しをする。その施しも、打算や何かしらの印象づけではなく、純粋な善意に見えた。
老人は敬われ、みんな穏やかな顔をしている。子供達ものびのびと過ごして見えた。若者は仕事に打ち込み、女たちはそれを支える。
神官たちは人々の尊敬を集め、兵士は不正をせず、役人はおおらかで、どこにも問題はないように見えた。
ある意味では理想郷かもしれない。公平で、寛容な国なのだ。
それなのになぜだろう、何かが違う。
それは俺が大陸王国というものを知っているからだろうか。何の誤りもないように見える国の、何を疑っているのか、自分の感覚が信じられなくなった。
春が来て、夏が来る。海沿いを走り、山の間の街道を駆け抜ける。雨が降り、強い日差しが注ぐ。木々の緑が眩しさを増し、それが少しずつ衰え、緑は茶色に移り変わる。風から熱が失せ、湿気が消えていく。
冬になろうかという時、俺は太陽宮のある都市へ戻っていた。
俺が行動の自由を許されたのは、太陽の巫女の働きかけによる。彼女は何かの冗談のように、俺に飛脚を営業する許可証まで出してくれた。いつかの剣聖と同じだ。その許可証によって俺は神聖王国での自由をやはり保証されたのだ。
ただ、太陽の巫女は交換条件を出した。
神聖王国の様子を観察し、それを報告しろというのだ。
神殿に入り、神官に取次を頼む。半日ほど待って、奥へ通された。例の大広間で、俺が入ると女官が四人、入れ違いに退室した。どうやら二人きりになったらしい。
祭壇の方を見ると、鏡越しに少女がこちらを見ている。
「参上しました、ミミ・ルカ様」
「あらあら、私の名前を知っているのね」
勢いよく振り返ると、太陽の巫女と呼ばれる少女、ミミ・ルカがこちらへやってくる。
「どなたから聞いたの?」
「あなたの故郷に行きましたから、そこで、自然と」
小さな村で、全部で二十戸ほどの集落だった。農耕で生計を立てる、よくある村。
そこではミミ・ルカは伝説だった。太陽の神に祝福された聖女であり、奇跡の使い手だというのだ。なんでも、人の傷を癒した、とか、悪魔を打ち払ったとか、そんな内容の話だった。
眉唾だが、俺は神妙な顔でそれを聞いたものだ。
「困ったものね。巫女になるということは名前を捨てることなんだもの。あなたももう名前を呼ばないで。神の罰が下るわ」
「はい、失礼いたしました」
許しましょう、と太陽の巫女が言うので、とりあえずは神罰は回避できそうだ。
「ねぇ、シン、何か面白いお話があるのでしょう? 面白くなければダメよ。神罰を下しちゃうんだから」
それは困ります、と応じておいて、俺は自分が感じたことを伝えた。
人々の満ち足りた様子、繁栄している国家、そして自分の中の違和感。
真面目な顔で話を聞いていた太陽の巫女は、不思議な話、と言った。
「あなたの中では、幸せは不自然なのね」
「幸せを求める心はあるのですが、神聖王国という国が、私にはまだ理解しきれていないかと」
「一年の旅ですもの、すべてを知ることはできないでしょう。人間なんてちっぽけなものですからね。みんな、ほんの狭い範囲、自分の家の庭くらいしか知ることができないのよ」
おっしゃる通りです、と俺は笑うしかない。この少女の方が、俺よりも多くの事を割り切って考えられるらしい。
「いつか私が大陸王国へ行けば、あなたと同じ感覚になるのかしらね」
いきなりとんでもないことを言う巫女に俺は返す言葉を失ったが、「冗談よ」と彼女はコロコロと笑う。
「ちょうどこの街にファナが来ているわよ。彼女、その能力を認められてね、聖騎士団の副団長補佐という立場を与えるようにって中央から指示があったくらいなの」
「へぇ。中央というと、聖王陛下あたりですか」
神聖王国の国家としての中枢は二つある。片方が信仰を中心とする三人の巫女からなる三教会であり、もう一方が法を司る聖王を中心とした官僚の集団だ。聖王は選挙というもので選ばれるが、この選挙という名前の多数決は、そもそも参加する権利を持つものが限られる。
この二つの頂点を持つ国家体制では、武力である神官騎士団の指揮権や任命権が曖昧になる欠点を持つが、今のところでは三教会と聖王は共同歩調を取っている。
「今の聖王様は美しい女の子が好きだから。私を口説くくらいにね」
ご冗談を、と笑うしかない。
もし聖王がファナの体にある傷痕を見ることがあれば、さすがに考えを改めるだろう。もっとも、ファナがそこまでを許すとも思えない。
「夕飯はファナと食べればいいわ。話はまた、そうね、半年後にでもしましょう。それまで、神聖王国のことをよく見聞きしてきてね」
承知しました、と俺は深く頭を下げた。
祝福を、と太陽の巫女が小さな声で言ったのが聞こえた。
(続く)




