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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
風の如く駆け抜けて
174/188

4-37 交渉

     ◆



 病院の病室に、予想外なことに工作員本人がやってきた。

 それもファナを拉致したり、始末するわけではない。彼らは俺がここにいることを知っていたのだ。

 ファナの身代わりとして部屋にいた火焔の剣聖の部下の女性は、恐縮して去って行った。

「ツゥイだ。こちらはキュリ。あんたがシンだな?」

 ここまで言われてしまうと、俺としてはぐうの音も出ない。

 ツゥイという男は小柄で、頭を丸めている。職業としてはさえない何かの職人と思わせる。服装のせいか、武闘派には見えない。年齢は三十といったところ。

 逆にキュリと呼ばれた方は、どこか堅気ではない雰囲気を漂わせている。チンピラには見えないが、悪党という雰囲気ではない。しかしその手の仕事をしているな、と思わせる何かがある。キュリの方が若いので、それも印象に作用しているかもしれない。

 ただ、実際、部屋に最初に踏み込んできたのはキュリだった。ツゥイはその後から、落ち着いた様子で入ってきた。キュリの警戒の方がどちらかといえば当たり前だろう。

「俺がシンだ。よろしく」

 握手でもするべきか、と手を差し出すが、ツゥイはそれを眺めて握ろうとはしない。構わずに俺は手を出したまま喋った。

「不幸な行き違いもあったが、大陸王国に他意がないことを伝えたい、と思っているんだが、どうだろうか」

「問題はいくつかあるな」

 ツゥイが落ち着いた口調で言う。

「まず、不幸な行き違いというが、俺たちの身内が死んでいる。もう一つは、お前の立場がわからないこと。最後の一つは、ここにいる三人は国家を代表しているわけでもなければ、権力を持っているわけでもない、ただの末端の人間だ」

「ごもっとも。末端同士で話し合えることもあるだろ?」

 おめでたい奴だ。そう言って、乱暴にツゥイは俺の手を掴み、雑に振ってから放した。

「ファナと名乗っている女はどこにいる?」

 こちらを睨みつけながら、ツゥイが目を細める。

「俺が知っている限りでは、とある剣士に切られて、今は生死は不明だ」

 これは事実とはやや違う。

 あの冬から季節は進み、春になろうとしていて、連絡は俺のところへも来ている。ファナはオーリーによる一撃に耐えて、生き延びていた。今は先王陛下のところに滞在し、影の剣聖の補佐役になっている。武官と呼ばれる立場だ。

 だから、生きてはいるのだ。

「彼女が神聖王国で何をした?」

「脱走だ」

 脱走ね。それの程度で俺としては助かった。

「とにかく大陸王国としては神聖王国と連絡が可能な状態にしたい。紛争は国王陛下の望むところではないんだ。工作員の死を咎められても、俺としても困るということでもあるが。よくあることだろ? 神聖王国じゃ、ないのか?」

 そこまでいったところで、空気を切る音とともに俺の首筋にナイフが当てられていた。

 持っているのはキュリだ。間合いは二歩ほどあったが、今は至近に立っている。なかなかの脚さばきだが、俺に比べれば遅いと言える。動きも見えていた。見えていて、わざと避けなかった。

「死ぬと思わないのか?」

 見た目に反して高い声で、キュリがそう問いかけてくるが、こちらは肩をすくめる余地すらない。そんなことをしたら首を裂かれる。

「殺すつもりなら、最初にやっているよ。そちらの腕前ではね」

 少し煽り過ぎかな、と思ったが、キュリは平然としている。無表情のまま動かず、幸いにもナイフも動かなかった。

「死にたいのか?」

 繰り返すように、キュリが問いかけてくるが、その声にも気配にも、殺意はない。こういうのは対面して直面すれば、わかるものだ。

「死ぬわけにはいかないが、殺すつもりでもないだろ?」

「ひと撫でだぞ?」

「ひと撫でする気がない、と見ている」

 やめておけ、といったのはツゥイだった。

「そいつを切ったところでイーが戻ってくるわけじゃない。これはあるいは、両国にとっていい傾向かもしれないしな」

 その言葉が俺の命を物理的に救うことになった。不満そうながら、キュリはナイフを下げ、一歩、身を引いた。

「で、シンよ、お前は剣聖の差し金で、テダリアス二世は何を考えている?」

 探る視線のツゥイに俺は笑みを見せる。

「平和だ。混乱は望まない」

「それは神聖王国も同じだ」

「太陽同盟との紛争の件は聞いているよ。ちなみに俺はあの現場も見たがね」

 首を振りながら、ツゥイが言う。

「そのためにも大陸王国と誼みを結ぶ、というのが神聖王国の動きだったが、大陸王国は決断できなかった。あの瞬間は絶好の好機だったのにな」

「今からでも遅くない、と大陸王国は思ってるよ。違うのか?」

「神聖王国では太陽同盟は不愉快なままだ。つまり、太陽同盟がある限り、大陸王国との関係は良好なままが好ましい。そういう意味では、まだ機会はある」

 結局、こうしてツゥイは折れたようだった。

 それから数日をかけて話し合ったが、ツゥイの最大の譲歩により、まず大陸王国の国王からの親書を神聖王国に差し出すべし、というところに落ち着くことになった。

 これだけでも工作員同士のレベルを大幅に超えているが、ツゥイは期日まで指定してきた。一年後の秋までには、というのだ。神聖王国には大陸王国にはない事情がある、などと言っているが、要は太陽同盟と対峙する必要があるか、もしくは太陽同盟と和解できるなら和解するとか、つまり両面作戦を回避する必要からだろう。

 俺としても、火焔の剣聖やその上の国王陛下を動かす必要がある。これもまた一人の平凡な工作員の仕事ではない。

 病室で食事を何度かとったが、その最初にツゥイとキュリは神聖王国の言葉で料理の味に文句を言っていて、俺が思わず笑うと、彼らもさすがに俺が神聖王国の言葉を仔細に解することに気づいたようだ。

 二人は不機嫌そうになり、だが次からは神聖王国の言葉で交渉になったので、二人がかりで俺の語彙の隙間を探していたが、幸いにもそれはなかった。その俺の語力も彼らを動かしたようだ。

 二人と別れて、夏を感じさせる日差しを感じながら、とにかく、働きかけを始めるしかない。

 王都へ向かって走りながら、今度こそ、何が必要か、じっくりと考えた。




(続く)

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