1-17 記念碑と墓標
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鍛冶師は太陽が赤く染まるより早くやってきた。
「名前を伺っていません、剣士様」
部屋で布で包んだ剣をこちらへ差し出しつつ、訊ねられた。
「オーリーと言います」
「名のある方だとお見受けしますが」
「ああ」どう答えればいいだろう。「ただの無名の剣士です。頬の傷は、箔、飾りのようなものです」
男はこちらをじっと見た。
「いくつもの戦いの気配がします。それと、血の匂いが」
今度こそ、上手く答える言葉がなかった。
血の匂いか。それは僕には馴染みすぎていて、自分では気づけない。いくら体を洗い流しても、決して消えない匂いなんだろう。
「あなたの名前は?」
こちらから訊ねると、鍛冶師は「ロウコと申します」と首を垂れる。どうしてこうも腰が低いのか、不安になってくる。本当に僕を誰か、剣豪と勘違いしているのかもしれない。
「あなた個人の名前ですか? それとも銘でしょうか?」
「ロウコは銘です。私で五代目になります。私個人の名前は、ライコクと言います」
まだライコクは頭を下げている。顔を上げてください、と言おうかと思ったけど、通じる様子でもない。放っておくしかないだろうか。
そこへ扉の向こうで声がして、宿のものが料理を運んできたようだった。
「ほんの些細な心尽しですが、召し上がってください」
僕がそういうと、ライコクがさらに深く頭を下げた。どうにも、加減が難しい。
さすがに頭を下げたまま食事はできないので、ライコクは普通の様子で、上品な作法で料理を食べた。僕の食べ方の無作法さが際立つほど、彼は丁寧だ。そこに、こんな小さな宿場でとはいえ、五代も続く一族であることがうかがい知れる。
「オーリー様は、どちらから?」
お互いに食べ終わり、茶を飲んでいる時にライコクが興味を初めて示した。
「第四都市からです」
「火事があったとか。それも、王都の剣士が火をつけたと聞き及んでいます」
「どなたが、そんなことを?」
「いえ、王都でそのような噂があり、やや混乱していると聞いたまでです。失礼しました」
深く聞いてみるべきか、考えながらゆっくりと茶の入った器を傾けた。
「王都にお知り合いがいるのですか?」
当たり障りのない質問になっていた。ライコクは軽く頷く。
「幾人か、同門の鍛冶職人が店を開いています。ロウコの銘を使うことを許された、一流の職人です。彼らが、様々な剣士や貴族に剣を打つために、噂が入るのです」
「失礼ですが、ロウコという銘は初めて聞きました」
「古い流派です。二代目の剣が最も優れているとされていて、私も仲間もそれを目指してます。二代目のロウコの剣の一振りが、今も王宮にあるそうです」
それはすごい。王宮にあるのが芸術品としてでも、もしくは王か王族の所有物としてでも、滅多にあることではない。その情報だけでも、ロウコ流を評価するには十分だ。そんな流派の一員の剣を自分が持つのは、どこか空想じみてもいるようにも思った。
しばらくお茶をすする、小さな音だけになった。
「王都八傑を切られた方がいるとか」
そっと器を置いて、ライコクがこちらを見た。今までとは違う、まっすぐな視線。姿勢もどこか無駄が消えているように見えた。
挑むようで、受け止めるような、絶妙な気配。
「僕はただの剣士です」
表情をコントロールするまでもなく、僕は動揺もせず、威嚇もせずに、自然に言葉を口にしていた。
「向かってくるものを、敵を切るのが剣士。剣士とは、常に命をかける立場です。だからこそ、相手の命を奪う権利が、わずかにですが生じます。違いますか?」
僕とライコクの視線がぶつかるというほど強くもなく、絡まるというほど親密でもなく、ただ触れあうように、お互いに向いている。
しばらくライコクはその姿勢で動かなかった。それでもわずかに身を引き、頭を下げた。
「失礼なことを申しました」
「失礼ではありません。こちらこそ、勝手なことを言いました。人を切る人間の言葉ではない」
「いえ、私のようなただの職人が、差し出がましいことを、誠に、申し訳ありません」
不意にあの老人の鍛冶屋のことが浮かんだ。第四都市のあの老人だ。
「あなたの剣が人を切るとして、それをどう解釈しますか?」
こちらから訊ねたが、ライコクはまだ頭を下げている。
「あなたの剣で、誰かが誰かの命を奪って、あなたは何も感じませんか?」
「考えたことも、ありません」
「何故ですか? 剣は相手の命を奪うものです。それとも、その自覚がないのですか?」
少し辛辣になってしまったが、ライコクはひたすら恐縮している。まるで竹か柳を切ろうとしているみたいだ。刃が触れると、逃げていく。
「ライコクさん、あなたの考えを知りたい」
「私の剣など、まだ未熟です。人を切るところなど、想像できません。私の鈍が、人を切れるものでしょうか?」
顔を上げたライコクのその面には、汗がびっしりと浮かんでいた。何故だろう。どうして汗を? 恐怖だろうか。何に恐怖している?
「今度は僕の方が余計なことを訊ねたようです」
こういう時、笑顔を作れればいいのだけど、僕は無表情のままでいた。反対に考えれば、ここで僕が笑っても怖いだけかもしれないとも思えた。
戦いの場で笑うものは稀にいる。命を失うかもしれない立場でも、そういうものがいる。その時の笑顔には狂気が隠れていて、笑顔というよりその狂気には、警戒が必要だ。
狂気は安全を度外視する心理を生むし、まさにそのきっかけになる。
ライコクがもう一度、頭を下げて「お暇させていただきます」と消え入るような声で言った。こちらからは礼を言って、剣を研いだ分の料金を払おうとしたが、昼間に渡した銀で十分だと断られた。彼のこめかみを汗が伝い、あごからポタポタと落ちているのが見え、不憫に思ったので引き止めるのはやめにした。
部屋に一人になり、すぐに宿のものが膳を下げに来た。茶のおかわりを頼むと、すぐに出てきた。今度こそ独りきりになり、剣を手に取り鞘から抜いて刃を確かめた。
抜いてみると、吸い込まれるような色の刃をしている。美しく、透き通った光を、磨かれた鋼が反射している。
しかしこの剣からは血の匂いがしない。まだまっさらな、純粋な剣だ。
鞘に戻し、茶の入った器を手に取った。
王都に行ってみるか、と不意に考えていた。真相を知りたい気持ちもあった。僕が王都八傑の一人を切ったとして、それがどれほどのことなのか。
見掛け倒しの、形だけの剣士を切っただけか。
それとも、高みに位置するものを切って捨て、何らかの栄光に泥を塗ったのか。
後者だったら少しは僕も満足するだろう。高みに上りたいわけでもないし、泥を塗りたいわけでもない。
自分という存在が、貧民街のただの子どもではなくなった、ということが、どうやら僕に正体不明の力を与えているようだ。
子どもにはできないこと。大人でもできないこと。金持ちにもできないこと。政治家にもできないこと。
剣士だけ、それも一流の剣士だけができる、金字塔というにはちっぽけだけど、記念碑のようなものか。
生きた証とも言える。
そんな記念碑は、ちょっとの隙に、ささやかな墓石に変わりそうだけど。
そっと器を下ろして、息を吐いた。
王都か。
(続く)
 




