1-15 差し出される手
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自分の身分を偽る必要があるのに、僕には自分が何に向いているか、わからなかった。
そもそも左の頬に走る傷痕のせいで、まともな人間には見えない。その傷跡は第四都市のキャンプでは戦いの証明、勇者の証明だとしても、他のところではただの堅気ではないことの証に過ぎないのだ。
第四都市を離れて、小さな宿場に着いて、部屋を取ろうとしたがどこも泊めてはくれない。雑用でもしますから、と食い下がっても、そもそも招き入れたくないのだと露骨に表情が語っていた。
宿場を諦め、街道を先へ進んだ。日が落ちていて、明かりは何もない。わずかな月明かりが頼りでも、その月でさえも頻繁に雲に隠れた。夜でも雲の影が地上に落ちることに不意に気づいた。そんなものしか、見るべきものがない。
食べ物は買うことができたので、飢えることはない。水も手に入る。ただ休む場所がなかった。疲れると、街道の途中で適当な木の幹に寄りかかり、眠った。
そんな日々を過ごしている僕に、通りかかった奇妙な男が声をかけてきた。
「剣士のくせに剣がないのかぁ? あんたぁ」
その男は馬を三頭、連れている。男は馬にまたがっているのではなく、手綱と呼べばいいのか、三本の細い綱で馬を引っ張るようにしている。馬も足を送るので、綱は大抵は緩んでいる。
男の服装は地味で、農民だろうか。服の端々に小さな布が当てられているのは、穴が空いたところを隠しているようだ。裂けた部分を縫い合わせた様子も見て取れた。
時間は夕方で、僕はひとつ前の宿場で手に入れた、麦の粉を練って蒸したものを食べていた。木の根元に座り込み、ぼんやりと山を見ていたのだ。
馬を連れている男にはもちろん気づいていた。やり過ごすつもりだったが、図らずも声をかけられたということになる。
「剣を売っちまったのかぁ? 飯が食えなくてかぁ?」
どう答えることもできず、彼を見据えると、怖い顔するなよぉ、と笑顔になる。
「そんなところにいても、つまらんだろぉ。うちへ来いよぉ」
「うち?」
「すぐそばだよぉ。馬を飼っているのさぁ」
変に間延びした声で調子が狂うが、僕は立ち上がって、頭を下げた。
街道を少し進み、脇道に入った。そちらは山しか見えない。馬を飼っていると言っていたのが嘘なのでは、と思ったが、実際に三頭の馬を連れている。
日が暮れて少しすると、森の中を進む道の斜面が急に緩やかになり、視界が開けた。
木が切り倒されて、平らにされた土地があった。柵で囲まれている。小さな木造の建物も見えた。三軒ほどか。
男は柵の開閉できる部分から中に馬を連れていく。僕も自然と後を追った。男は馬を連れたまま建物の一つに向かい、戸を開けて中に入る。人の背丈より高い扉だ。
中から動物の気配がして、覗くと、それは厩舎のようだった。それなら建物のもう一つは飼い葉か何かが入っているのかもしれない。今の季節は必要ないかもしれない、まだ草がたくさん生えている。
男は馬を建物の中につないで、戻ってきた。
「さてぇ、飯にするかねぇ。ついてこいよぉ」
柵を乗り越えていく男に従い、別の建物に入ると今度は料理の匂いがする。香ばしく、香辛料の匂いもした。
「帰ったよぉ」言いながら男が入ると、すぐに若い女が出てきた。娘だろうか。その女性を見ると、男が嫌に歳をとって見えた。どことなくくたびれて見えるというべきか。
「お帰りなさい、旦那さま」
男は嬉しそうに女に近づき、抱き寄せ、そして土間から座敷へ上がった。僕はぽかんとそれを見ているしかできない。旦那さま? つまり、男の妻ということか。
立ち尽くす僕に「上がれぇ、上がれぇ」と男が声をかけてきて、女はすでに座敷の奥へ消えている。料理を用意しているのか。
頭を下げてから座敷へ上がりと、さっきの女が料理を運んできた。肉と野菜と焼いたものと、硬そうなパンだった。
「食べようぜぇ、冷めないうちになぁ」
挨拶もせずに男が食べ始め、女も何も言わずに食べ始めた。気後れしたが、僕も手を伸ばした。
男も女も、ほとんど話さずに食事に夢中な様子で、それが僕の中ではストンと落ちなかった。いきなり客を連れてきて、食事も出して、まるで旧知の仲みたいな態度をとる理由って、なんだろう?
不審に思ってチラチラと男を見ていると、視線に気づいたようで、「ああ、ああ」と声を出した。
「あんたの名前も知らんなぁ。俺はエラ。こっちはサシ。あんたはぁ?」
「オーリー」
「オーリーねぇ」肉をつまんでいた指を舐めながらエラがこちらを見た。「頬の傷を見たところ、剣士だろうねぇ。どこから来なすったんでぇ?」
少し迷ったが、正直に話したのは、ややこしかったからだ。
自分を偽ってまで、ここに留まる理由がなかった。
「第四都市からです」
反応は簡単で、「へぇ」だけだった。
食事が再開され、僕はエラとサシの様子を繰り返し確認したが、先ほどと何も変わらなかった。食事が終わるとサシが酒の入った瓶を持って出てきた。
「外で飲むかなぁ。オーリー、ついてきなぁ」
エラが立ち上がり、外へ向かう。
僕は黙ってそれに続いた。
もう二人に対する警戒心は、消えていた。純粋な好奇心で、僕は動いていたのだ。
(続く)




