4-12 手合わせ
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冬の間に、食料品を届けにラオが何度かやってきて、彼がどういう立場かもわかった。
彼は王都において傭兵事務所を構える剣士で、王都六勇士、とも呼ばれる最高位の剣士の一人らしい。俺はラオと剣を向けあったことがなかったので、彼は剣士というよりは、体術などの広範な武術を修めた武芸者という感じである。
俺は彼が来るたびに、自分の技術を確認することができて、それはあの秋の日までの半年に比べると、想像以上の充実を生み出していた。
自分のどこが正解としていいのか、自分のどこが明らかな誤りか、そしてどこに修正する余地があるか、そういうことを考えることができるようになった。
クツルがあまりにも完璧なので、クツル相手では自分の良さも悪さも、曖昧な領域も、何もなかった。
冬が終わり、春になり、畑を耕す日々が始まり、その初めて見る男性がやってきたのは、よく晴れた暑いくらいの日で、たまたま畑から小屋へ戻ろうとした俺と木立の中で鉢合わせた。
普段はなかなかないことだが、その男性の気配はまったく無で、鉢合わせの瞬間も、木の影が動いたような錯覚があった。
「クツル殿の小屋を知っているかな」
その一言だけでも、この男性がとらえどころのない、風に揺れる柳のような人格だとわかるのは不思議な感覚だ
「ご案内します」
「よろしく」
俺が先導する形で男性の歩き方はわからないが、実はこの時から俺はほとんど戦慄していた。
背後から聞こえてくる足音が普通の人の足音とまるで違う。足の送りがしなやかで、乱れがない。完璧に支配され、管理された動きだ。
ここまでの完成度はラオにはない。クツルに近いが、クツルもここまでではないのだ。それを思えば、この男性がどういう立場か、想像もつかない。
小屋が見えてきて、立派だな、と男性が呟いたけど何の返事もできなかった。
建物の中ではクツルが書籍を読んでいて、顔を上げて、わずかに顔を綻ばせた。
「年を取りましたね。あなたも」
「お互い様ですよ」
二人がそんなやり取りをしているのを横目に、俺はお茶を用意しようとした。
「先に用件を済ませよう、クツル殿」
男性はそういって、座ろうともしない。せっかちだな、と言いながらクツルが立ち上がったので、この二人が何をするのか見ていようと思いながら、手を止めた。
しかしクツルは俺を見ている。
「シン、この方に立ち合ってもらえ」
「え? その、とても敵うとは思えません」
そう口走る俺を男性が見やり、くすくすと笑った。
「その程度の能力はあるか。外へ出なさい」
言いながら男性の方が先に小屋を出て行ってしまうので、俺は後に続いた。
何が起こるのかわからないまま、こちらを振り返った男性が、いきなり腰の剣を抜いて構えるので、危うく俺は視線をクツルに向けそうになった。
向けなかったのは、男性が発する気配、殺気が本物だからだ。
もし振り向けば、そこを切って捨てられただろう。
身構えて、剣の位置と男性の姿勢を把握し、呼吸を読む。
俺を切るつもりだ。それは疑いない。
どうしたら決着をつけられるだろう。逃げることはできない。避け続ける? 剣を奪う?
そんなことが可能な相手ではない。
死ぬかもしれない。本気でそう思った。
クツルを恨む時間も、クツルの本心を推し量る余裕もなかった。
切っ先がわずかに動く。
この瞬間が全てだということは、自明。
歩技が体を動かす。
男性の姿が消える。完璧な歩技。しかも見知らぬ歩技だった。
間合いが驚くほど早く消える、まるで光が瞬くように。
その動きの筋は予測不能。しかし俺を切るのは間違い無く剣だ。
刃がどこを走ってくるかを、思い描く。
足が地面を踏み、滑り、体が進む。
空気がまるで固形物のように感じられた。
刃が落ちてくる。
左肩に当たると理解した。
危険な角度だ。心臓を破壊されかねない。
即死が確定するのを理解し、それを振りほどくための悪あがきが、脳裏で閃く。
姿勢をわざと乱す。
歩技が不自然になり、瞬間的に俺は無防備になり、十中八九、俺は体を切り裂かれることになる。
それは男性も理解しただろう。
理解しても手加減はしない。
それでいい。
俺の足が地面の上で滑る。それは歩技のすり足や送り足とは違う、まさに足を滑らせただけの事故だ。
ただし、意図的な事故だった。
この足を滑らせる動作で間合いが狂った。
左の鎖骨の下あたりに冷たい何かが差し込まれ、その冷ややかな感覚が胸から脇腹へ抜けた。
時間が元に戻る。
体が滑り、倒れこみ、激しい熱と同時に激痛が思考を沸騰させ、焼き切った。
視界が真っ白く染まり、何も見えない。
どこか遠くで鈴が鳴っている。
死ぬかもしれないが、最後の最後に自分がやった悪あがきを思えば、死んでも構わない気にもなった。
絶対に死ぬ、必死の状態から、こうして考える余地を生み出せたのだ。
もっとも、そんなことをしなくてはいけない状況、あの手合わせを演出したクツルには怒りがあるのは確かだが。
もし来世で出会うことがあれば、あの老人を八つ裂きにしてやろう。
そう思っているうちに、なぜか時間が過ぎていく。
どうやら死んでいないのでは、と思った時に、瞼がいきなり開いた。
目の前に見えているのは、生活している小屋の天井で、梁が渡されている。
何度か瞬きをして、胸の激痛に呻いてしまった。
「目が覚めたか」
ぬっと視界に現れた顔は白髪の老人のそれで、全く知らない人物だ。
「おおよそは治療したが、どれだけ軽く見ても重傷だな。死んでもおかしくはない」
そんな批評をしていないで、痛みをどうにかかして欲しかった。
それから老人はブツブツと何かを言いながら、薬湯を飲ませてくれた。
「クツルには買い出しに行かせたよ。すぐに戻ってくる。眠っていなさい」
どうやら医者らしい老人の言葉を聞きながら、俺は走り続けた後のように、奈落に落ちるような急転直下で眠りのなかに墜落していった。
(続く)




