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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
風の如く駆け抜けて
149/188

4-12 手合わせ

      ◆



 冬の間に、食料品を届けにラオが何度かやってきて、彼がどういう立場かもわかった。

 彼は王都において傭兵事務所を構える剣士で、王都六勇士、とも呼ばれる最高位の剣士の一人らしい。俺はラオと剣を向けあったことがなかったので、彼は剣士というよりは、体術などの広範な武術を修めた武芸者という感じである。

 俺は彼が来るたびに、自分の技術を確認することができて、それはあの秋の日までの半年に比べると、想像以上の充実を生み出していた。

 自分のどこが正解としていいのか、自分のどこが明らかな誤りか、そしてどこに修正する余地があるか、そういうことを考えることができるようになった。

 クツルがあまりにも完璧なので、クツル相手では自分の良さも悪さも、曖昧な領域も、何もなかった。

 冬が終わり、春になり、畑を耕す日々が始まり、その初めて見る男性がやってきたのは、よく晴れた暑いくらいの日で、たまたま畑から小屋へ戻ろうとした俺と木立の中で鉢合わせた。

 普段はなかなかないことだが、その男性の気配はまったく無で、鉢合わせの瞬間も、木の影が動いたような錯覚があった。

「クツル殿の小屋を知っているかな」

 その一言だけでも、この男性がとらえどころのない、風に揺れる柳のような人格だとわかるのは不思議な感覚だ

「ご案内します」

「よろしく」

 俺が先導する形で男性の歩き方はわからないが、実はこの時から俺はほとんど戦慄していた。

 背後から聞こえてくる足音が普通の人の足音とまるで違う。足の送りがしなやかで、乱れがない。完璧に支配され、管理された動きだ。

 ここまでの完成度はラオにはない。クツルに近いが、クツルもここまでではないのだ。それを思えば、この男性がどういう立場か、想像もつかない。

 小屋が見えてきて、立派だな、と男性が呟いたけど何の返事もできなかった。

 建物の中ではクツルが書籍を読んでいて、顔を上げて、わずかに顔を綻ばせた。

「年を取りましたね。あなたも」

「お互い様ですよ」

 二人がそんなやり取りをしているのを横目に、俺はお茶を用意しようとした。

「先に用件を済ませよう、クツル殿」

 男性はそういって、座ろうともしない。せっかちだな、と言いながらクツルが立ち上がったので、この二人が何をするのか見ていようと思いながら、手を止めた。

 しかしクツルは俺を見ている。

「シン、この方に立ち合ってもらえ」

「え? その、とても敵うとは思えません」

 そう口走る俺を男性が見やり、くすくすと笑った。

「その程度の能力はあるか。外へ出なさい」

 言いながら男性の方が先に小屋を出て行ってしまうので、俺は後に続いた。

 何が起こるのかわからないまま、こちらを振り返った男性が、いきなり腰の剣を抜いて構えるので、危うく俺は視線をクツルに向けそうになった。

 向けなかったのは、男性が発する気配、殺気が本物だからだ。

 もし振り向けば、そこを切って捨てられただろう。

 身構えて、剣の位置と男性の姿勢を把握し、呼吸を読む。

 俺を切るつもりだ。それは疑いない。

 どうしたら決着をつけられるだろう。逃げることはできない。避け続ける? 剣を奪う?

 そんなことが可能な相手ではない。

 死ぬかもしれない。本気でそう思った。

 クツルを恨む時間も、クツルの本心を推し量る余裕もなかった。

 切っ先がわずかに動く。

 この瞬間が全てだということは、自明。

 歩技が体を動かす。

 男性の姿が消える。完璧な歩技。しかも見知らぬ歩技だった。

 間合いが驚くほど早く消える、まるで光が瞬くように。

 その動きの筋は予測不能。しかし俺を切るのは間違い無く剣だ。

 刃がどこを走ってくるかを、思い描く。

 足が地面を踏み、滑り、体が進む。

 空気がまるで固形物のように感じられた。

 刃が落ちてくる。

 左肩に当たると理解した。

 危険な角度だ。心臓を破壊されかねない。

 即死が確定するのを理解し、それを振りほどくための悪あがきが、脳裏で閃く。

 姿勢をわざと乱す。

 歩技が不自然になり、瞬間的に俺は無防備になり、十中八九、俺は体を切り裂かれることになる。

 それは男性も理解しただろう。

 理解しても手加減はしない。

 それでいい。

 俺の足が地面の上で滑る。それは歩技のすり足や送り足とは違う、まさに足を滑らせただけの事故だ。

 ただし、意図的な事故だった。

 この足を滑らせる動作で間合いが狂った。

 左の鎖骨の下あたりに冷たい何かが差し込まれ、その冷ややかな感覚が胸から脇腹へ抜けた。

 時間が元に戻る。

 体が滑り、倒れこみ、激しい熱と同時に激痛が思考を沸騰させ、焼き切った。

 視界が真っ白く染まり、何も見えない。

 どこか遠くで鈴が鳴っている。

 死ぬかもしれないが、最後の最後に自分がやった悪あがきを思えば、死んでも構わない気にもなった。

 絶対に死ぬ、必死の状態から、こうして考える余地を生み出せたのだ。

 もっとも、そんなことをしなくてはいけない状況、あの手合わせを演出したクツルには怒りがあるのは確かだが。

 もし来世で出会うことがあれば、あの老人を八つ裂きにしてやろう。

 そう思っているうちに、なぜか時間が過ぎていく。

 どうやら死んでいないのでは、と思った時に、瞼がいきなり開いた。

 目の前に見えているのは、生活している小屋の天井で、梁が渡されている。

 何度か瞬きをして、胸の激痛に呻いてしまった。

「目が覚めたか」

 ぬっと視界に現れた顔は白髪の老人のそれで、全く知らない人物だ。

「おおよそは治療したが、どれだけ軽く見ても重傷だな。死んでもおかしくはない」

 そんな批評をしていないで、痛みをどうにかかして欲しかった。

 それから老人はブツブツと何かを言いながら、薬湯を飲ませてくれた。

「クツルには買い出しに行かせたよ。すぐに戻ってくる。眠っていなさい」

 どうやら医者らしい老人の言葉を聞きながら、俺は走り続けた後のように、奈落に落ちるような急転直下で眠りのなかに墜落していった。




(続く)

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