4-11 滲み出す才気
◆
山の斜面に作った畑を鍬で起こしている俺は、七歳になっていた。
山の中でクツルと二人で過ごし始めて、今までに経験のなかったあれこれが加わったが、農作業もそれだ。
山の中で、必要なものは麓の村や小さな町へ買い出しに行くが、作れるものは作り、自力で手に入るものは手に入れる、というのがクツルの方針だった。
まず野菜は冬以外は年がら年中、作っている。季節によって育つ野菜が違うし、保存ができるものもあればできないものもある。
肉は山の中に罠を仕掛け、小さいものはうさぎ、大きなものでは鹿や猪を手に入れていた。小屋の中に小さく区切られたところがあり、その中には鶏が飼われている。そこから毎日、卵を手に入れることができる。
第七都市で暮らしている時より、徐々に俺は体が大きくなったけれど、クツルからすると細すぎるし、今までが貧弱すぎた、ということになる。
とにかく、一日の半分はそんな食料を手に入れることで過ぎていく。
残りの半分が、訓練の時間で剣術と体術になる。
剣術はクツルの一存で、剣の振り方よりも先に足の捌き方を覚えろ、と徹底して歩技を仕込まれた。歩技などというものは、俺は全く知らなかったのだが。
驚くべきことに、クツルは歩技を十二種類、身につけていて、しかもそれを自在に組み合わせて、自在に融合することができた。
達人級の技能だということは疑いない。それを知った時、俺の中でクツルは「おっさん」ではなく、「師匠」とでも呼ぶべき立場に切り替わった。
六歳の冬から七歳の冬までの間に、俺は徹底的に歩技を練習した。クツルが見せてくれるお手本を凝視し、その上で何度でも改めて見せてもらうように頼み込んだ。一人になっても時間さえあれば、実践した。
それは例えば罠に動物が引っかかっているか確かめる時にも及び、山の斜面を進みながら、意味もなく歩技で木の間をすり抜けたり、木の陰に回り込んだり、そんなことばかりしていた。
体術に関しては、クツルは歩技と同等の熱量で、護身術を叩き込んだ。
その護身術は、クツルが生み出したという制伏術と呼ばれている技で、相手の動きやその勢いを逆用して、相手を投げたり、組み伏せたりする技になる。
これはさすがに一人での訓練が難しいので、木立の中でもある程度の空間がある場所を選んで、クツル当人に対して、技を試すしかない。
そして試そうにも、始祖であるクツルに敵うわけもなく、こちらが投げようとしても逆にこちらが投げられる。腕を極めようとすると、次の一瞬にはクツルが俺の腕を極めている。そんなことばかりだった。
「お前の非力さには合うと思うんだがねぇ」
クツルはそんなことを最初は繰り返していたけれど、その言葉が消えた時を、俺はよく覚えている。
それは山にこもって秋が深くなり、そろそろ冬を越える準備をしよう、などとクツルと話した日だった。
秋の畑を見回って小屋へ戻ると、一人の男性が待っていた。
「こんにちは」
育ちの良さそうなスッとした顔の男性は微笑んでいる。
年齢は二十代だろうか。そもそも服装が立派で農民や町民に見えないが、傍に剣があるので剣士である。
クツルは彼と向かい合って、何かを検めていた。見れば剣のようだが、見たこともないほど細い。すぐに折れそうだ。
それをじっと見ている俺に気付いてか、クツルが布でそれを包み、そして視線を青年に向けた。
「ラオ、彼が話していたシンだ。手合わせをしてみないか?」
「まだ子供ですよ、クツル殿」
「侮っていると負けるよ、ラオ」
そうクツルに言われた青年、ラオが立ち上がる。その動作だけでも一流だと俺にはわかった。クツルの動きに限りなく近いからだ。
ラオに促されて外へ出て、それでもラオは余裕だった。
「好きなようにかかってきなさい」
そんなことを言う客人を前に、俺は小屋の壁にもたれてるクツルを見た。クツルは無言で肩をすくめているが、表情には「やってやれ」という感情が露骨だった。
俺としても自分の技量を試す絶好の機会なので、まさか不意にするつもりもない。
ラオと向かい合い、足踏みをして感触を確かめ、そして歩技で間合いを消した。
驚いたのはラオだけで、転がるように距離を取ろうとするのを、俺は間合いを変えずに追っていく。
そしてついに背後を取り、膝の裏を蹴りつけてやった。がっくりとラオが膝をつき、唖然として俺を見ている。
「負けましたね」
こちらからそう言ってやるが、ラオは怒りもせず、むしろ嬉しそうに笑った。
笑ったが、その手が俺の手首を掴んでいる。
全てが瞬きする間もないほどの時間で起こった。
力任せではない訓練された動きで俺を組み伏せようとするラオが、逆に引きずられ、姿勢を乱し、倒れこんだ。
俺がのしかかるようにして制圧しようとしたけれど、そこはそれ、七歳の子供と大人では体の大きさに差がありすぎて、跳ね飛ばされた。
油断なく距離をとって、俺はラオを見据えた。
「参ったな、これは」
ぼやいて服装を整えながら、ラオは立っているが、いつでも動ける姿勢だ。
「何年の訓練を積んだのかな、少年」
声と同時にラオの姿が消える。歩技だ。クツルが使ううちの一つ、五月雨。
こちらも歩技ですれ違う。風舞という技。
二人がすれ違い、もう一度、間合いが消える。
次に俺が繰り出したのは薄氷、ラオが繰り出したのは輪弧という歩技だった。
ついに二人が組み合い、投げを打ち合う。
技術では俺の方がわずかに上回っているはずが、ラオには重さと力があった。
その一点で、俺の投げは決まらず、逆に組み伏せられた。背後を取られ、頬が地面に押し付けられた。右腕がねじり上げられ、肩から背中にかけて痛みが走る。
「何年?」
「は、半年」
そう答える俺の背中から、ラオはよろめくように離れ、起き上がった俺をまじまじと見た。
「半年? 六ヶ月ってこと?」
「おおよそは」
言葉を付け足す俺に、もう一度、「参ったな」とラオが呻いた。
しかしその時にはそれ以上、ラオと話をする機会はなく、クツルが近づいてきて、俺は一人で訓練するように指示された。悪党に従うのとは違うが、クツルの指示は守るようにしていたので、俺は二人から自然と離れた。
ラオは少しすると小屋から出てきて、「また会おう」とだけ声をかけて去って行った。夕方だが、急いでいるようだ。
そうしてこの秋の日を境に、クツルと、そして俺の世界はやや変わった、変わり始めたのは、後になってわかることだった。
(続く)




