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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
影に咲く剣
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1-14 生き残った人たち

     ◆


 火が消えて、街の再建が始まるかと思ったが、第四都市の行政長官から、当分の間は立ち入りを禁じる、という通達があった。避難した人たちには軍が所有していた野営用の幕舎が提供され、その点では少しはマシになった。

 噂では、行政長官とその取り巻きは貧民街を完全に作り直し、第四都市の一角に正式に組み込むようだった。元々から第四都市の一角だったし、ただ貧しいものが定着する条件が揃っていたというだけのはずが、僕にはよくわからない理屈で、考えることは早々に放棄することにした。

 体の動きが戻ってきたけれど、まだ胸には痛みがあるし、体のそこここも傷が痛みを訴えてくる。それでも動けることは動けるので、立ち入り禁止になる前に焼け残ったものを回収しようとする男女を手伝ったりしていた。

 そんな中で、思ったよりも多くの孤児がおり、まさしく度量が広いとしか言えない大人たちが、その面倒を見ている光景に、繰り返し出会った。

 子供たちの親を奪ったのは僕ではないけれど、僕や、あるいは親方や悪党たちが、間違ったことをしたのが全ての元凶ではある。

 親方の姿はどこにもなく、また知っているものもいない。悪党の中でも親方に近かった、幹部と呼ばれてもいい連中も消えていた。それと、一部の剣の腕に覚えがある剣士も。もっとも、そんな剣士たちは誰かに切られて、建物と一緒に燃えた可能性がある。

 夕方になり、設営されたばかりの幕舎の一つに入ると、大勢の怪我人がまだ寝かされている。幕舎の数が足りないので、怪我人と病人を分けて使用している。健康なもの、無事なものが入る幕舎はまた別だ。

 僕は怪我の様子を見てもらいに来たのだが、ルクーは忙しそうにしている。人手が足りないし、医薬品、医療品、全てが不足していると立ち話でぼやいていた。

 両親の助けを借りればいいんじゃないか、とそれとなく口にすると、あの人たちは金がないところへは来ないよ、とどこか寂しそうに笑っていた。

 あるいはそれは、闇医者として生活していた祖父のことを思い出したからかもしれないな、と後になって気づいた。あの老人は闇医者の割に、高額を吹っかけることもなければ、先払いも要求しなかった。踏み倒したものもきっと大勢、いただろう。それでもあの路地で、ひっそりと仕事をしていたのだ。

 待っているとルクーがこちらに気づき、手招きをしたので歩み寄った。診察用のベッドに座るように言われ、僕は上半身を露わにする。包帯がそこここに巻かれていて、肌が覗いているところのほうが少ない。

「胸はどうかな。痛む?」

 包帯を解きながらルクーが訊ねてくる。その横では若い女の助手が、慣れた手つきで新しい布に塗り薬を伸ばしている。

「呼吸する度に少し痛む」

「骨ではないと思うんだけど、もう少し様子を見ようか。他の傷はそろそろ布を当てなくて良くなるな。あとは自然に治る」

「助かったよ、ルクー」

 お互い様さ、と微笑み、ルクーと助手が二人がかりで手早く傷跡に布を貼り付け、包帯を巻いていく。

「これからどうするつもりだい、オーリーは」

 包帯を結びながらのルクーの問いかけに、僕は、そうだね、などと応じて時間稼ぎをして、しかし何も思いつかなかった。

 僕は貧民街と第四都市しか知らない。闇稼業で生きてきて、他の生き方も知らない。それがどちらも消えてしまったことになる。

 しかも今は、自分の剣さえ持っていないのだ。

「きみにできることを、探してあげてもいい」

 そのルクーの申し出には、さすがに少し微笑んでしまった。優しい男だ。

「自分で考えるよ。僕自身のことだから。それに医者やその助手には向いていない。傷を治すより、傷を負わせることばかり考えていた」

 そうか、とだけルクーを答えて、次は二日後でいい、と言って僕を解放した。

 幕舎を出るとどこかから料理の匂いがする。その匂いだけで、あのデリカテッセンの店主が料理をしているのがわかる。調理に必要な道具と、料理の材料や調味料は行政長官の指示で、まったく困ることがない。きっと、腹を空かせた人間が自暴自棄になることを知っているんだ。

 匂いのする方へ行くと、火にかけられた大釜を、何かの棒でかき回している男が見える。額に光る汗が、傾いている太陽の光を反射しているように見えた。

 彼は嬉しそうに棒に見えた長い柄の柄杓で、鍋から汁を器に盛り、長い行列の先頭の女性に手渡す。女性は礼を言っているようだが、僕のところには声は届かない。しかし何度も頭を下げていた。

 そんな光景が繰り返され、湯気が上がる器を持った男女、老人、子どもがめいめいに散って、そこここで食事を始める。西日は強いものの、真夏ほど暑くはなく、また日中にはない涼しい風が吹いている。外で食事をするのにはいい季節だ。

 もし焼き出されていなければ、もっと幸せな雰囲気に満ちたかもしれない。

 行列が終わり、ルクーとその助手たちも狙い済ましたようにやってきて、器に料理をもらっていく。そのまま元の幕舎に戻っていった。

 僕はじっとそんな光景を見て、大勢の人の顔を見て、そこに立っていた。

「食べた方が良いぞ」

 デリカテッセンの店主がこちらへ来ていることには気づいていたけど、気づかないふりをしていた。でも目の前に立たれて、器を突き出されてしまっては、無視もできない。

「腹が減っていない、って言ったら信じてもらえるかな」

「そういう顔には見えないな。だいぶ痩せている」

「それは、血を失ったこともあるよ」

「なら余計に食った方が良い。本当は肉が良いんだが、手に入る量はわずかだ。行政の奴らはこの光景を知らないんだ」

 かもしれない、と応じても、まだ目の前に器があるので手に取った。汁というか粥のようで、細かく切った野菜が彩りを添えている。匙も受け取り、立ったまま一口、食べた。美味い。簡単な料理に見えて、ちゃんと手間をかけているんだ。

「実は息子が市街地で店をやっている」

 急に話し始めた男を、僕はちらっと見たが彼はこちらを見ていない。どこか遠くを、夕日の辺りを見ている。顔がうっすらと赤く染まっている。

「働いてみないか?」

 僕には笑う余裕があった。粥を食べて、少しは力がついたかもしれない。

「普通の仕事は僕には合わないな」

「用心棒でもいい」

「これ以上、迷惑をかけたくないな」

 もう僕は笑みを消していた。笑うことは、どこか僕の中では特別で、なぜだろう、笑っていると何かを直視していない気持ちになる。自分の中や、他人の中の何かを。

 さっきもきっと僕は、目の前の男が差し出してくれた手をまっすぐに見たくなくて、笑ったんだろう。

「どこかへ行くのか?」

 そうだね、と言いながら、僕は粥を口へ運ぶ。

 どこへ行くことができるだろう。きっとどこへでも行けるのに、何かが邪魔をしている。

「見送りくらいはさせてくれよ」

 彼が離れていこうとするので、あの、と思わず呼び止めていた。のっそりと男が振り返る。

「あの日、助けてくれたことの礼を言っていなかった。ありがとう」

 ボロボロだった僕に最初に駆け寄ったのは、目の前の男だった。だから彼には、感謝しなくては。感謝したい。どんな言葉が最適かはわからないけど、ありがとう、という一言は、全てを乗せるのに最適な、便利な言葉だ。

 片方の眉を吊り上げ、しかし男は何も言わなかった。

「これも美味しい」

 粥の入った器を持ち上げると、「毎度あり」とやっと笑みを見せて、男は元の大釜の方へ戻っていった。彼が指図している若い女性たちが、二つ目の大釜を用意している。今度は怪我人と病人のためだ。どうやら味付けが違うらしい。

 手元の器の中身を食べて、僕は少し考えた。

 ここにいても、いずれは迷惑をかける。その確信があった。僕はあまりに人を切りすぎたし、あの炎の中で最後に切った男は、やはり特別だったんだろう。

 もしかしたら、また誰かがここへやってきて、力を振るうかもしれない。僕を切るためにだ。そしてまた巻き込まれた人々は、逃げるか、死ぬかしかない。

 僕には僕なりのけじめがある。

 自分の業は、自分で背負うしかない。

 器を返し、寝起きしている幕舎に戻った。ベッドのようなものはなく、薄い布が個人で使える空間を示している。個人の持ち物を置いておく場所もないが、しかしこんな状況で盗難に走るものもほとんどいない。

 薄暗くなり、幕舎の中の明かりもみるみる弱くなる。ランプはあるが、つけられたことはなかった。日没と夜が同時に来て、それでみんなが眠りにつく。

 僕は深夜、自然と目が覚めて、今なんだ、と確信した。

 荷物は何もない。懐にあるわずかな銀を確認し、幕舎を出た。

 誰もいない。シンとした夜の空気の中で、小さく子どもの泣く声が聞こえた。

 幕舎を離れ、夜の道を進む。やはり誰ともすれ違わない。深夜なのだ、誰もが休む時間、一時の安らぎを保障された時間だ。

 傾斜のある道を上がり、開けた場所に出て、思わず振り返った。

 第四都市の夜でも消えない明かり。その外れで闇に沈む、僕が育った街があった場所。幕舎は影さえ見えなかった。

 こうして僕は、故郷を後にした。

 目的もなく、ただ逃げ出したのだ。




(続く)

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