3-41 市井の声
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これが痛み止めだ、と渡された丸薬は想像より大きい。
「医者にも薬師にもあんたを見せていないわけだから、分量は適当さ」
加減しようにも程度が分からないので、そのまま飲むことにした。水筒が手渡され、冷たい水で苦労して丸薬を飲み下した。シンはニコニコと笑っている。
「その薬は眠気を誘うらしい。眠れば眠るほど治ると医者は言っていたよ。腕は知らないがね。とにかく、あんたには休息が必要だ」
「ありがとう」
礼を言う私に差し出されたのは干した果物のようだった。小さな萎んだ何かの実を口に入れると、口いっぱいに酸っぱさが広がった。寝転んでいるので、痛めていない右肩を下にする。上を見ていると飲み込んでしまい、喉に詰まらせるかもしれない。
「誰から逃げているんだい、あんたは」
焚き火に細い枯れ枝を放り込みながら、何気なくシンが問いかけてくる。私は黙って彼のほうを見るだけにする。シンが焚き火から顔を上げ、しかしすぐに元に戻す。
「訳ありってことだな。それなら、今から俺が言うことは、ただの独り言になる」
そう切り出して、シンは話し始めた。
話の内容は、近衛騎士団がこの近くまでやってきて、行軍演習という名前の山狩りを行ったこと、その目的は機密性が高くよくわかっていないこと、剣聖が同行していたこと、そんなことだった。
どうやらシンは私がその件に関わっていると解釈しているようだ。
もしこの青年が私を近衛騎士団に差し出すと言い出せば、私はこの親切な青年を切るしかなかっただろう。
それは、現実にはならなかった。
「近衛騎士団というのも、存外に間抜けの集まりだな。奴らを欺くのは、心躍るいたずらだ」
その言葉は、私を逃すということを示しているらしい。
焚き火の火が大きくなり、シンが水を一口飲む。
「近衛騎士団はどういうわけか引き上げて、今頃、王都に向かって長距離行軍の訓練の最中だろう。ご立派な剣士様が走っているところはちょっと見たいかな」
私は噛み続けていた干した果実を飲み込み、一息ついた。
私が何も言わないからだろう、シンは沈黙を嫌うように、口を開いている。
「連中が何を狙っているかは知らないが、とにかく、もうそれも終わったんだろう。仕事に支障があってね、奴らのせいでだいぶ苦労した。何せ、街道や脇道に居座って、誰何するんだからたまったもんじゃない。相当に暇なんだろうが、近衛騎士団っていうのは、いつからお遊びに必死になるように方針転換したのやら」
小刀で干し肉を割いて、細い筋のようなものを二本ほど、彼が手渡してくる。左腕は動かないので体の下の右腕をどうにか動かし、右手を伸ばして指でつまむ。口へ運ぶと、細いおかげで少しは楽に食べられそうだ。
「この国も貴族どもが幅を利かせて、国王は平民の味方のようだが、このままじゃ早晩、王と貴族が対立するだろうよ。その時には国が割れると考えている奴もいるし、国王が殺されるか、そうでなければ貴族が粛清される、そう見ている奴もいる。権力者って奴は、常に敵を欲するのかねぇ」
誰がそんなことを言っているのか、気になった。
じっとシンを見据えると、彼が私の視線に気づく。バンザイするように、彼は両手を挙げた。
「今のはほんの一部の、市井の声っていう奴だよ。仕事柄、いろんな人間と接するんでね」
「どういう、仕事?」
苦労しつつ言葉にすると、シンは嬉しそうに笑った。
「飛脚だよ。もう十年はやっているな」
十年? 見たところ、この青年はどう上に見積もっても二十歳には達していない。十歳になる前から飛脚なんて、できるわけがない。からかわれているんだろうか。
私の疑問に気づいた様子もなく、シンは胸を張った。
「絶対に契約した期日には遅れない、っていうのが売りでね。これでも第八都市から第三都市まで、七十日で移動することができる」
いよいよ訳がわからない。
大陸王国における第八都市と第三都市は、領土では南東の都市と北西の都市で、つまりほとんど大陸王国を斜めに横切ることになる。その間には山もあれば谷もあるし、川を越える必要だってある。しかも街道は真っ直ぐに走っているわけではない。
実際にその間を移動したことはないけれど、馬を使っても、昼夜兼行で移動し、駅で馬を変えたとしても、それでも二ヶ月はかかるのではないか。この青年が言うことが本当なら、馬と同等の速さで、絶対的な持久力があることになる。
「なんだ、信じてないな?」
シンが不敵に笑う。
「道を選びさえすれば、馬にも劣らないのさ。そして、馬を次々と変えていたら早いが駅に拘束される。ついでに言えば、高額の上に高額を要求されるが、俺一人を雇った方がはるかに安い。ま、信じなくても、事実は事実だ」
詳しく聞こうとしたが、急に眠気がやってきた。その様子に気づいたのだろう、シンが自分の荷物から薄い布を引っ張り出して、私にかけた。
「眠っていろ。俺は四日間はここにいられる。面倒を見てやるよ」
その言葉を聞きながら、私は眠りに落ちた。
夢の中でも体が痛むのが不思議だった。夢の中でも輾転反側して、苦しかった。
だから夢から覚めた時、少しだけホッとして、現実での体の痛みに、短く息を飲んだ。
シンがどこにいるかと思ったが、月明かりの中には姿がない。
起き上がることもできず、じっとしていると、誰かが近づいてきた。
(続く)




