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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
無の剣
125/188

3-41 市井の声

     ◆


 これが痛み止めだ、と渡された丸薬は想像より大きい。

「医者にも薬師にもあんたを見せていないわけだから、分量は適当さ」

 加減しようにも程度が分からないので、そのまま飲むことにした。水筒が手渡され、冷たい水で苦労して丸薬を飲み下した。シンはニコニコと笑っている。

「その薬は眠気を誘うらしい。眠れば眠るほど治ると医者は言っていたよ。腕は知らないがね。とにかく、あんたには休息が必要だ」

「ありがとう」

 礼を言う私に差し出されたのは干した果物のようだった。小さな萎んだ何かの実を口に入れると、口いっぱいに酸っぱさが広がった。寝転んでいるので、痛めていない右肩を下にする。上を見ていると飲み込んでしまい、喉に詰まらせるかもしれない。

「誰から逃げているんだい、あんたは」

 焚き火に細い枯れ枝を放り込みながら、何気なくシンが問いかけてくる。私は黙って彼のほうを見るだけにする。シンが焚き火から顔を上げ、しかしすぐに元に戻す。

「訳ありってことだな。それなら、今から俺が言うことは、ただの独り言になる」

 そう切り出して、シンは話し始めた。

 話の内容は、近衛騎士団がこの近くまでやってきて、行軍演習という名前の山狩りを行ったこと、その目的は機密性が高くよくわかっていないこと、剣聖が同行していたこと、そんなことだった。

 どうやらシンは私がその件に関わっていると解釈しているようだ。

 もしこの青年が私を近衛騎士団に差し出すと言い出せば、私はこの親切な青年を切るしかなかっただろう。

 それは、現実にはならなかった。

「近衛騎士団というのも、存外に間抜けの集まりだな。奴らを欺くのは、心躍るいたずらだ」

 その言葉は、私を逃すということを示しているらしい。

 焚き火の火が大きくなり、シンが水を一口飲む。

「近衛騎士団はどういうわけか引き上げて、今頃、王都に向かって長距離行軍の訓練の最中だろう。ご立派な剣士様が走っているところはちょっと見たいかな」

 私は噛み続けていた干した果実を飲み込み、一息ついた。

 私が何も言わないからだろう、シンは沈黙を嫌うように、口を開いている。

「連中が何を狙っているかは知らないが、とにかく、もうそれも終わったんだろう。仕事に支障があってね、奴らのせいでだいぶ苦労した。何せ、街道や脇道に居座って、誰何するんだからたまったもんじゃない。相当に暇なんだろうが、近衛騎士団っていうのは、いつからお遊びに必死になるように方針転換したのやら」

 小刀で干し肉を割いて、細い筋のようなものを二本ほど、彼が手渡してくる。左腕は動かないので体の下の右腕をどうにか動かし、右手を伸ばして指でつまむ。口へ運ぶと、細いおかげで少しは楽に食べられそうだ。

「この国も貴族どもが幅を利かせて、国王は平民の味方のようだが、このままじゃ早晩、王と貴族が対立するだろうよ。その時には国が割れると考えている奴もいるし、国王が殺されるか、そうでなければ貴族が粛清される、そう見ている奴もいる。権力者って奴は、常に敵を欲するのかねぇ」

 誰がそんなことを言っているのか、気になった。

 じっとシンを見据えると、彼が私の視線に気づく。バンザイするように、彼は両手を挙げた。

「今のはほんの一部の、市井の声っていう奴だよ。仕事柄、いろんな人間と接するんでね」

「どういう、仕事?」

 苦労しつつ言葉にすると、シンは嬉しそうに笑った。

「飛脚だよ。もう十年はやっているな」

 十年? 見たところ、この青年はどう上に見積もっても二十歳には達していない。十歳になる前から飛脚なんて、できるわけがない。からかわれているんだろうか。

 私の疑問に気づいた様子もなく、シンは胸を張った。

「絶対に契約した期日には遅れない、っていうのが売りでね。これでも第八都市から第三都市まで、七十日で移動することができる」

 いよいよ訳がわからない。

 大陸王国における第八都市と第三都市は、領土では南東の都市と北西の都市で、つまりほとんど大陸王国を斜めに横切ることになる。その間には山もあれば谷もあるし、川を越える必要だってある。しかも街道は真っ直ぐに走っているわけではない。

 実際にその間を移動したことはないけれど、馬を使っても、昼夜兼行で移動し、駅で馬を変えたとしても、それでも二ヶ月はかかるのではないか。この青年が言うことが本当なら、馬と同等の速さで、絶対的な持久力があることになる。

「なんだ、信じてないな?」

 シンが不敵に笑う。

「道を選びさえすれば、馬にも劣らないのさ。そして、馬を次々と変えていたら早いが駅に拘束される。ついでに言えば、高額の上に高額を要求されるが、俺一人を雇った方がはるかに安い。ま、信じなくても、事実は事実だ」

 詳しく聞こうとしたが、急に眠気がやってきた。その様子に気づいたのだろう、シンが自分の荷物から薄い布を引っ張り出して、私にかけた。

「眠っていろ。俺は四日間はここにいられる。面倒を見てやるよ」

 その言葉を聞きながら、私は眠りに落ちた。

 夢の中でも体が痛むのが不思議だった。夢の中でも輾転反側して、苦しかった。

 だから夢から覚めた時、少しだけホッとして、現実での体の痛みに、短く息を飲んだ。

 シンがどこにいるかと思ったが、月明かりの中には姿がない。

 起き上がることもできず、じっとしていると、誰かが近づいてきた。



(続く)

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