1-12 死闘
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すり抜ける事は出来ない。
そんな空間はない。
まず頬を切られる。首を傾げなければ死んでいた。
次に脇を切られる。こちらは浅いとわかっている。
僕の一振りが片方の首を深く裂き、もう一方が背後から反転してくるのを、後ろも見ずに突き出した切っ先で仕留める。振り返らなくても、切っ先が喉元を貫いているのが、はっきりわかった。
背後で剣を引き抜かれた剣士が倒れる。
「剣鬼め……!」
声をかけてきた男が、怒気を漲らせて呟く。どうしても喋りたいらしい。
こいつが本命だとしたら、とんだ道化だ。
切っ先がこちらに向けられる。
何かが麻痺しているんだろう。気迫のようなものが、全く理解できなかった。
自分が死ぬか否かの瀬戸際にいると思えないのは、自分が火に囲まれていることもあるかもしれない。
まるで現実感がない。
これは夢かもしれない。
ゆっくりと相手に歩み寄る。もう邪魔をする者はいない。
頬から流れた血が顎へ伝い落ちていく。
剣士が飛び込んでくる。さすがに踏み込みが早い。剣も鋭い。
しかし剣はただの一本だ。そして相手も一人。
きわどいところで剣を避ける。こちらの剣は、想像通りに相手の胸へ伸びていく。
男が何か叫んだ。
叫んだはずだ。
見えない何かが僕を弾き飛ばし、胸に力が叩きつけられた。息が詰まる前に、足が地面を離れる。勢いのままに下がる僕に、剣が向かってくる。
右肩から、左の脇腹へ切っ先が走る。
痛みが鮮烈だ。
何かが晴れた。
姿勢を取り戻し、首を狙いに来た剣を弾く。火花がまるで雷光だ。背景の燃え上がる建物のゆらめきの中でも、火花だけはまるで違う光だった。
三撃目は避ける、しかし間合いは支配されている。
追撃に次ぐ追撃。距離を取れない。男の剣術は実直で、隙がない。基礎に忠実だ。だからこそ乱れることがなく、こちらが反撃する好機がやってこない。
燃え盛っている火の中に飛び込んだ。
建物が崩れれば焼け死ぬ。構うものか。火の中を走り、壁を突き破って転がり出る。わずかな差で、正体不明の力が吹き荒れ、背後で建物自体が倒壊していく。
これが魔技か。
剣士はこちらへ向かってくる。こちらから前進。
間合いを詰めれば魔技を食らう、受けに徹すれば万全の剣術でたたみ込まれる。
小細工は通用しないし、僕には選択肢がない。
全身の傷が急に痛んだ。今にも動きが止まりそうな体を叱咤して、駆ける。
がくりと、膝が崩れた。体が前のめりになる。
隙でしかない、受けなしの体勢。
剣士の一撃が、首筋へ落ちてくる。
そうだと思ったよ。僕があんたでも、そうするさ。
だからこれは、純粋な敗北なんだ。
片手で鞘を抜いて、剣に当てる。鞘が力に負けて砕けても、剣の勢いを削いで、わずかに逸らした。
倒れ込みかけた姿勢から、両足が全力で地面を蹴り飛ばす。
体当たりするように、剣士にぶつかる。
あまりに間合いが近い、そして魔技を使う余地はない。
体同士が衝突する寸前、鞘で打った剣が首ではなく肩に食い込み、激しい痛みに口から声が漏れる。
でもそれだけだ。声なんて、いくらでも上げてやろう。
剣士を押し倒すように倒れ込み、それでも僕はまだ、生きていた。
ありえない、という声が聞こえた。僕の下敷きになった男は、事切れていて、胸には僕の剣が深々と突き刺さっている。彼がありえないと口にしたとすれば、僕にはそれだけでも価値のある捨て身だったことになる。
剣を引き抜こうとしたが、あっさりと抜けたそれは半分に折れていた。下敷きになった時に折れたんだろう。
立ち上がろうとしたが、足に上手く力が入らず、よろめいてしまう。意識が朦朧とする。
疲労と失血、極度の集中も影響しているだろう。そして魔技を受けたせいで、先ほどから胸の痛みがひどい。息をすると激痛が走る。その痛みが逆に、意識を保たせている気もした。
倒れている剣士の剣を奪い、それを杖のようにして、僕は歩いた。
どこもかしこも燃えている。煙が酷く、咳き込んでしまう。咳き込めばどうしても胸の痛みが酷くなる。急に何かがせり上がってきて、咳とともに何か黒い飛沫が飛んだ。血のようだ。
長く生きていられるとも思わなかった。このままどこかで敵に会えば、抵抗できないのは自明。
しかし逃げるべき場所もない。助けてくれる人も、いないだろう。
火の海の中を、僕は幽霊のようにさまよい歩いた。
誰かがどこかで声をかけてくれた気がした。そちらを見ると、立ってるのはジョズだった。信じられない、と思っている僕の前で、彼は背を向けて歩いていく。火が弱い方へ向かうようだ。
亡霊だろうか。そして僕を、どこかへ案内している? そこは地獄だろうか。地獄でも、構わない。いやに全身が冷え始めて、そして重かった。
楽になりたい。死ぬことが楽になることなら、死を選びたい。
僕は全てを失っていて、住む場所も、仲間も、過去さえも失いつつあるのだ。
そんな世界で、どうやって生きていけというのか。
歩き続けた。ジョズの背中は、じわじわと僕から離れていくのに、見えなくなることはない。だからどこまでも追って行けそうな気さえした。僕の体が動く限りは、追えるはずだ。
倒れたと気付いた時には、僕は本当に倒れていて、そこは貧民街の外れだった。うつぶせに倒れたまま、顔を上げると、遠巻きに大勢の人がいる。みんな、焼け出されたんだろう。着の身着のまま、荷物も持っていない。
そして一様に、怯えていた。
その人垣の中から、転がり出るように進み出たのは、デリカテッセンの店主だ。
「大丈夫か? おい、返事をしろ」
どう答えることもできないのは、息を吸うのもしんどいのと同時に、この人が生きていること、そして手を差し伸べてくれたことに、心が震えたからだ。
誰かを守ろうと思ったわけじゃない。でも結果として、ここにいる人たちは生きている。
返事をする前に、僕は今度こそ、気を失った。
夢を見た。ジョズがいて、手を振っている。さようなら、とでも言いたげな顔だが、その顔がなぜかはっきりしないのだ。声も聞こえないのに、彼が別れを告げているのはわかる。
待ってくれと、僕は叫んだ。声が出ない。胸が苦しい。叫ぶ。
「ジョズ!」
声が出た途端、それは激痛によって呻き声に取って代わった。
視界に若い女の顔が出てくる。知らない顔だ。頬が煤で汚れて真っ黒だ。それがわかる程度には、周囲が明るく、女の顔の背景は、青空だった。
「大丈夫? 今、お医者さんがみんなを診ているから、少し待ってね」
そう言うと、女はどこかへ行ったようだった。
首をひねって横を見ると、自分が薄い布の上に寝かされていること、それが地面に敷かれていること、そして大勢が並んでいることがわかった。
今はそれだけが分かればいい。
自分が生きていることが、分かればいいのだ。
首を元に戻し、空を見た。
鳥が一羽、視界を横切って、どこかへ飛んでいく。
その鳴き声が、はっきりと聞こえた。
(続く)




