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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
影に咲く剣
12/188

1-12 死闘

     ◆


 すり抜ける事は出来ない。

 そんな空間はない。

 まず頬を切られる。首を傾げなければ死んでいた。

 次に脇を切られる。こちらは浅いとわかっている。

 僕の一振りが片方の首を深く裂き、もう一方が背後から反転してくるのを、後ろも見ずに突き出した切っ先で仕留める。振り返らなくても、切っ先が喉元を貫いているのが、はっきりわかった。

 背後で剣を引き抜かれた剣士が倒れる。

「剣鬼め……!」

 声をかけてきた男が、怒気を漲らせて呟く。どうしても喋りたいらしい。

 こいつが本命だとしたら、とんだ道化だ。

 切っ先がこちらに向けられる。

 何かが麻痺しているんだろう。気迫のようなものが、全く理解できなかった。

 自分が死ぬか否かの瀬戸際にいると思えないのは、自分が火に囲まれていることもあるかもしれない。

 まるで現実感がない。

 これは夢かもしれない。

 ゆっくりと相手に歩み寄る。もう邪魔をする者はいない。

 頬から流れた血が顎へ伝い落ちていく。

 剣士が飛び込んでくる。さすがに踏み込みが早い。剣も鋭い。

 しかし剣はただの一本だ。そして相手も一人。

 きわどいところで剣を避ける。こちらの剣は、想像通りに相手の胸へ伸びていく。

 男が何か叫んだ。

 叫んだはずだ。

 見えない何かが僕を弾き飛ばし、胸に力が叩きつけられた。息が詰まる前に、足が地面を離れる。勢いのままに下がる僕に、剣が向かってくる。

 右肩から、左の脇腹へ切っ先が走る。

 痛みが鮮烈だ。

 何かが晴れた。

 姿勢を取り戻し、首を狙いに来た剣を弾く。火花がまるで雷光だ。背景の燃え上がる建物のゆらめきの中でも、火花だけはまるで違う光だった。

 三撃目は避ける、しかし間合いは支配されている。

 追撃に次ぐ追撃。距離を取れない。男の剣術は実直で、隙がない。基礎に忠実だ。だからこそ乱れることがなく、こちらが反撃する好機がやってこない。

 燃え盛っている火の中に飛び込んだ。

 建物が崩れれば焼け死ぬ。構うものか。火の中を走り、壁を突き破って転がり出る。わずかな差で、正体不明の力が吹き荒れ、背後で建物自体が倒壊していく。

 これが魔技か。

 剣士はこちらへ向かってくる。こちらから前進。

 間合いを詰めれば魔技を食らう、受けに徹すれば万全の剣術でたたみ込まれる。

 小細工は通用しないし、僕には選択肢がない。

 全身の傷が急に痛んだ。今にも動きが止まりそうな体を叱咤して、駆ける。

 がくりと、膝が崩れた。体が前のめりになる。

 隙でしかない、受けなしの体勢。

 剣士の一撃が、首筋へ落ちてくる。

 そうだと思ったよ。僕があんたでも、そうするさ。

 だからこれは、純粋な敗北なんだ。

 片手で鞘を抜いて、剣に当てる。鞘が力に負けて砕けても、剣の勢いを削いで、わずかに逸らした。

 倒れ込みかけた姿勢から、両足が全力で地面を蹴り飛ばす。

 体当たりするように、剣士にぶつかる。

 あまりに間合いが近い、そして魔技を使う余地はない。

 体同士が衝突する寸前、鞘で打った剣が首ではなく肩に食い込み、激しい痛みに口から声が漏れる。

 でもそれだけだ。声なんて、いくらでも上げてやろう。

 剣士を押し倒すように倒れ込み、それでも僕はまだ、生きていた。

 ありえない、という声が聞こえた。僕の下敷きになった男は、事切れていて、胸には僕の剣が深々と突き刺さっている。彼がありえないと口にしたとすれば、僕にはそれだけでも価値のある捨て身だったことになる。

 剣を引き抜こうとしたが、あっさりと抜けたそれは半分に折れていた。下敷きになった時に折れたんだろう。

 立ち上がろうとしたが、足に上手く力が入らず、よろめいてしまう。意識が朦朧とする。

 疲労と失血、極度の集中も影響しているだろう。そして魔技を受けたせいで、先ほどから胸の痛みがひどい。息をすると激痛が走る。その痛みが逆に、意識を保たせている気もした。

 倒れている剣士の剣を奪い、それを杖のようにして、僕は歩いた。

 どこもかしこも燃えている。煙が酷く、咳き込んでしまう。咳き込めばどうしても胸の痛みが酷くなる。急に何かがせり上がってきて、咳とともに何か黒い飛沫が飛んだ。血のようだ。

 長く生きていられるとも思わなかった。このままどこかで敵に会えば、抵抗できないのは自明。

 しかし逃げるべき場所もない。助けてくれる人も、いないだろう。

 火の海の中を、僕は幽霊のようにさまよい歩いた。

 誰かがどこかで声をかけてくれた気がした。そちらを見ると、立ってるのはジョズだった。信じられない、と思っている僕の前で、彼は背を向けて歩いていく。火が弱い方へ向かうようだ。

 亡霊だろうか。そして僕を、どこかへ案内している? そこは地獄だろうか。地獄でも、構わない。いやに全身が冷え始めて、そして重かった。

 楽になりたい。死ぬことが楽になることなら、死を選びたい。

 僕は全てを失っていて、住む場所も、仲間も、過去さえも失いつつあるのだ。

 そんな世界で、どうやって生きていけというのか。

 歩き続けた。ジョズの背中は、じわじわと僕から離れていくのに、見えなくなることはない。だからどこまでも追って行けそうな気さえした。僕の体が動く限りは、追えるはずだ。

 倒れたと気付いた時には、僕は本当に倒れていて、そこは貧民街の外れだった。うつぶせに倒れたまま、顔を上げると、遠巻きに大勢の人がいる。みんな、焼け出されたんだろう。着の身着のまま、荷物も持っていない。

 そして一様に、怯えていた。

 その人垣の中から、転がり出るように進み出たのは、デリカテッセンの店主だ。

「大丈夫か? おい、返事をしろ」

 どう答えることもできないのは、息を吸うのもしんどいのと同時に、この人が生きていること、そして手を差し伸べてくれたことに、心が震えたからだ。

 誰かを守ろうと思ったわけじゃない。でも結果として、ここにいる人たちは生きている。

 返事をする前に、僕は今度こそ、気を失った。

 夢を見た。ジョズがいて、手を振っている。さようなら、とでも言いたげな顔だが、その顔がなぜかはっきりしないのだ。声も聞こえないのに、彼が別れを告げているのはわかる。

 待ってくれと、僕は叫んだ。声が出ない。胸が苦しい。叫ぶ。

「ジョズ!」

 声が出た途端、それは激痛によって呻き声に取って代わった。

 視界に若い女の顔が出てくる。知らない顔だ。頬が煤で汚れて真っ黒だ。それがわかる程度には、周囲が明るく、女の顔の背景は、青空だった。

「大丈夫? 今、お医者さんがみんなを診ているから、少し待ってね」

 そう言うと、女はどこかへ行ったようだった。

 首をひねって横を見ると、自分が薄い布の上に寝かされていること、それが地面に敷かれていること、そして大勢が並んでいることがわかった。

 今はそれだけが分かればいい。

 自分が生きていることが、分かればいいのだ。

 首を元に戻し、空を見た。

 鳥が一羽、視界を横切って、どこかへ飛んでいく。

 その鳴き声が、はっきりと聞こえた。



(続く)

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