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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
無の剣
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3-32 槍使いの刺客

     ◆


 卒業式で私はスピーチをしたが、異様な事態があった。

 私が壇上に上がり、スピーチを無事に終えた時、今までの卒業式では拍手が起こったものだが、その拍手がほとんど起こらなかった。

 実際に拍手をしたのは、近衛騎士団を代表して出席していた副団長のルドと、ハンス教官だけだった。在校生も、参加している父兄も拍手しない。

 父兄の中に私の家を代表している王都の屋敷の執事が、困惑している姿が見えた。それを見てから、二つの拍手に頭を下げ、私は壇を降りた。式は滞りなく進み、終わった。

 屋敷へ帰っても、使用人たちはまだ困惑している。

 私は自分の部屋で、その夜は壇上からの光景を振り返っていた。

 あの場の誰もが、私があの壇上にいるのを不正なものだと見ていたんだろう。

 きっと近衛騎士団の入団試験で、フォルタ・ブルレイドを陥れ、重病のきっかけを作り、自分は近衛騎士団への入団を確実にした、そんなことになっているのだろう。そう考えれば、納得がいく。

 卒業式の寸前に知ったが、首席卒業の栄誉を受けたのは、まさにフォルタだった。だが彼の姿は卒業式の式場にはなかった。彼は今も病院に入院し、治療の最中だ。いつ退院するかもわからない、という噂は嫌でも耳に入ってくる。

 私が間違ったことをしたとは思っていない。だが、罠に飛び込んでしまったのは私の落ち度だ。スピーチなんて断ればよかった。どこかで自分に光が当たることを歓迎していたのか? それなら、なんて私は愚かなんだろう。

 ため息を吐いて、窓の外を見る。窓の向こうには夜の闇があり、その中では降りしきる雪の幕に覆われて、王都の明かりはほとんど見えない。

 翌朝になるまで、私はじっと考え事を続けていた。

 朝食の後、近衛騎士団に入団するに当たって、新しい剣を用意することを使用人たちが勧めていて、それは使用人全員からの贈り物であるようだった。

 感謝して、使用人一人とともに雪に覆われた王都へ出た。

 王都という都市においては、私はほとんど無名の十六歳の少女だった。王立騎士学校にいた時のような、居心地の悪さ、無言の圧迫、忌避とは無縁でいられる街頭に、どこか羽を目一杯広げられるような気がしていた。

「待たれよ」

 声をかけてきたのは浮浪者に見えた。見えたが、眼光は浮浪者のそれではない。

 言ってみれば、歴戦の勇士の瞳。ハンス教官やルドのような瞳だ。しかし二人が日頃の瞳に映す制限されたそれではなく、奇妙な男の眼光には混じりっけのない力があった。

 立ち上がった老人が杖を取り上げたと思うと、それは杖ではなく槍だった。

 さっとそれが構えられると、通行人はまだ何が起こっているかわからないようで、声の一つも上がらない。

 構えている老人は、思ったよりも年を取っていない。六十ほどだろう。体には力がこもっている。やはり浮浪者ではない。

 私は使用人を下がらせ、腰にある剣の柄に手を置いた。

 抜く間もなく、老人が槍を突き出した。この段になって、周囲から悲鳴が上がった。

 私は半身になって穂先を避けるが、これは下策。横に走る槍を背を逸らして避けるがそれでは足りない。勢いのままに背中の方向へ倒れつつ、片手で地面を捉え、足は石畳を蹴る。

 ぐるっと一回転し、槍をやり過ごし、次の突きは今度こそ、まっすぐに後退して避ける。

 剣を抜く余地ができ、引き抜きざまに三度目の突きを払い除ける。

 老人が構えを取り、間合いを支配し始める。通行人はいつかのように、ぐるっと周囲を囲んでいた。

「名前を聞いておきたい」

 呼吸を整える意図もあり、声をかけてみるが、男は全く応じない。その程度には警戒しているのだろう。私も余裕をもって対処できる相手とは思っていない。相当な使い手で、経験も十分なようだ。

 槍の間合いをどうやって制するべきかは難しいが、要は勝てばいい。

 槍の間合いにじわりと踏み込み、これで老人が本当に警戒しているかはわかるだろう。

 老人は、距離を取り直そうとしない。私がそんなことをする理由を考え、しかし一撃で槍を突き込めると考えたか。

 その瞬間が、私の勝機だ。

 石畳にはまだ雪が残っている。私の足がその雪を小さな塊として蹴り上げた。

 誰かが悲鳴をあげる。

 老人の顔に雪が当たる。私は即座に踏み込んだ。

 こちらへ伸びてくる槍を剣で逸らし、そのまま剣が走る。

 男が濁った声を上げ、間合いを取り直した。それに合わせて観客のような通行人の輪が移動する。

 老人が深く息を吸い、吐く。私は深追いせず、手応えがあったことを考えた。

 目の前で老人の服が赤く染まっていく。切っ先が肉を引き裂いた感触は勘違いではない。

 だが目の前の男は、少しも気迫を衰えさせない。殺気、闘志はくじけることがない。

 槍の穂先がわずかに揺れる。男がまた息を吐く。

 私は一歩、前に進み出る。やはり相手は動かない。

 ただつい数秒前とは違うことは、わかった。

 私は剣を引いて、血を払ってから鞘に納めた。

 老人はピクリとも動かない。

 立ったまま絶命していた。まるで時間が止まったように、もう動かない。

 私がその男の様子を見ている間に、警察が駆けつけて、私と使用人を拘束した。

 そうなってから、あの老人が名のある使い手で、それが刺客として雇われたのだと、考えが及んだ。

 あの老人は最初から、全く余計な問答をしなかった。ただ槍を構え、私の命を狙った。

 その純粋すぎる意志力に、私の思考はほとんど考えることを放棄し、ただ戦うことだけに全てを振り向けたのだった。

 残酷な殺し合いにしては、純度が高すぎて、何かの儀式のようだった。

 命を何かに捧げる、奇妙な儀式。

 私は警察の馬車に乗せられて揺られながらも、あの老人の槍のことを考えていた。



(続く)

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