3-32 槍使いの刺客
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卒業式で私はスピーチをしたが、異様な事態があった。
私が壇上に上がり、スピーチを無事に終えた時、今までの卒業式では拍手が起こったものだが、その拍手がほとんど起こらなかった。
実際に拍手をしたのは、近衛騎士団を代表して出席していた副団長のルドと、ハンス教官だけだった。在校生も、参加している父兄も拍手しない。
父兄の中に私の家を代表している王都の屋敷の執事が、困惑している姿が見えた。それを見てから、二つの拍手に頭を下げ、私は壇を降りた。式は滞りなく進み、終わった。
屋敷へ帰っても、使用人たちはまだ困惑している。
私は自分の部屋で、その夜は壇上からの光景を振り返っていた。
あの場の誰もが、私があの壇上にいるのを不正なものだと見ていたんだろう。
きっと近衛騎士団の入団試験で、フォルタ・ブルレイドを陥れ、重病のきっかけを作り、自分は近衛騎士団への入団を確実にした、そんなことになっているのだろう。そう考えれば、納得がいく。
卒業式の寸前に知ったが、首席卒業の栄誉を受けたのは、まさにフォルタだった。だが彼の姿は卒業式の式場にはなかった。彼は今も病院に入院し、治療の最中だ。いつ退院するかもわからない、という噂は嫌でも耳に入ってくる。
私が間違ったことをしたとは思っていない。だが、罠に飛び込んでしまったのは私の落ち度だ。スピーチなんて断ればよかった。どこかで自分に光が当たることを歓迎していたのか? それなら、なんて私は愚かなんだろう。
ため息を吐いて、窓の外を見る。窓の向こうには夜の闇があり、その中では降りしきる雪の幕に覆われて、王都の明かりはほとんど見えない。
翌朝になるまで、私はじっと考え事を続けていた。
朝食の後、近衛騎士団に入団するに当たって、新しい剣を用意することを使用人たちが勧めていて、それは使用人全員からの贈り物であるようだった。
感謝して、使用人一人とともに雪に覆われた王都へ出た。
王都という都市においては、私はほとんど無名の十六歳の少女だった。王立騎士学校にいた時のような、居心地の悪さ、無言の圧迫、忌避とは無縁でいられる街頭に、どこか羽を目一杯広げられるような気がしていた。
「待たれよ」
声をかけてきたのは浮浪者に見えた。見えたが、眼光は浮浪者のそれではない。
言ってみれば、歴戦の勇士の瞳。ハンス教官やルドのような瞳だ。しかし二人が日頃の瞳に映す制限されたそれではなく、奇妙な男の眼光には混じりっけのない力があった。
立ち上がった老人が杖を取り上げたと思うと、それは杖ではなく槍だった。
さっとそれが構えられると、通行人はまだ何が起こっているかわからないようで、声の一つも上がらない。
構えている老人は、思ったよりも年を取っていない。六十ほどだろう。体には力がこもっている。やはり浮浪者ではない。
私は使用人を下がらせ、腰にある剣の柄に手を置いた。
抜く間もなく、老人が槍を突き出した。この段になって、周囲から悲鳴が上がった。
私は半身になって穂先を避けるが、これは下策。横に走る槍を背を逸らして避けるがそれでは足りない。勢いのままに背中の方向へ倒れつつ、片手で地面を捉え、足は石畳を蹴る。
ぐるっと一回転し、槍をやり過ごし、次の突きは今度こそ、まっすぐに後退して避ける。
剣を抜く余地ができ、引き抜きざまに三度目の突きを払い除ける。
老人が構えを取り、間合いを支配し始める。通行人はいつかのように、ぐるっと周囲を囲んでいた。
「名前を聞いておきたい」
呼吸を整える意図もあり、声をかけてみるが、男は全く応じない。その程度には警戒しているのだろう。私も余裕をもって対処できる相手とは思っていない。相当な使い手で、経験も十分なようだ。
槍の間合いをどうやって制するべきかは難しいが、要は勝てばいい。
槍の間合いにじわりと踏み込み、これで老人が本当に警戒しているかはわかるだろう。
老人は、距離を取り直そうとしない。私がそんなことをする理由を考え、しかし一撃で槍を突き込めると考えたか。
その瞬間が、私の勝機だ。
石畳にはまだ雪が残っている。私の足がその雪を小さな塊として蹴り上げた。
誰かが悲鳴をあげる。
老人の顔に雪が当たる。私は即座に踏み込んだ。
こちらへ伸びてくる槍を剣で逸らし、そのまま剣が走る。
男が濁った声を上げ、間合いを取り直した。それに合わせて観客のような通行人の輪が移動する。
老人が深く息を吸い、吐く。私は深追いせず、手応えがあったことを考えた。
目の前で老人の服が赤く染まっていく。切っ先が肉を引き裂いた感触は勘違いではない。
だが目の前の男は、少しも気迫を衰えさせない。殺気、闘志はくじけることがない。
槍の穂先がわずかに揺れる。男がまた息を吐く。
私は一歩、前に進み出る。やはり相手は動かない。
ただつい数秒前とは違うことは、わかった。
私は剣を引いて、血を払ってから鞘に納めた。
老人はピクリとも動かない。
立ったまま絶命していた。まるで時間が止まったように、もう動かない。
私がその男の様子を見ている間に、警察が駆けつけて、私と使用人を拘束した。
そうなってから、あの老人が名のある使い手で、それが刺客として雇われたのだと、考えが及んだ。
あの老人は最初から、全く余計な問答をしなかった。ただ槍を構え、私の命を狙った。
その純粋すぎる意志力に、私の思考はほとんど考えることを放棄し、ただ戦うことだけに全てを振り向けたのだった。
残酷な殺し合いにしては、純度が高すぎて、何かの儀式のようだった。
命を何かに捧げる、奇妙な儀式。
私は警察の馬車に乗せられて揺られながらも、あの老人の槍のことを考えていた。
(続く)




