3-25 家庭教師
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肋骨にヒビが入っているという診察を、屋敷に呼んだ医者が下した。
日常生活に問題はないが、とりあえずは安静にしろという。だから私は部屋で、使っていなかったものが運び込まれた新しい寝台に横になっていた。
次の日の昼間、ドアが控えめにノックされ、返事をすると使用人の声が「お嬢様、お客様ですが」と告げる。
「どなた?」
「カリナ・カリン様とおっしゃっておりました。約束があるとも仰せです。その、こちらの部屋で話をしたいとのことですが、いかがしましょうか?」
「連れてきて」
しばらく待つと使用人とともにカリナ・カリンその人がやってきた。昨夜と全く同じ表情だけれど、服装は正装だ。私のベッドの脇に立ち、恭しく頭でも下げるかと思ったら、首を傾げるだけだった。
「意外に元気そうね、モランスキー伯爵令嬢」
「私に怪我をさせた当人が、そんなことを言うのですか?」
「失礼、意外に頑丈、と訂正するわ」
自分で椅子を引っ張ってきて腰掛けると、カリナは優雅に足を組んだ。
「どんなことをしたかは知らないけど、ブルレイド公爵の息子が怒り心頭で、あなたを消したがっている。今回は私で済んだけど、ブルレイド公爵自身が動き始めると、もっと下品なことをするわよ」
「紅衣隊、ですか?」
「さすがに王立騎士学校の生徒にそこまではしないだろうけど、やろうと思えば、彼らを秘密裏に使ってもいいかもね」
「そういう助言をするために、こちらへ来ていただけたのですか?」
うーん、とカリナは腕を組んだ。そしてこちらに顔を寄せる。
「あなたの魔技、すごく面白いわ。それに確かな剣術と、歩技を使うのも昨夜のやりとりでわかった。で、これは提案なんだけど、期間ははっきり言えないけど、私の教授を受けてみない? 魔技の訓練もできるわよ」
「危険だと思いますけど」
正直で率直な指摘のつもりだったが、カリナは笑っている。
「あなたの魔技が危険だって? それはないわよ、ないない、ないってば。私に魔技を食らわせた人は、一人もいないのよ。これまでには、ということだけど」
「何故ですか? 昨夜のあの炎があなたの魔技ですか?」
隠してもいないけどね、とカリナが椅子にもたれかかる。
「私の魔技は、魔技を消す魔技よ。だから、焼却という通り名で呼ばれる。不思議な血筋でね」「魔技を消す魔技……? そんな……」
言葉に詰まる私に、カリナは嬉しそうに笑う。
「やってみればわかるわ。とにかく、私はブルレイド家の仕事はやめて、あなたを鍛える。まぁ、そんなことをすると貴族連中から干されそうなものだけど、あなたを見ていると、その程度のことは問題にならないと思うわよね、剣士としては」
カリナは私に、何を見ているんだろう?
それが何よりの疑問だった。私の剣術、魔技、そういうものに可能性があると見ているんだろうか。でも私自身には、私にどんな力があるか、すでに見えなくなっている。
と言うより、もう可能性はおおよそを消化し、ここからは積み重ねで限界を超えるしかないとも思っていた。
「不安が拭い去れないような顔ね」
手を伸ばして、カリナが私の頬を人差し指でつつく。
「まあ、一日でも私の相手をすれば、わかるわよ。でもまずは、私を雇うかどうか、決めてもらわなくちゃね。料金はほどほどにしておくからね」
告げられた金額は、一般的な貴族が雇う家庭教師に支払われる額と大差ない。
私は受け入れて、使用人を呼んで手付金を払うように頼む。
「契約成立」
手を差し出されたので、私はその手を握った。暖かな、優しさを感じる感触だった。
翌日の朝、私が胸の痛みを感じつつ、身支度を整えて食堂へ行くと、すでにそこで食事を取っている人がいる。誰かと思えば、カリナだった。彼女が食べ物を頬張ったまま、手を上げて挨拶してくる。
使用人たちが困惑しているけど、私はカリナの向かいの席に座った。使用人が料理を用意し始める。
「貴族の食事を食べるのが趣味の一つでね」
口元をナフキンで拭いながら、カリナが言う。そして豪快にレモネードのグラスの中身を一息に飲み干す。
「やっぱりブルレイド公爵家はいい食材を揃えていたし、料理人もいい人材を集めていたようね。酒もいいものが出たし、ジュースも新鮮だった。牛乳もね。まぁ、あんなものばかり食べていると、そこらの店で食事するのがバカらしくなって、逆に悪影響だわ」
ペラペラとしゃべりながらも、カリンはパンにバターを塗り、ジャムをボトボトと乗せると、口へ運んでいる。唇の隅にジャムが付いていた。
「まぁ、モランスキー伯爵家はほどほどに質素で、しかし工夫が随所に見えるいい具合の味、って評価しておこう」
「ありがとうございます」
「まあ、ただで食事をして評価するんだから、私も相当だわ」
その後もカリナはいくつかの貴族の屋敷で食べた料理の話をして、私は相槌を打ちながら料理を食べた。私が知っている貴族の食事は、今でも時折、呼ばれることがあるコッラ公爵家の食事くらいだった。
もう六年近く王都にいるのに、親密になった貴族はいなかったことになる。
どうも私は、貴族という立場には馴染めないらしい。貴族に対する印象も、よくはない。自分も貴族の一員なのに。
「さて、時間もないし、さっさとやりましょう」
私が食べ終わるのと同時に、さっとカリナが席を立った。そしてこちらを見て、笑みを浮かべる。
「あなたの魔技、まだ伸びるわよ」
私は無言で頷いて、立ち上がった。
当分は王立騎士学校では学べないことを、教われる。そう思うと、静かな興奮があった。
(続く)




