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剣士の肖像  作者: 和泉茉樹
無の剣
105/188

3-21 闇の中

     ◆


 春の日差しが夏のそれに変わり、空気も熱を孕んだまま夜を迎えるようになっていた。

 夕食を食べていると、来客が告げられた。

「グリース・ポルメタス様です」

 予想外の名前に、危うく食後の紅茶の入ったカップを取り落としそうになった。

 彼が卒業してから何年も経っているが、その間、一度も顔を合わせていない。フォルタたちは会っているだろうが、私は呼ばれなかったと解釈していた。

 それが、グリーズから訪ねてくる。

 私は身支度を整え、応接間で彼と対面したけど、一目見ただけで彼が何をしているか、わかった。

 赤く染め抜かれた衣をまとっているのだ。

 赤揃えの鎧は近衛騎士団の共通装備だが、その赤よりも深い赤の衣をまとうのは、近衛騎士団とは性質を異にする組織だ。

 それは紅衣隊と呼ばれる、大陸王国が使う公式の暗殺組織だ。

 市民には近衛騎士団の中の一部隊で、近衛警察とされているが、実際にやる仕事は法で裁けないものを裁くことにある。

 遅くなって申し訳ありませんと声をかけて、私は彼の向かいに腰掛けた。

「何かありましたか? グリーズ様」

 学生時代もぼんやりしていたが、今も表情にも活発さはない。気だるげに私を見て、黙っている。私はじっと彼の言葉を待った。

「紅衣隊は知っているな? モランスキー伯爵令嬢」

「はい、それは」

 どういう話の流れか読めないので、グリーズの言葉を待つしかない。まさか私を逮捕するわけではないようだ。もちろん、今から拘束される可能性もあるけれど。

 使用人が紅茶を注ぎ直すと、グリーズが身振りで感謝し、そしてゆっくりとカップを持ち上げる。

「お前を紅衣隊に招きたい、というのが上官の考えだと、伝えに来た」

 言葉の意味を飲み込むのに時間が必要な上に、理解したところで、どう飲み込めばいいか、わからなかった。

「私を、近衛警察に?」

「それだけの実力があるし、有望ということだ」

 ぼそぼそとグリーズが呟く。

 その彼に対して、紅衣隊の実際を聞くことはできなかった。そそは貴族の栄達のうちのステップの一つなのか、それともはっきりとした実力が重視される場なのか。

「結論は卒業の前でいい。またその頃に来ることにしよう」

 カップの中身を残したまま、彼は立ち上がると、私を見下ろした。

「これは光栄なことだ。それをよく理解するように」

 はい、としか言えなかった。

 グリーズが去っていき、私はしばらく応接間を離れずに考えていた。

 近衛警察とはいえ、近衛騎士か。モランスキー伯爵の立場からすれば、相応に高い地位だし、貴族の外の貴族という身分からすれば、十分な栄達だ。

 ただ気にかかるのは、紅衣隊が暗殺を生業とする、血にまみれた剣士の集まりであることだ。

 すでに私の手は血に濡れている。直接には三人の、間接的にはさらに一人の命が、私の手で奪われているのだ。

 私はこれからも人を殺していくのが定めなのか。

 大勢を犠牲にして、死者で作られた階段を一歩ずつ上がっていくのか。

 そんなことに、耐えられるだろうか。

 深く息を吐き、自分のカップに注がれている紅茶を口へ運ぶ。唇に触れたそれは、冷え切っていた。

 もっと日の当たるところに立ちたいと思うのは、傲慢だろうか。

 紅衣隊という闇から、また明るいところへ出ることができるのかな、私は。

 考えていても仕方ないので、自室に引き上げたが、そこでも予定以外の相手が待ち構えていたのは、全く想像の外だった。

 部屋に入ると、部屋の隅で何かが動いたので、反射的に飛び退り、身構えた。

「ファナ・モランスキーだな?」

 小柄な影で、声は涼やかだ。

 だが顔は見えない。ローブを羽織って深いフードで顔を隠している。闇をそのまま形にしたような、真っ黒いローブだ。

 それに気づいて、相手が誰なのか、遅れて理解できた。

「黒衣隊……?」

 黒衣隊の存在は、どこの公式記録にもないと聞いているし、実際に彼らと遭遇して生き残ったものも、それぞれにバラバラの話をして、実態は見えてこない。そしてそのうちに行方不明になるか、不審死する。

 とにかく、この黒い衣で身を包んだ存在は、紅衣隊と同様の任務を与えられながら、常に影の中から動かず、姿を見せない。

 黒衣隊こそ、本当の暗殺者集団、王国の闇の中で生きるものなのだ。

 誰が指示を出すのか、何人で構成されているのか、そもそも隊員の素性や顔さえ、明かされていない。

 その暗殺者が、なぜ、ここに?

 紅衣隊に組み込まれるなら殺してしまえ、という意図か。剣は腰にはない。壁に掛けてある。歩技を使えば飛びつけないこともないが、それを侵入者が許すだろうか。黒衣の人物はローブに隠れていて、剣を持っているかも見えないが、持っているだろう。

 では徒手空拳で挑むべきか。

 そうでなければ、魔技で不意を討って仕留めるか。

 考えている時間はほんの一瞬で、結論は出なかった。このどっちつかずが致命的な隙であるとしても、心が定まったところで死なないわけじゃないのだから、救いがない。

 そんな私に、そっと黒衣の人物が声をかけてくる。

「黒衣隊は本来、存在しない。だからこれは例外」

 例外?

「ファナ・モランスキー、お前の実力は知っている。それを我々は必要とするかもしれない。甘く見られても困るが、お前の能力なら、申し分ないだろうと判断された。闇に踏み込む勇気はあるか?」

 闇に、踏み込む……。

 私が黙り、一言も言えないでいると、黒衣の誰かは頷いて、

「また会うこともあろう」

 とだけ言って、窓へと進んでいく。

「待って、あなたは誰なの?」

 声をかけても相手は振り向くどころか足を止めさえしなかった。

 窓を開けて外へ飛び出し、ひとりでに窓が閉まった。

 私は窓の外の全てを飲み込む闇を見たまま、動けなくなっていた。



(続く)

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