1-1 影
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影。僕はそう呼ばれていた。
ジャニアス三世が統治するシルバストン朝大陸王国における、地方都市の第四都市が僕のいる場所で、ここは辺境地帯への入口だった。
駐屯している兵士は少数で、都市と呼ばれながら悪徳の街とも呼ばれていた。
僕の得物は一本の剣で、それで人を切るのが仕事。
なんでこんなことをしているんだろう?
そんなことを思う場面が何度かある。それも例えば、ぼんやりとタバコを吸っている時とか、ベッドに横になっている時か、そういう場面ではなく、だ。
相手と剣を向けあって、まさに相手が僕に切りかかろうとする瞬間に、その時の僕は不思議に思ってしまう。
なんでこれから切って捨てる相手を前に、自分のことを疑問に思うのか。
相手を切ることは既に決めている。やめるわけがない。
今、やめてしまったら、逆に僕が切られる。
どうやら僕はまだ死にたくないらしい。切られる前に切ろう、そう思うからだ。
時間の流れが緩慢になり、相手が剣を抜こうとする。
遅い。
こちらもゆっくりと剣を抜いていく。こちらが早い。
相手の男の顔が、はっきり見えた。怒りをにじませ、鬼気迫る形相だ。
そんな顔をしなくても、どうせ生き残るか死ぬかしかないのに。
きっと僕は無表情だろう。
表情で相手を切るわけじゃない。
二本の剣が抜き放たれ、それぞれに相手に向かっていく。
すれ違った。途端、時間が本来の流れを取り戻す。まるで時間が連れてきたように、剣を握る僕の手にちょっとした手応えが生まれた。
振り返ると、相手の男の顔はやっぱり酷いものだ。
でもさっきと違う。汗が噴き出し、顔が一層、歪んで、その次には力が抜ける。
そこで足から崩れるように男が倒れこんだ。
悲鳴を上げないのは立派。正々堂々と挑んだことも、立派。
僕は剣を鞘に戻し、自分の体を確かめる。どこにも怪我はない。その程度の使い手だったか。
盗みが目的ではないので、僕は服装を整え、その場を後にした。報酬を持ってくるものは、この男の死体が発見された後、僕のところへやってくるだろう。
人気のない狭い通りを抜け、大通りに出た。急に眩しく感じるのは、空が開けているからか。無表情のまま、僕は歩いた。
「待て、貴様!」
大声が響き渡り、僕は足を止めた。たまたま通りかかった周りの人たちも、不思議そうに足を止めている。
でも僕は振り返る必要がなかった。背後からやってきた四人が僕をぐるりと取り囲んだ。全員が剣を腰に帯びている。四人ともがまだ抜いてはいないが、いつでも抜ける姿勢だった。
服装からして、兵隊でもなければ、治安を守る警察でもない。
もっと砕けた、暴力で飯を食う奴らだ。
「報復として切らせてもらう!」
一人が叫び、四人が一斉に剣を抜いた。通行人がほとんど同時に距離を取り、しかし逃げ出そうとはしない。ただ、人が切り結ぶところ、そして死ぬところを見たいんだろう。
僕は立っている位置をほとんど変えず、体の向きだけを変えて、周囲を確認。
距離は問題ない。対応できるだろう。
あとは僕次第だな。
風が吹いて髪の毛が揺れる。まだ時間は引き伸ばされていない。
四人のうちの一人が叫び声を上げ、構えの位置を変える。無駄なこと。気迫だけで相手を切れる力量の持ち主ではない。
僕は剣の柄に手を置いた。誘いだ。
誘いに乗ってくる。確信がある。
四人が踏み込む。僕が八つ裂きにされるまでの、わずかな瞬間が、永遠になる。
踏み込んで行く先で、一人の胸を刺し貫く。相手はギョッとした顔をしていて、剣を振り下ろす動きを続けるが、僕があまりに早く詰め寄ったため、剣は鍔に近い位置が僕の肩に食い込んだところで、勢いを失う。
剣を横に払い、絶命している男の胸を引き裂き、刃は自由を取り戻す。
その横薙ぎのまま、すぐそばまで間合いを詰めていた二人目の首筋を薙いだ。
パッと血が飛沫き、男がよろめく。
ここまでが僕の限界。
残り二本の刃が、背中を切り裂いてくる。
灼熱、続いて、激痛。
だけど僕は死んでいない。浅くもないが、深くもない。
死んでいなければ、反撃ができる。
二人目を切った勢いのまま、体を旋回させ、三人目を切り上げる。切っ先が空を向いた時、三人目は胸から首、顎、頬、片目を切り裂かれている。
その動きで四人目の二振り目は回避している。
僕の剣が高速で翻り、四人目は防御に転じようとしたが、遅い。
空から落ちた僕の剣は、容赦なく四人目の頭を二つに叩き切った。
押し潰されるように倒れ込み、それを見た時には、僕は本来の時間に戻っていた。
四人は確かに死んでいる。僕の勝ちだ。
勝っても高揚感はない。生き残った、とも思えない。
死ななかった、とは思う。これは生き残ったと同義のようで、わずかに違うものだ。
どちらにせよ、背中が痛んだ。流れた血が足へと伝っていくのがわかる。
まるで剣が暴れ出すのを防ぐように、そっと鞘に差し込んだ。
周囲で見物していた通行人たちは、あるいは僕が相手を切っている時には悲鳴を上げたかもしれないけど、覚えていない。今、こうして全てが終わった段階では、彼らは一様に真っ青な顔をして、僕を見ていた。
役者ではないし、道化でもない。気の利いた言葉を言えるわけもない。
僕が去ろうとすると、通行人たちがぶつかりながら道を開けた。
背中から出血しているからだろう、すれ違う人は一人残らず、僕をまじまじと見る。
路地に入り、そこから人気のない方を選んだ。こういう誰も気づかないところに住みたがる人間もいて、そんな人たちは僕の血を見ても、特に何も思わないようだ。
路地の奥深くにある既に廃墟のような建物の玄関のドアを開けた。灯りがともっておらず、シンとしている。
上がり込もうとすると、奥から老人が出てきて、目を細めた。
「オーリーか。血の匂いがするな」
老人にそう言われて、確かにそうだろうと思った。
「五人ほど、切ったよ」
そう答えると、違う、と老人は顔をしかめる。
「お前の血の匂いだ。治療してやるから、上がりなさい」
促されて、僕は老人とともに通路の先へ進んだ。階段をいくつか上がっていくと、急に明かりが強くなり、階段を抜けた先は、廃墟の最上階だった。周囲の建物よりわずかに高く、太陽光が差し込んでいるのである。
ここに来ると、今は昼間なんだな、と考えることも多い。
服を脱いで寝ろ、と言われて、がらんとした部屋にある古びたベッドに上半身裸で、うつ伏せになる。
もう血は止まっているな、と言いながら僕の肩と背中を見た老人が、何かの準備を始める。何かじゃない、医療行為だ、それははっきりしている。ただ、彼が正規の医者ではない、というのがいつも気にかかるだけだ。
つまりは、闇医者。腕は確かだから、頼りにはなる。
僕はじっとベッドに横になったまま、繰り返し、あの四人の剣の筋を考えていた。背後からで見えなかったはずの二人の剣も、想像することができた。その剣が僕を切り払ったからだ。その一点で、彼らがどう剣を振るったか、想像が可能になる。
薬が注射され、わずかに痛みが遠のく。何かが肩と背中の傷口でうごめく感じがする。でもそれも短い時間で、数を数える間もなく終わった。
「三日は運動を控えるんだぞ」
そういう老人は今は何か、塗り薬を塗っているようだ。上体を起こすと、かなりきつく包帯が巻かれた。
「料金は後払いでいい」
老人はそう言って、手術に使った道具を片付け始めた。
僕はベッドに座った姿勢のままで、窓の外を見た。
一羽の鳥が空へ上がっていく。
僕はどこへ行くこともできない。無感情に、そんな言葉を思い浮かべた。
どこかへ行きたいのか?
でも、どこへ?
(続く)