第九話 アカル
「黒天楼ですか……初めて聞きました」
宿で目を覚ました私は食事をとった後、レンセ様からいろいろと話を聞いた。
「黒天楼の存在を知っているのは各国の王族か、それに近しい家の者だけ。後は、自警団組織の上層部も何人かは知っています」
「何で存在を隠す必要が……?」
「さっきの化け物……私達はムーアと呼んでいるんですが、その存在は簡単に言うと『現象が実体化したもの』です。
もし人々がそれを知ってしまったら、どうなると思いますか……?」
「……」
私は腕を組んで考える。何もないところから現れる化け物か……
うーん……どうしようもないような?
「……恐怖が蔓延するでしょうね。町の中を透明な殺人鬼が闊歩しているようなものです。
いつどこで襲われるかも知れない……そんな存在がいると聞かされて平静でいられるでしょうか?」
「無理ですね……」
「ムーアの発生は、私達には止めようがないのです。だから黒天楼という存在は隠さなければならない」
私は納得しかけたが、一つ気になる点があった。
「でもレンセ様は助けに来てくださいましたよね?」
いつどこに現れるかわからないのに、どうしてあのタイミングで来てくれたのだろうか?
私の疑問にレンセ様はふむ、と頷いて教えてくれた。
「それは黒天楼にいる、ノルバさんのおかげですね」
「ノルバさん?」
「ノルバさんは、簡単に言うと『上級ムーアの発生する場所がわかる』という能力を持っている方です」
「え、それじゃさっきの話と矛盾が……」
ムーアの居場所がわかるなら、透明な殺人鬼と言えないのでは……?
私の解釈が違っていたのだろうか。
レンセ様はノルバさんの能力について少し注釈を加えてくれた。
「分かるのは『上級の発生場所』のみです。 もし、ムーアを倒せずに逃げられでもしたらノルバさんにはもう見つけることはできません」
「なるほど。ところで上級がいるなら下級もいるんですか?」
「下級というのは、現象が肉体を得て権現化し、肉体を得てムーアとなる際の『ムーアが発生する現象』で生まれるムーアの総称ですね」
「や、ややこしいですよ……」
私はこめかみをぐりぐりした。
それを見たレンセ様は苦笑して、取り出した紙にカリカリと何かを書き出した。
「まあ、順番でまとめると……」
・【現象】→【権現体(存在)】→【上級ムーア】→【下級ムーア】
「……こうなりますね」
「なんだか下級が進化先みたいですね……」
「そうですね。……とにかく、ノルバさんが分かるのは上級だけです」
「屋敷に出た奴も上級ってことですか?」
「ええ。……身一つで向かって行ったあなたは本当に大したものです」
「そ、そうですか……?」
レンセ様の誉め言葉に私はえへへっと笑った。
◇
「……さて、ここまでは機関の成り立ちや、ムーアについて語ったわけですが」
レンセ様はじっと私の目を見つめた。
「あなたが私に付いて来る、すなわち黒天楼の戦士になるという事は、機関の試練を受けなければなりません」
「試練」
「その試練によって、戦士として相応しい能力があるかを見られます」
「はい」
「相応しくないと判断されても機関に一度足を踏み入れたなら、二度と一般市民には戻れません。機関の中で一生を過ごしてもらう事になるでしょう」
「それは、そうなるでしょうね……」
「あなたに一生を機関に捧げる覚悟はありますか?」
私は当然頷く。
「ふむ、ではまず名前を変えましょう。 黒天楼で新たな人生を歩む戦士は、過去をすべて捨てなければいけません。当然私も過去を捨てた身です」
「名前ですか……」
「何か候補はありますか?」
ふと、私は捨てきれないものを一つ思い出した。
院長……おそらくもう二度と会えないけれど、あなたの優しさを忘れないよう、名前を使わせてもらいます。
(それから、アヴィ……)
私は黒い靴を見る。
あなたは靴になってずっと私といてくれるのね?
私は院長とアヴィ、二人から名前を貰ってカルヴィにしようと思ったが、なんだか油っぽいのでやめた。
「アカル。私の名前はアカルです。」