第5話 分からない
イディが案内してくれたのは、町の外れにある小さな古い建物だった。イディは周りを見回してから中に入った。すると、わっとたくさんの子どもたちに出迎えらる。小さな子供から大きな子供まで、ざっと20人くらいだろうか。みな、口をそろえて「おかえり」と言った。と同時にライドへ視線が移った。
「ただいま。新しい友達を連れてきたよ。ライドっていうんだ。」イディが言った。
みな、別の子が来ることには慣れているらしく、温かく出迎えてくれた。
「ご飯も出来てるよ。」一人の年上の女の子が二人の手を取った。二人は引っ張られるままに奥へと進む。そこには小さな殺風景の部屋があり、地面にはぼろぼろの絨毯が敷かれ、その上にお皿に入ったスープとバナナがあった。ライドはきょろきょろとあたりを見回した。女の子が言った。
「ここは廃墟になったモーテルで私たちが隠れて使ってるの。大人たちにばれたら追い出されるから誰にも言っちゃだめだよ。」
それでイディは周りを見ていたのか、とライドは思った。
「あ、俺、ライド。よろしく。」
「あたしはドナ。これからはあなたもここのファミリーよ。ちなみにこのモーテルの名前を取って、自分たちのことをエールって呼んでるわ。」ドナは笑顔で言った。
「エールには俺たちのように行き場のない子供が集まっているんだ。みんなリドから仕事をもらって生活している。儲けたお金はここのみんなで一つにして使っているんだ。ライドの言う通り、あれだけでは満足に生活出来ないけど、みんなで集めたらその日の食べ物には困らないくらいには生きていける。」イディがスープを飲みながら明るく言った。
「さぁ、食べたらさっさと眠ろう。明日も早いし。」
ライドは二人と楽しくお喋りをしながらご飯を食べ終え、今日一日のことを反芻しながらライドは他の子どもたちと一緒に眠りについた。
次の日からライドの慌ただしい生活が始まった。朝一番に店の準備をし一日中靴を売る。それからリドへ売り上げの半分を渡し、この家に帰ってくる、という日々を過ごすのだ。思っていた「外」の世界とは違い、生活は苦しいものだったが、毎日が知らないことの連続でこれはこれで楽しかった。ライドはアルから別の国の言語も習っていた。それが英語と呼ばれる言語だと後から知った。観光客も時々訪れるこの街ではそれは非常に役に立った。英語で話しかけるととても喜ばれ、靴を買ってくれた。イディはそれには大いに驚いた。なぜ話せるのか、どこで習ったのか、ライドは答えに困ったが、前に住んでいたところで知り合いに習った、と話せる部分だけ話した。
「いいな、俺も学校へ行って色んなことを勉強したいな。」イディは少し寂しそうに言った。
「学校?」
「ああ、両親がいる子や裕福な子は学校へ行って、先生から色んなことを教わることが出来るんだ。」イディは言った。
「へ~、ということは、それもお金がかかるんだね?」ライドは尋ねた。
「うん、だって教科書もノートも買わないといけないし、学校に行ったら仕事できないから稼げないからね。」
「そっか、・・・じゃあ俺が英語を教えるよ。」ライドがそう言うと、イディは目を輝かせた、
「本当!?嬉しいよ、ありがとう。」ライドも笑顔を返した。
「ライドは?もし学校に通えるなら何を学びたい?」予想外の質問にライドは戸惑った。何があるか、何を学べるのかすら知らなかったからだ。だが、ライドの頭の中にある言葉がよぎった。
「・・・・俺は・・・法律について学びたいな。」ライドは言った。
イディはまたも驚いた顔をした。
「なぜ?」
「うーん、うまくは言えないけど、みんなのルールなんでしょ?ゲームでもルールを知っている人が強いでしょ?だから、法律を知ったら強くなれるかな、って。」
「ゲームって、ライドってやっぱ変わってるね。・・・・法律かぁ、ライドはもしかして文字も読めたりするの?それならインターネットがあれば勉強できるかもしれないけど。。。」
「インターネット?文字は読めないけど見てみたいな。」また知らないワードだ。ライドは部族の文字は読めたが「外」の文字は読めなかった。
「インターネットも知らないの!?じゃあ、もしかしてケータイもテレビも電話も!?」
「・・・」ライドは首を横に振った。
イディは呆然とした。一体、どこに住んでたら、ここまで無知に過ごせるのか。。今やサバンナでひっそりと暮らしている少数民族でさえ知らない人はいないと思うんだけど・・。
「ライド、次の休みに町の中心地へ案内するよ。こんな小さな町でもパソコンはたくさんあるから。」
次の休み、ライドはイディとともに街の中心地へ約3時間かけて歩いた。そこらへんを通る車やバスへ乗るにも金がかかるらしい。ライドはアルからもらった蓄えをなるべく残しておきたかった。中心地へ近づくにつれ、建物はどんどん多く大きくなり、道もどんどんきれいになっていった。ライドにとってはすべてが新鮮でキョロキョロせずにはいられなかった。
「すごいな、ここ。」
「ライドは本当にド田舎から来たんだね。こんな場所、世の中にはたくさんあるよ。といっても俺もほかの場所はテレビでしか見たことないけど。」イディは言った。ライドは何やら子供たちがたくさん出入りしている建物を見た。
「あれは図書館だよ。たくさんの本があって、パソコンやテレビもあるよ。」
「へ~。」ライドは中を覗いた。
「うわぁっ!!!」ライドは思わず後ずさった。
「どうしたの?」イディが聞く。
「なんか大きな、人じゃないけど、変なのが、、あれはなんて生き物なんだ!?」
イディもひょいっと中を覗くと、すぐに大笑いした。
「アッハッハッ、ライド、あれはロボットだよ。」
「ロボット!?」
「人がコンピュータで作ったものだよ。都会にはたくさんいて図書館の中を案内しているんだ。」
「コンピュータ?」「外」に来た時から初めて聞くことばかりだ。そのまま図書館を通り過ぎようとしたイディをライドは引き留めた。
「ここ入りたい!パソコンとかテレビってのもあるんでしょ?」
イディは暗い顔をした。
「・・・俺も入ったことがないんだ、・・・いや、俺は入れないんだ。」
「??なぜ?」ライドは聞き返した。
「入るには、IDが必要なんだ。身分証明書ってやつだ。」
「ID?」
「うん、人間が一人ひとり番号を持っているのはさすがに知っていると思うんだけど」
ライドは知らなかったがさすがに恥ずかしくなったので、知っているふりをして頷いた。イディは続けた。
「その番号が載っているIDカードが必要なんだけど、俺みたいにどこで産まれたか分からない子はIDが登録されていないんだよ。・・・ライドは登録されているの?されているならここ入れるよ。たぶんカードがなくても名前で検索してくれると思う。」
「あ、・・・ううん、俺もないと思う。」ライドはとっさに答えた。そんな話、部族で聞いたことがないから、みんな登録されていないんだろう。イディは頷き、また歩き出した。ライドは名残惜しくもイディに付いていった。
「この先に俺たちみたいな子供たちに優しくしてくれるメアリっていう人がいるんだ。メアリに頼んだらパソコンを使わせてくれるはずだよ。」そう言ってイディはしばらく歩いた後、小さな建物の前で足を止めた。家、、ではないようだ。
イディは躊躇せずに中に入ると、そこには数人の大人たちがいた。
「あら、イディじゃないの、久しぶりね。元気そうで良かった。」一番奥に座っていた金髪の女性が笑顔で声を掛けてきた。ライドは女性のきらきらした髪の毛に目を奪われた。「外」にはこんな綺麗な色の髪の毛を持つ人がいるんだ。もしかして、俺と同じ肌を持つ人もどこかにいたりするんだろうか、ライドは思った。
「メアリ、久しぶり。」イディも笑顔で答えた。
「この子、友達のライドって言うんだ。インターネットを知らなくてパソコン見せてあげてくれないかな。」
メアリはライドを見た。青い瞳だ、ライドは驚いた。
「・・・ええ、いいわよ。」ライドはメアリのアクセントから英語が母国語だと気づいた。メアリはライドがインターネットを知らないことを怪しんでいるかのようだが、特に事情を聞こうとはしなかった。ライドにはそれが有難かった。また、メアリにはすべてを包み込むような暖かな雰囲気があり、信頼できそうだと感じた。
メアリは二人を隣のコンピュータルームへと案内してくれた。そこにはずらっとパソコンが並んでいる。ライドにはこれが何かさっぱり分からなかったが胸が高揚するのを感じた。ライドは、メアリの指示のままに椅子に座り、目の前にあるボタンがずらっと並んだ小さな長方形の一番上のボタンを押した。すると目の前のモニターが光る。ライドは目を白黒させた。メアリはくすっと笑い、モニターの画面をタッチした。画面がメアリがタッチする度に次々と変わる。ライドは胸のドキドキが止まらなかった。
「すごい、一体これは何なんですか!?」ライドは興奮して言った。
「これがパソコンよ。これ一台で色んなことが出来るわ。インターネットって言うのは世界中にたくさんあるこういったコンピュータなんかを繋いでいるネットワークのことで、世界中のありとあらゆる情報を見ることができるのよ。」メアリの言葉にライドはさらに興奮した。
「世界中の情報が!?こんな小さなもので、・・信じられない。」
メアリはインターネットでいろいろな国の風景を見せてくれた。ピラミッドやニューヨークの街並み、アジアの市場、ライドはずっと見ていたいと思った。と、ライドは本来の目的を思い出した。
「あの、法律を勉強したいんです。これで勉強できますか?」
メアリは目を丸くした。
「法律を学びたいなんて珍しい子ね。なぜ学びたいの?」
「俺が育った場所はド田舎で、、世の中について全く何も知らないんです。法律を知れば分かると思いました。」ライドは熱を込めて言った。
「・・・分かってどうするの?」メアリはさらに質問した。
「それは、、、今は分かりません。だけど、俺は、、」ライドは少し迷いながら言った。
「俺は、、なんでリドのような金持ちがいて、イディのようないいやつが学校も行けないくらい苦しい生活を送っているのか、なんでIDを持たない人は他の人が自由にできることをできないのか、理解できません。。法律を知れば、この世界のルールを知れば、なぜなのか分かる気がしました。」
メアリはさらに目を丸くした。イディも隣で驚いた顔をしていた。こんな小さな無知な少年がこんな事を考えるなんて。メアリは少し考えながら言った。
「すごいわね。君。・・・インターネットで法律の勉強ができるか、っていう質問だけど、答えは・・・Yesでもあり、Npでもあるわ。」メアリは続けた。
「インターネットという世界は本当の情報だけではないの。嘘の情報もあれば誤った情報も溢れている。本当に信用できる情報かどうか見極めることが必要だけど、それも正しい法律を知っていなければそれが本当に正しい法律か分からない。つまり、情報だけならいくらでもあるから勉強はできるけど、それが正しい法律か分からないってこと。政府のホームページからなら正規の法律が見れるでしょうけど、そもそも言葉が難しすぎて、読んだところで訳が分からないでしょうね。。ちなみに文字は読めるのかしら?」
「・・・いいえ。」ライドは悔しそうに言った。
「・・・それならまず文字を学ばなきゃね。」メアリは苦笑した。
「あの、、メアリは法律を知っているんですか?」
「・・・いいえ。」今度はメアリが答えた。
「もちろん基本的なことは学校で学んで知っているわ、といってもこの国の法律ではないけれど。だけど法律というのはそんな簡単ではないのよ。やってはいけないことについてはもちろん、生活、経済、教育、宗教、とにかくありとあらゆる人間の行動について記載されていて、すべてを把握するのは至難の業よ。」メアリは厳しい顔で言った。
「国によって法律が違うんですか!?」ライドは聞き返した。
「ええ。そうよ。国も違えば、法律も、政府の仕組みも、文化も、教育も、考え方も、異なってくる。遠くにいけばいくほど、違いは大きくなるわ。」ライドは頭がくらっとした。一体、どこまで知れば「外」の世界について分かるのだろうか。。ライドは混乱しながらも聞いた。
「法律って世の中のルールなんですよね?なんで守るべき法律を大人たちでさえ詳しく知らないんですか?なんで誰もがわかるように簡単じゃないんですか?」ライドは部族の簡単な掟を思い出しながら言った。メアリはまた驚きながら言った。
「いい質問ね。確かに法律は誰もが分かるように簡単にするべきだと私も思うわ。でも、さっきも言った通り、法律はそんなに単純じゃない。人類が長い歴史の中で、必死に練り上げて作り上げたものよ。穴がないように、一つ一つが精巧に作られた国の宝でもあるの。簡単には理解できないわ。」
「そんなの・・・。」ライドは言葉に詰まった。
「ライド、そろそろ行かなきゃ。日が落ちる前に帰らないと。」イディが躊躇いながら言った。
「あ、そうね。急がないと。イディ、ライド、またいつでもいらっしゃい。来たら文字を教えてあげるわ。」そう言って、メアリは帰り際に甘いパンとジュースをくれた。
ライドは少し落ち込みつつ家路についた。
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