私と九郎ちゃんと赤いクレヨン。
例えば、私が金平糖を食べたとします。
それで世界の歯車が狂うなんて大それたことは勿論言いませんが、この金平糖を食べたという事実によって、気分を悪くする人間が一人います。
「アンタ、よくそんな砂糖の塊食べられるわね」
案外すぐ目の前に。
「しかも毎日飽きずに」
「九郎ちゃん、私にいつも女子力女子力言う割に、可愛い金平糖は嫌いなの?」
「嫌いじゃないわよ。ただアンタ、気が付いたらボリボリ食べているじゃない。ニキビ出来たって知らないんだから」
「私、生まれてこの方ニキビって出来たことないんだよね」
「まあ羨ましいわねこのベビーフェイスめ」
うりうり、と言いながら九郎ちゃんは私の頬を引っ張ります。それはもう母親譲りのもちもちとした真っ白な肌ですから、大福みたいによくのびます。痛いです。
お友達である九郎ちゃんは、こんな喋り方ですが男の子です。フルネームは土方九郎ちゃんと言います。かなり硬派なお名前をしていますが、中身は女の私より美しさに気を使う男の子です。俗に言うオネエいうやつとは本人曰く違うようです。女性の仕草や言葉遣いが美しいからそれに倣っているだけだと、いつか彼は言っていました。私は別に九郎ちゃんがどんな喋り方をしていようと九郎ちゃんであることには代わりないので、あまり気にしてはいません。ただ、何かとジャージで生活している私に対して小言を言ってくるのだけは勘弁してほしいなと思うだけです。
「そうだ、金平糖で思い出したわ。西校舎のアレ、どう思うの?」
「何で金平糖で思い出すの?」
「質問に質問で返さないで頂戴」
確かに、九郎ちゃんの言う通りでした。
西校舎のアレというのは、今全校生徒の授業が自習になっていることと大きく関係のある事件です。ちなみに私と九郎ちゃんは自習なのを良いことに、空き教室でお喋りをしているというわけですね。
第一発見者は、男子バスケ部のマネージャーだったようです。西校舎は運動部の部室が集まる校舎ですから、極々自然なことだと思います。朝練に備えて部室の鍵を開けたマネージャーは、あまりの光景に一瞬何が起きていたのかがわからなかったようでした。
部室のありとあらゆる『空白』が、真っ赤に塗りつぶされていたのです。
血。視界に映った赤はマネージャーにはそう思えたらしく、真っ先に悲鳴をあげたようでした。悲鳴に気が付いたどこかの教師が現場に駆けつけて、そして驚愕したそうです。
血ではありませんでした。その赤は、クレヨンでした。子どもが絵を描く時に使う、あの油っぽいクレヨン。それが、壁や天井や窓や床といったありとあらゆる『空白』を真っ赤に塗りつぶしていました。しかも、それはバスケ部の部室だけではありません。野球部もサッカー部もバレー部も、西校舎の部室全部が真っ赤になっていたのでした。今はもう掃除がされていて徐々に消えつつありますが、私達がいる空き教室から見える西校舎の窓にはまだクレヨンの赤が残っている階もあって、どうにも異様な光景です。
緊急職員会議、というものが行われているので朝から自習になっているというわけでした。自習というのも名ばかりで、生徒達はチャンスと言わんばかりに再来週に控えた学校祭の準備にとりかかっているようです。
「素直に凄いなあって思ったよ。ペンキならともかく、クレヨンで全部塗りつぶすって相当な労力でしょ。当然時間もかかるし。実際問題、一人の人間じゃあ無理だよね」
「複数犯って思っているわけ?」
「まァ、人間なら。九郎ちゃんさ、こっくりさんって知ってるよね」
「流石に知ってるわよ」
「前に本で読んだことがあるんだけど、こっくりさんって沢山派生していて、呼び方とかルールとかが微妙に違うんだよね」
代表的なのはエンジェルさんかな、と続ければ九郎ちゃんは聞いたことがあると頷いてくれました。どんなに名前や細かなルールが変わっていても結局は降霊術の一種なのだと聞いたことがあります。そして、どれだけ派生していても共通のルールというものも存在します。
「ごく一般的なこっくりさんだと降霊の媒体は十円玉なんだけど、中にはクレヨンを使う降霊術もあるって聞いたことがあるんだ。そしてね九郎ちゃん。あの類いの降霊術って、『絶対に途中で終わらせてはいけない』って共通ルールがあるの。だからね、さっきの九郎ちゃんの質問に答えるなら、そうだなあ」
お気に入りのピンク色をした金平糖を一つ、口に入れて続けます。
「呼び出された子が、儀式の途中で放り出されて怒ってるんだろうな、って思うよ」
「……やっぱり。西校舎に行ってたのね、アンタ」
「何で九郎ちゃんが知ってるの?」
「何で、って言われてもね。アンタが興味持つだろうなって思ったからこっそり西校舎に忍び込んだら、金平糖が落ちてるんだもの。アンタが来ていたと思うしかないじゃない。アタシ、この学校で金平糖を常備している生徒、他に知らないわよ」
「えへへ」
「褒めてないわよ」
そう言いながら、九郎ちゃんは私の頭を撫でてくれます。九郎ちゃんの手は大きいけれどごつごつしていなくて、とても好きです。きっと私が生きてきた中で一番好きな手です。しばらく撫でられるがままになっていると、ぴたりとその手が止まりました。
「どうしたの、九郎ちゃん」
「ねえ、例によってアタシには見えないんだけど。もしかしてさ」
「うん」
「今回も、憑かれちゃってるわけ?」
「えへへ」
「だから、褒めてないわよこの天然タラシちゃんが」
そうです。九郎ちゃんが私に触れていたのを見て、『あの子』は怒ってしまったようでした。少しだけですけれど。
「今回は小さい子だから、九郎ちゃんも怒らないでね。一緒にお絵かきをすれば、帰ってくれるって言っていたから」
私の後ろには、小さくて真っ黒くて、ツノの生えた何かがのそりとこちらを見ながら立っていました。手には、真っ赤なクレヨンを持っています。私は、こういった『都市伝説』のような『噂話』のような『おまじない』のような、そんな不思議に溢れたもの達に、どうにも好かれてしまうという体質なのです。
「だから九郎ちゃん、何かあったら守ってね」
「はいはい、いつものことよ」
それに付き合ってくれる九郎ちゃんは、今日も深く溜息をつくのでした。