一萬~番外編④~
「…参りました」
僕は眼鏡先輩との麻雀勝負で、圧倒的な力量差を見せつけられて敗北したので、蚊の鳴くような声で負けを認める。 ――彼女は強い…。 一方的にやられるのが、こんなに悔しいなんて……!
僕はこれ以上惨めな思いをしたくなかったので、一刻も早くこの場から立ち去ろうとすると、眼鏡先輩に呼び止められる。
「――ふむ。 君は麻雀の経験者だろ?」
「……はい。 子供の頃、お祖父ちゃんとよく麻雀で遊んでました」
そうだった。 僕はこの麻雀の勝負を始める前、経験者であることを伝え忘れていた。 それで僕たちが初心者だということでハンデを設けられたのだ。
僕が「ポン」や「チー」を理解していたのが不可解だったのだろう。 眼鏡先輩は、僕の回答に納得したようで頷いていた。
――恥ずかしい。 経験者なのに初心者という嘘をついて、圧倒的に敗北したことが。
「し、失礼します! ――ほら、竜伍も行くよ!」
僕は慌てて部室から立ち去るために、隣りに座っていた竜伍の腕をとって扉から出て行く。 その時、竜伍は「俺の…、俺のパイが……!」と言いながら眼鏡先輩の方に腕を伸ばしていたが、僕は気にしないようにする。
元々僕らにとっては場違いな所だったのだ。 竜伍が女性の裸を見たいという不純な動機のせいで、僕は巻き込まれた。
麻雀部に入部したいわけでもないのに、冷やかしで勝負を挑んだ僕らには当然の報いだ。 明日からは非日常から日常に戻るだけだ。
そんなことを思いながら、僕は竜伍の襟を引っ張って麻雀同好会の部室を後にしていた――。
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「なぁ、マリー。 あの二人、どう思う?」
菅崎雀と橋本竜伍が麻雀同好会の部室を去ったあと、眼鏡を掛けた女性が、胸が豊満な女性――庭白マリアに問いかける。
「ふふ。 菅崎ちゃんは、とっても可愛い子だったわ」
「そういうことじゃなくて」
「うん、もちろん分かってる――あの子、『読み』がすごいわ」
庭白マリアは菅崎雀のポテンシャルに感銘を受けていた。 聡明な頭脳に、危険察知能力――後者の方はまだ経験数が浅いのか自身の直感を信じきれない節だったことを告げる。
「ふむ、その通りだと思う。 これから何千という対局の経験を積めば、立派な雀士になれるだろう――もう一人の方は?」
「えっと、りゅうごくん? だっけ。 …彼からは、特に何も感じなかったけど?」
ふむ、と頷いた眼鏡の女性は、先程まで橋本竜伍が座っていた席を指差していた――否。 彼の卓に、伏せてある牌を指摘する。
「――なぜだか知らんが、ほんの一瞬…彼の手牌からアブない気配を察知したんだ」
神妙な面持ちで、妙なことを告げる彼女に疑念を抱くアリアだったが、一つだけ不可解な点があった。 それは、彼女がポンやチーを使って最速のアガリを目指していたこと。
彼女は、『鳴く』(ポンやチーのこと)ことをあまり好まず、正々堂々と相手との純粋なぶつかり合いを信念にしている。 先程の特別ルールがあったとしてもだ。
それなのに、『鳴く』理由とは――?
その意味を確かめるために、アリアは橋本竜伍が座っていた席まで近付き、彼の手牌を確認する――すると。
「……なーんだ、バラバラじゃない」
橋本竜伍の手牌には、一個も牌の数字の並びや絵柄が同じものが一つもなかった。 マリアは、戦慄していた彼女を安心させようと、手牌をオープンさせて彼女に見せる。
すると、先程まで飄々としていた彼女はガタっと椅子から立ち上がり驚愕していた。
「――やはりか…!! 私の勘は、正しかった……!」
未だに事態を呑み込めていないマリアはポカンと口を開きながら、彼女に真相を告げてもらうよう促す。 すると彼女はこう告げる。
「彼が『川』に捨てた牌を、全て手牌に戻してみろ」
1巡が始まる前までに戻して何が分かるのだろう、という疑念を抱きながら言われた通りに手牌を並べると――。
「――嘘でしょ、これ!?」
事の重大さにやっと気付いたマリアは、ただ叫ぶことしかできなかった。
「これ、仕込んだとかじゃないよね…?」
「無理だ。 これは『全自動卓』だから、『山』の操作などできん。」
目の前の非現実的な『現実』を信じられないマリアは、あらゆる仕掛けを考えるがその仕込みすらもありえないと結論するしかなかった。
「……こんなことって、ありえるの?」
「前例はない。 だが、目の前で起きてしまった――これが何よりの証拠だろう」
二人が目にしたものは――。
『国士無双』の『天和』だった。
配牌時に、アガリの形になる確率は――『33万分の1』である。