建御雷神(タケミカヅチノカミ)
◆◆◆◆◆◆
ここ……何処……?やけに暑い。
そしてキィンと耳から全身に広がって駆け抜けていく金属音。
泥のように身体が重くて、ジワジワと全身が沈んでいくような感じ。
いやだ、誰か助けて。
私は重い腕を必死で上げた。目の前は薄暗くて何も掴めるものがない。
けれど、沈むと二度と上がってくることが出来ない予感がして怖くてたまらない。
「た……助け、て」
掠れた声に威力なんてないけど、言わずにはいられなくて。
ああ、もうダメ。
力無く腕が下がりそうになったその時、
「しっかりしてください」
低くて心地好い声がして、誰かが私の手を掴んだ。
「拓也……?」
ううん、口調や話し方で拓也じゃないって分かってた。けれど、けれど、私は呼ばずにはいられなかった。
それは願望。だってまだ拓也を愛しているから。
◆◆◆◆◆
「柚菜、よう帰ってきたなあ」
「……ただいま。お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも元気そうで良かったわ」
「柚菜が思たより元気そうで安心したわ」
「…………」
「…………」
……思ったより元気そうって、どんな感じに思われていたのかは……敢えて考えまい。
長方形のテーブルを二つ並べた実家の約二十畳の和室に座る面々は、私の家族なんだけれども。
……気まずい。実に気まずい。
毎年お盆には帰省するんだけど、今年はいつもと皆の雰囲気が違う。
仏壇や欄間、床の間の掛軸をしきりと見たり、私と視線を合わせずにそっとこちらを盗み見している。
声かけづらいよね、そりゃ。
だって私、秋武柚菜は離婚しちゃったんだもの。
祖父母、両親、兄夫婦とその子供達が勢揃いするなか、父が妙な咳払いをした後、斜め向かいに座る私をチラリと見た。
「まあ、かまへんやないか。お前はまだ23や。これから先、まだまだようけ」
「なあ、柚菜ちゃん、『離婚』てなにー?」
「こらっ、祐丞!」
焦る義姉さん。
「なにー?ママ、『離婚』て聞いたらあかんのー?」
なんとまあ残酷な生物なんだ、幼稚園児という生き物は。
父の言葉を平気で遮り、傷心という名の海に放り出された当人にドストレートに尋ねるとはな。
私は甥に向かってニッコリ笑った。
「祐くん、結婚て分かる?」
「分かるー。好きな人と一緒に暮らすことやろ?」
「そう。離婚はその反対やねん。真逆」
「ふーん。じゃあ、ブスのが可哀想やな。だって離婚やったらまた結婚したらえーけど、ブスは」
「こらっ!」
……まあいい。ゆっくり大人になってちょうだい。
「ごめん、柚菜ちゃん」
兄嫁が固い表情で私を見たけど、私はフフフと笑った。
「全然!大丈夫!」
……飲んでやる。今夜は浴びるほど飲んでやる。
私はスックと立ち上がると父の目の前に置いてあった地酒(龍力)を手に取った。
◆◆◆◆◆
「柚菜、これ見てみ」
「ん?なになに?あら、新入り?!」
二時間後、私とお祖父ちゃんは、数々の日本刀を愛でながらお酒を飲んでいた。酔っぱらってるのにまだ飲む私達に付き合いきれない家族はつい先ほど解散し、家中に散らばっていってしまったあとである。
私のお祖父ちゃんは大変な愛刀家で、数多くの日本刀を所持している。
お祖父ちゃんの持っている日本刀はどれも実際に歴史に名を残した武将に使われていたもの、もしくは有名な刀匠が手掛けた本物ばかりで、模造品の類いは一切無い。
それを見極めるには熟練した鑑定士さんの確かな眼が必要となるらしいんだけど、名の通った鑑定士さんが感嘆するほどお祖父ちゃんのコレクションはレベルが高いそうだ。
だからたまに噂を聞き付けた美術家や愛刀家が、『誰々の何々を譲ってほしい』的な話をしにやって来る。
私もそんなお祖父ちゃんの元で育ったので、日本刀が好きだ。
「日本刀が好き?!殺人の道具だよ?どこがいいの、怖いよ」
昔、学校で日本刀が好きと言うとクラスメートにこう言われたが、私は芸術的な観点から見て好きなんだよね。
どこが好きかと聞かれたら、全体の形も好きなんだけど、一番私が好きなのは『地肌』と呼ばれる部分の模様。地肌とは、ザックリ言えば日本刀の表面部分だ。
日本刀となる鋼を何度も槌で叩き、折り返して鍛えることによって不純物を取り除いて強度を出す。この作業を折り返し鍛錬と言うんだけど、鋼の折り返し方は刀工の流派によって違いがあって、それによって地肌の模様が変わってくるの。
……まあ、刀を手にとって表面をよく見なきゃ分からないんだけどね。
それと刃文も好き。
刃文ていうのは簡単に説明すると刃の部分の白っぽく見える部分の模様だ。刃文は焼き入れを行う時に、刀身に焼き刃土を塗ることによって出来る。
焼き入れ温度なども関係するんだけど、焼き刃土の厚く塗った所と薄く塗った所との境目が、様々な形になるわけ。
まあ……あまり友達には理解してもらえなかったけどね、日本刀の話をしても。
そして、一言で日本刀といっても様々なものがある。
太刀、刀、脇差・脇指、直刀、剣なんかもあるし、薙刀や槍も言わば刀の一種。
あ、ちなみに小太刀と脇差は別物。
ほかにも細かくいうとまだあるんだけど、時代背景や用途によって形も呼び名も変わってくるのよね。
ああ!日本刀って、魅力的。
日本刀を作る技術的な面も、芸術的観点からいっても最高。
日本刀って、有名な刀工のものとなるとかなり価値が上がるのよね。
さっきいった『折り返し鍛錬』という作業にしても、ただ鋼を折り返して叩く回数を増やせばいいって訳じゃない。
刀工の研ぎ澄まされた感覚と優秀な弟子との呼吸で、粘りのあるいい日本刀が出来上がるのだ。
私はウットリしながらお祖父ちゃんの手の中の日本刀を見つめた。
「どうしたん、この太刀」
かなり反りが深い。
太刀とは、馬上で使う事を目的とした長めの刀で、刃を下にして腰に吊るす。
お祖父ちゃんは満面の笑みで私を見た。
「これはな、お祖父ちゃんの従兄弟の家の縁の下から出てきたんや。多分、鎌倉時代のもんや。
これはおじいちゃんのみたところ、 最上大業物とまではいかんとしても、大業物か良業物ゆうとこや。確実に国宝級の一振りやな」
お祖父ちゃんは『抜刀術』別名『居合術』の先生だ。
抜刀術とは、帯刀した日本刀を鞘に納めた状態から始める武術なの。
素早く抜き放った日本刀で相手を仕留めるんだけど、お祖父ちゃんの抜刀術はそれはそれは洗礼されていて美しい。そして速い。
そんな抜刀術の達人で愛刀家でもあるお祖父ちゃんだからこそ、この太刀が業物だと分かったのかもしれない。
大業物、良業物とは、山田浅右衛門が試し切りを行い、切れ味ごとに分類した言わば日本刀のランク付けだ。
たしか浅右衛門が発表した懐宝剣尺によると、少なくとも7つに分類されていたように思う。
私はあまりの驚きに息を飲んだ。
「業物なん?!」
「浅右衛門の眼に留まっとったら、確実に有名になっとった一刀やな」
そう言うと、お祖父ちゃんは太刀の刃を下向きにし、表側の茎を私に見せた。
茎とは柄の部分で、ここは製作者である刀工が自分の名を刻む場所だ。
「……誰って書いてんの?錆びてて見えにくい……」
「白鷺流西山て書いてあるんや」
「……ハクロ?」
お祖父ちゃんがニヤリとした。
「そう。白鷺城の、ハクロや。この意味が分かるか?」
それって……。
「業物をつくれる刀工がこの地にいたってこと?!」
「そうや。腕のええ刀匠がおったんは『五ヶ伝』だけやない。この播磨の地にも業物をつくれる刀工が確かに存在しとったんや」
『五ヶ伝』とは 大和国、備前国、山城国、相模国、美濃国を指すんだけど、この五つの国の刀工が大変優れていて、刀の世界ではスゴく有名だ。
「実はお祖父ちゃんはな、白鷺の日本刀をもう一刀持っとるんや」
そう言いながら太刀をそっと置くと、お祖父ちゃんは窓際の棚をそっとあけて、紺色の布にくるまれた、太刀よりも短い日本刀を取り出した。
「脇差?」
お祖父ちゃんが頷きながら布の結び目を解いた。
「手にとってみ」
「ええの?!」
私はお祖父ちゃんから脇差を受けとるとそっと布を開いた。
それから眼の高さに上げ、蛍光灯の光を確認しながら斜めに傾けて地肌を凝視する。
これは……。
「こんな地肌、見たことない……」
「そうやろ。鳥の羽根みたいな模様やろ?白鷺独特の地肌や。ということは白鷺は『五ヶ伝』の中の、どの流派も継いでない可能性が高い。少なくても鎌倉時代には流派を確立してた事になる」
「……この脇差はいつの頃のやつ?」
お祖父ちゃんは僅かに眉を寄せた。
「六さんに見てもらわなまだはっきり分からんけど、お祖父ちゃんは幕末やと思とるんや」
六さんとは、村瀬六道さんといい、お祖父ちゃんの幼馴染みでありながら宮司さんで、日本刀の鑑定士でもある。
……幕末……?ちょっと待って。
白鷺という名を『白鷺城』にちなんで名乗っていたとしたら……。
私は慌ててお祖父ちゃんに言った。
「けど、鎌倉時代に白鷺城はなかったやろ?築城は1346年やもん。鎌倉時代は1333年に終わってる。築城中としても、『白鷺城』と呼ばれるようになったのはずっとずっと後やし。となると白鷺って名前は偶然で、播磨の刀工やないかも……」
私がそう言うと、お祖父ちゃんは首を横に振った。
「何らかの理由で後の代の刀工が流派名を変えた可能性もあるし、偶然白鷺という言葉を使こたんかもしれん。記録がないから分からんのや」
「何らかの理由?!」
「白鷺という刀工の記録が今のところは見つかってへんから分からんけどな。妖刀騒ぎが起きたんかも知れんし、それまでは流派を名乗ってなかったんかも知れん。とにかく地肌からも分かるように、確実に同じ流派や」
その時、眼の端で何かが光った。
……ん?反射的にそちらを見たけど何もない。ただ、古びた木箱がひとつ。
「……お祖父ちゃん、今、なんか光ったんやけど……あの箱の隙間……」
私がそう言うと、お祖父ちゃんは僅かに目を見開いて口を引き結んだ。
「あの箱、なに?」
お祖父ちゃんは大した物ではないと言ったようにサラリと返答した。
「……あの中に入っとんはな、剣や。誰が作ったんかも分からん。 建御雷神て彫ってあったわ」
建御雷神?
聞きなれない単語に、私は眉を寄せた。
「建御雷神ゆうのは、日本の神様や」
……そうだっけ。分かんないなぁ……。けど神様の剣って、昔から有名だよね。ほら、『神代三剣』とか。
『神代三剣』っていうのは日本の神話の中にでてくる剣で、特にメジャーな剣の事だよね。
天叢雲剣
布都御魂
天羽々斬
この三剣を神代三剣と呼ぶのだけど、私が覚えているのは天叢雲剣……別名『草薙の剣』のお話だけ。
……確かスサノオが、出雲の国でヤマタノオロチを退治して、尻尾を切った際にスサノオの剣の刃が欠けて、その尻尾から出てきた剣が草薙剣だと言われているんだよね。
……スサノオは知ってるけど、 建御雷神は知らない。
私はしばらく無造作に置かれた箱を見つめていたけど、やがてそれに近付きながら、口を開いた。
「……開けて見てもいい?」
「やめとき」
切り返すようにお祖父ちゃんは言葉を返した。そして白鷺の脇差を丁寧にしまうと、チラッと私を見た。
「祭事に使う神剣や。刃は先端しかついてないし、誰が作ったかもわからん。その上、焼きも入ってないし鋳物やな、多分。それになんかおかしいんや、その剣は。その時代に鋼を鋳造する設備なんかないはずやのに、鋼なんやなあ……銅剣ならまだしも」
……ふーん……。
鋳造品で焼き入れもしてないなら、切れ味も強度も期待出来ない。
「さ、今日はこのぐらいにして柚菜ももう休み」
お祖父ちゃんはそう言うと、作務衣のポケットから鍵を取り出した。
「鍵するで」
「あ、うん」
私は後ろ髪を引かれる思いで部屋から出た。
◆◆◆◆
二時間後。
……眠れない。全然眠れない。
お酒の酔いもすっかり覚めてしまい、私は二時間前に交わしたお祖父ちゃんとの会話を思い出していた。
『白鷺という刀工の記録が今のところは見つかってへんから分からんけどな。妖刀騒ぎが起きたんかも知れんし、それまでは流派を名乗ってなかったんかも知れん』
鎌倉後期のものだという白鷺の太刀……。
大業物を作る腕がありながら流派を名乗らないなんて、有り得ない。
茎に彫られた白鷺の名の下に、本当はどういう名が彫ってあったのか。
それとも……最初から名を彫っていなかったのか。
そしてもしもお祖父ちゃんの説が有力だとしたら、後に『白鷺』と彫り込んだ理由は何だろう。
本当に妖刀騒ぎのせいなんだろうか。妖刀とはいわくつきの不吉な刀の事で、『村正』が有名。
村正とは伊勢の国桑名、現在の三重県桑名市で活躍した刀工の名前なの。
……もしかして白鷺の刀の中にも妖刀と呼ばれる類いのものがあったのだろうか。
そう思いながら眼を閉じるも、脳裏に浮かぶのはあの脇差だった。
太刀も素晴らしかったが、私はあの脇差が忘れられなかった。手に触れた時の、シットリとした感覚。
舞い散る羽根を思わすような地肌と、その滑らかさ。
そして良い日本刀特有の、全体的に粘りのあるの質感。
白鷺の脇差は、手に取った直後は氷のように冷たいのに、次第に熱を帯びたように感じた。それと共に私自身の血が騒ぎ出すような感覚。
こんなのは初めてだ。まるで……あの脇差は何かを訴えているようだった。
……もう一度見たい。あの脇差をもう一度手に取りたい。
明日になったらお祖父ちゃんに頼んで見せてもらえばいい。
それなのに。何故なんだろう。我慢出来ない。
今すぐもう一度見たい、触れたい。
でないと、狂いそうだ。ジリジリと胸が焦げるようなこの感覚。
今までに何度か味わったことがあるこの感覚の正体を私は知っていた。
でも。
人に対して抱いた事はあっても、物に対してこんな気持ちを覚えた事などなかった。
ダメだ、今すぐ……。
私はゆっくりと起き上がるとお祖父ちゃんの部屋を目指して歩き出した。
鍵の場所は分かってる。引き戸を開けてすぐ左の壁に掛けてあるのだ。
私はそっとお祖父ちゃんの部屋を開けて鍵を持ち出すと、日本刀部屋の前に立った。
鍵を開ける際に手が震える。……早く……早く、会いたい。
熱に浮かされたような自分に、戸惑う気持ちなんかまるでなかった。
早く、会いたい。
部屋に入ると真っ先に、私は脇差のしまわれた棚を開けた。
「白鷺……」
思わず口を突いて出た言葉は『白鷺』。
その時である。
「随分な扱いだな」
心臓を掴み上げられたような感覚にビクッとして、私は我に返った。
深く良く響く声は身体の中にじんわりと染みていくようで、驚いた割にさほど恐怖は感じない。
「……誰?」
「誰だと思う?」
真後ろで再び声がして、私は振り返った。それから想像よりも高い位置にある顔を思わず見上げる。
なんて、素敵な人なんだろうと思った。凛々しい眉の下の、意思の強そうな黒い瞳。端正な顔立ち。
和装の胸元は僅かに着崩れていて、厚い胸板がチラリと見えている。
本能的に神様だと思った。何で怖くないんだろう。神様だから?
その時チラリと横目でれいの箱を見ると、不思議な事に紫色の靄のようなものに包まれていた。
「あなたは……神様……?」
「名は分かるか?」
うっ。
私は思わずたじろいだが、必死で平静を装った。……だって、なんだったっけ?とは言えない。罰が当たると嫌だし。
「も、ちろん」
「…………」
彼の眼が、言ってみろと告げている。
えっと、確か……。
私は胸の前で両手をギュッと握りしめた。
「ミ、ミカヅキ……ん?違うな。えーっと、タテカナヅチ、あれ?」
やばい、ほんとになんだっけ。
眼の前の男前神様は、黙って私を見つめている。緊張のあまり背中に冷や汗が伝った。
「タ、タ、タテ、タテミカ」
「もういい」
若干イラついたような神様の声が響き、私は小さくごめんなさい、と謝った。
「俺の名は建御雷神だ」
「あっ、そう言おうと思ってたんです」
私がエヘッと作り笑いをしながらそう言うと、彼はわざとらしく両目を細めて唇を引き結んだ。
「ご、めんなさい、ややこしい名前が苦手で」
「……では、ミカヅチで許してやる」
「……ミカヅチ」
「呼び捨てかよ」
「すみません」
「…………」
「…………」
痛い。ミカヅチ様の視線が痛い。
シゲシゲと品定めするように彼は私を上から下まで見ていたが、やがて小さく息をついた。
「胸もなければケツもねえな」
「へ?」
なんですって!?
思いもかけない神様の暴言に私が眼を見張ると、ミカヅチ様は悪びれる様子もなく口を開いた。
「俺の剣に眼もくれず、白鷺の脇差に夢中とは……無礼な女だ」
黒曜石のような、硬度の高い石のような瞳が、射抜くように私を見つめている。
私は慌てて一歩下がった。
「見たかったんですけどその、」
……危ない、神剣に興味がないとは言えないし……。
「なんだ」
「えっと、は、は、は、白鷺の日本刀があまりにも美しくて」
「やっぱり無礼な女だ」
「すみません……」
……そういやミカヅチ様は私が白鷺の日本刀に夢中だって、どうして分かったんだろう。
私が白鷺と呼んだから?
「あの、ミカヅチ」
「テメェ、敬う気はねーのか」
いや、それよりも。
「あなたは何の神様ですか?」
ミカヅチ様は僅かに眉を上げたけど、凍りついた様に私を凝視した。
「ほら、トイレの神様とか、神様ってなんか色々別れて」
「殺すぞ」
ギラリと私を睨むと、ミカヅチ様は苛立たしげに口を開いた。
「俺は雷神にして剣神でもあるが……いわゆる武神だ」
私はマジマジとミカヅチ様を見つめた。髪こそ長いけど、精悍な顔立ちと逞しい体つきは武術の神に相応しいと思う。……思うんだけど。
私はおずおずと口を開いた。
「あの、そろそろ白鷺の脇差を見てもいいですか?お祖父ちゃんが起きて来る前に見ておきたくて」
ミカヅチ様は呆れたように私を見た。
「そんなに気に入ったのか」
私はコクンと頷いた。
「顔が赤いぞ」
たしかに、変な感じだった。フワフワと浮くような感覚。気恥ずかしくて、でも会いたくて。
「勝手にしろ」
私はペコリと頭を下げるとミカヅチ様に背を向けて、棚の扉を開けた。
ドキドキと煩い心臓をなんとかなだめつつ、脇差の布を解く。
「……さすがだな、白鷺は」
私の背後からミカヅチ様は脇差を覗き込むと続けた。
「だがあいつは腕が良すぎた。それが悲劇の始まりだったな」
私は咄嗟にミカヅチ様を振り仰いだ。
「どういうことですか?」
「……知りたいか?」
「はい」
私は即答した。現代に語り継がれている名だたる刀匠の中に、『白鷺』の名はない。それが何故か。
業物を作る腕がありながら、どの文献にも記されていない『白鷺流』を知りたい。
「教えてください、この脇差を生み出した白鷺の事を」
瞬間的に、ミカヅチ様がニヤリと笑った。
ゆっくりと唇を引き上げ、まるで私がこの言葉を口にするのを待っていたと言わんばかりに。
《かかったな》
声に出さずそう告げる彼の笑みに、私は眼を見開いた。
「……見てこい、自分の眼で」
「……へっ?」
「ついでに白鷺に剣を一振りさせてこいよ」
「は?」
私は眉を寄せた。
そんな私を見てミカヅチ様は続ける。
「そもそも、お前のジジイが悪い。この俺の剣を六道の神社に奉納しようとしやがって。そんなことされたら俺はこの先自由に動けなくなる。剣神の座を狙ってるヤツは多いんだ」
「……あの、どういうことですか?」
「お前には考える頭がないのか。……つまりこの剣は言わば俺自身だ。神社になんぞ封じ込められたらこの先地獄だろーが!だからお前が行って、白鷺に代わりの剣を作らせろ。ちゃんと俺の名を彫らせろよ」
私は焦った。
ミカヅチ様の話はまるで、私が過去の日本に行って白鷺に会い、剣を作らせて持ち帰れと言っているみたいだ。
「みたいじゃなくて、その通りなんだよ。お前が持ち帰った剣を、俺の剣の代わりに神社に奉納する。じゃないと封印が解けない」
全身に鳥肌が立ち、彼を見上げたまま私は息を飲んだ。
「こ、心を読んだの?!」
「読む価値もねぇわ。とにかく行ってこい」
私はさらに焦った。だって、過去の日本になんか行きたくない。ただ私は、ミカヅチ様に白鷺の話をしてほしかっただけなのだ。
「無理!!」
私が声を抑えながらも強く断ると、ミカヅチ様はイラついたように顔を寄せて至近距離から私を見据えた。
「そんなの自分で白鷺に頼めばいーじゃん!神様なんでしょ!?」
「もうすでに俺はあのクソ坊主に封印されかかってんだよっ!お前のジジイがすぐさま六道に見せやがって、六道のヤツときたら剣に術かけやがって!お陰で俺は今、時を越える事が出来ない。全くとんでもない破戒僧だぜ、六道は!」
「なにそれ、弱っ!それに六道さんは僧侶じゃなくて宮司だよ。あそこ神社だもん」
「何だとこのブス!いちいちうるせえ!」
たちまちのうちに私達はバリバリと睨み合ったが、やがてミカヅチ様は床の上の木箱に歩み寄ると荒々しく蓋を跳ね退け、中にあった剣を掴み出した。
「……きゃあっ!」
木箱は紫の靄に包まれているのに、剣は目映いばかりの銀色に光っている。思わず眼を背けた私に、ミカヅチ様は言い放った。
「いいか、よく聞け。さっきも言ったが俺は今、時を越える事が出来ない。かなり頼りないがお前しかいないんだ。白鷺に会わせてやる代わりに剣を一振りさせろ。それを必ず持ち帰るんだ。わかったな!?」
嘘でしょ、冗談じゃない!
「ほんとに昔の日本に飛ばす気!?嫌だ、行きたくない!」
ミカヅチ様は剣を眼の高さに上げて縦に構えると、ゾクッとするほど冷たい光を宿した瞳を私に向けた。
「お前に拒否権などない」
その時だった。
眼にも留まらぬ速さで、ミカヅチ様が私の首に片腕を回した。
「きゃあああっ!!」
なに、何なの、背中が……!!
焼け付くような激しい痛みを背中に覚え、私は咄嗟に悲鳴をあげた。
「上手くいったらそれなりに礼はする。いいか。白鷺に会ったら背中を見せろ。これと寸分たがわぬ剣を作らせて持ち帰れ」
それって、まさか私の背中に……!
一発殴ってやりたいけど、焼け付くような背中が痛くて目眩と吐き気が半端ない。
「ミカヅチ……」
のバカ、と言ってやりたかったが、私はとうとう目の前が真っ暗になり、やがて何も分からなくなったのだった。