6.お腹が空いた
「お腹が空いた……」
昨夜ヴォルケイノーが自分たちが起こすまでは横になっているようにと言っていたのだが、こんな風に空腹を抱えた状態でも食堂に行ってはいけないのだろうか。
枕を抱え込んだ状態でミーティアは一人呻き声を上げ続ける。
なにもそこまで律儀にヴォルケイノーの言葉に従う必要はないのだが、交わした取引内容以上の厚遇を受けている身としてはむやみに我を通すことが憚られた。
しかしお腹が鳴り始めてからは泣き言へと移行した。
「あーん、お腹空いたよぉ……。誰でもいいから早く来てぇ……」
心から――と言うよりは腹からの訴えが届いたのか、ドアをノックする音が響いた。
ガバリと起き上がるとミーティアは元気よく返事をした。
「はーい、どうぞー」
訪問者はフルカルスだった。
「ああ、起きていたんだね。疲れもほとんど取れたようだしよかったね」
「でもお腹が空きすぎて倒れそうです」
鳴り止まないお腹を擦りながらミーティアは八字眉を成した。
その言葉にフルカルスは笑い声を上げながら「悪い悪い」と軽い口調で謝るが、ミーティアが拗ねたように頬を膨らませるとひとまず笑いを治めた。
「悪かった。さあ、少し遅くなったけど朝食を持ってきたんだ。暖かいうちに食べて」
そうして部屋の中ほどに設置されたテーブルの上に持ってきていたトレーを置いた。
お皿からは確かに暖かそうな湯気が立っている。
「これは?」
見覚えのない料理にミーティアは小首をかしげた。
「ああ、それは蕎麦の実のカーシャだよ。カーシャってのはお粥っていう意味。大人気の朝食メニューだからぜひ食べてみて」
カーシャはロシアでは朝食の定番といえるほどの代表的な家庭料理だ。あらびきした蕎麦の実を水とブイヨンと牛乳で軟らかく煮てある。
なるほどとうなずいたもののちょっと量が少ないような気がするとミーティアが考えていると、内心で呟いた問いに答えるかのようなタイミングでフルカルスが補足するように説明した。
「これだけじゃ足りないと思うけどじきに昼食の時間だからそれまではもつと思うよ」
とりあえず食べてみて。そう勧められたミーティアはまずは一口食べてみた。小さくうなずいて次々口に入れていく。そんなミーティアを見て問題ないと判断したフルカルスはほっと一息ついた。
「よかった。食べられそうだね」
入浴の準備もできているので食べ終わったら昼食の時間までは好きに過ごすようにと伝えたフルカルスは、女性の部屋に長居はできないからと言って早々に退室した。
せっかくの好意だからとありがたく受け取ることにしたミーティアは、早速入浴した。
結局昨夜は半乾きのまま寝てしまった髪もしっかりと洗髪しなおした。
ただ彼女の髪は長さが腰まであるためなかなか乾かない。
陽射しの力を借りて乾かそうと日当たりのよさそうな場所を探して建物の外周に沿って歩いていると、ちょうどいい感じの柵を見つけた。柵の上に腰掛ければ地面に髪をつけることなく座ることができる。
早速背中側が日光に当たるように腰掛けてみればさらにありがたいことに向かい風が吹いてきて、髪を躍らせながら水分を飛ばすようにして隙間を抜けていった。
ぽかぽかと暖かい陽射し。適度な温もりのある春風。
ミーティアは足をぶらぶらと揺らしながら気持ちよさそうに目を細めた。
時間はわずかに遡りミーティアが寝台の上で空腹に耐えていた頃、ヴォルケイノーたちは鍛冶屋の作業場に集まっていた。
リベルトの手にはミーティアから預ったレイピアがある。矯めつ眇めつして見ているリベルトに、ヴォルケイノーが声をかけた。
「それで何かわかったか?」
形状はどう見てもレイピアで。けれども異様に耐久性がある。どんな材質で作られているのかと気になってしまうのは武器を扱うものたちの性だろう。実際ヴォルケイノーとリベルトだけでなくフルカルスとマルキリスも興味津々といった感じで瞳を輝かせながら一心にその剣を見つめていた。
ややあって検分を終えたリベルトが顔を上げて淡々とした口調で報告した。
「封じられているようだがこれは『豊穣と繁殖の女神の剣』だな」
「封じられている?」
どうしてそれがわかったのかとヴォルケイノーが聞けばリベルトは柄頭を指差した。
「ここに、魔力を極限まで凝縮した極小の魔球が埋め込まれている」
それに、といってリベルトは剣の柄に施されている装飾をある一方向から見るように指示した。
「見覚えはないか?」
言いながらリベルトは、ヴォルケイノー、フルカルス、マルキリスと順に見遣った。
「シジル魔術……」
呟いたのはフルカルス。それに付け足すような形で言葉を発したのはマルキリスだった。
「確かにかの女神が好んで使っていたシジルにそっくりだが、何かが違わないか?」
豊穣と繁殖の女神は、一時期軍神とも戦女神とも呼ばれていたときがあったと古代神話史に記されている。そのときの女神の口癖が『我が敵すべて滅せよ』でありその一文をシジルとしたものがレイピアに施された柄の装飾に酷似していたのだった。
「確かこのあたりにも一本、こことここを結ぶ線があったはずだよな……」
マルキリスが自信はなさそうにしながらも、不自然に途切れたように見える場所を指し示した。
「じゃあ……それが封印……ってこと?」
口元に指を当てて考えながら口にしたフルカルスの言を、リベルトが肯定した。そしてリベルトはヴォルケイノーへと顔を向ける。
「ヴォル、何か心当たりはないか?」
フルカルスと同じように、ずっと口元に軽く曲げた指を当てて考え込んでいたヴォルケイノーは呼びかけられてようやく腕を下ろした。
「ミアが身に付けていたチョーカーにちょうど合いそうな飾りがついていたな」
長さ、素材、色、デザイン。どれをとってもぴったりはまりそうな棒の両端を紐で結んでチョーカーにしていた。
サトウカエデの幹にミーティアを押し付けて首筋にいたずらをした際に、ヴォルケイノーはその地味なチョーカーを至近距離で見ていた。そしてその地味さゆえ記憶にも残っていた。
「後でミアに聞いてみるか……」
それが一番手っ取り早いだろうということでそこでは話がまとまった。
そこへカラスのシェオルルが飛んできて一声鳴く。その声を聞いて飼い主であるフルカルスが了解したというようにうなずいた。
「ああ、ティアちゃんが起きたようだね。それじゃ私は朝食の準備をしてくるよ」
「だったら俺は風呂の掃除でもしてくるか」
炊事場へと向かうフルカルスの後を追うようにしてマルキリスも作業場から出て行った。
二人を黙って見送ったリベルトはレイピアを鞘に戻すとヴォルケイノーへ差し出した。
「これは返しておくよ。さすがの私もこれは手に負えない。それに封印さえ解ければ十分すぎるほどの切れ味が得られるだろうよ」
刺突だけでなく斬ることにおいても優れた剣となるはずだとリベルトは言った。
差し出されたレイピアを受け取りながらヴォルケイノーは小さくため息をもらした。
「これからどうしたものか……。頭が痛くなりそうだ……」
ヴォルケイノーが弱音を吐くことは珍しくリベルトは一瞬目を丸くしたが、その後は人間らしくなっていいことだと莞爾として笑った。