53.河のほとり
「なにがどうしてそういう結論になったのかわからんが、さきほど倒した魔王は偽物ではないぞ。正真正銘の魔王アバドンだ」
「でも『魔王』っていったら魔の王様って意味で一番偉い人でしょ?」
ミーティアがそう言ったことでヴォルケイノーは合点がいったようだ。ああといいながらようやくわかったと小さくうなずいた。
「その認識がそもそもの間違いだ。人の世界に幾つもの国があってその国ごとに王がいたように、魔王もそれぞれの領地ごとに存在している。たしかにアバドンは地獄の中では頂点の座についていたが、それだけでしかない」
「じゃあ魔王はほかにもいるの?」
もちろんだというヴォルケイノーに、ミーティアは頭を抱えた。
「ねえ、それって、勇者はそのすべての魔王を倒さないといけないなんてことはないわよね……?」
恐る恐る訊ねたミーティアだったが、これはあっさりと否定された。
「最後の魔王――終末の魔王はアバドンだと定められていたからな。黙示録にもはっきりと名が記されているし、アバドン以外の魔王は最初からこの件にはかかわっていない。鍵はただ一つ。ただそれだけのことだ」
「鍵?」
そういえばアバドンもそんなことを言っていた。それはどういう意味なのだろうか。
聞いてみようとしたところでヴォルケイノーがミーティアの腰に腕を回して魔王の間の中央へと促した。
「急にどうしたの?」
「鍵は外された。じき角笛が鳴る」
ヴォルケイノーの言葉を合図に床に移動陣が浮かび上がって二人はその場をあとにした。
たどり着いた先は豊富な水量を湛える河のほとり。
きょろきょろとあたりを見渡すミーティアの耳に、聞き覚えのある声が届いた。
「ああ、来た来た。こっちだヴォル」
河のほとりにある小屋。その小屋の玄関先に置かれた椅子に腰かけていたのはマルキリス、リベルト、フルカルスの三人だった。近くの木にはそれぞれの愛馬、ブラック、レッド、ペイル、ホワイトそしてカラスのシェオルルがいた。
「やあミーティアちゃん、久しぶりだなー」
マルキリスが相変わらずウオッカ片手に手を振ってきた。
「こんにちはルキさん。ところでどうしてここに? それにここはどこですか?」
リベルトの鍛冶屋があった場所とは違うのはたしかだ。
それにずいぶん暖かいのでコローメンスコエとも違う。
「ここ? ここは……」
マルキリスが答えかけたその時。六回目の角笛の音が響き渡った。
ミーティアは周囲をきょろきょろと見まわす。
「え? どうして? まだ前回から一年くらいしか経っていないのに」
角笛は四年おきに鳴っていたはずだ。今回に限りこれだけ早いのはどうしたことか。
ほかの人はどう思っているのだろう。
ミーティアはマルキリスたちを振り返って目を瞠った。
特に大きく外見が変わったわけではない。ただいつのまにか全員が金の額飾りを被っていた。とりわけヴォルケイノーのものが厚みがある。そのために見ようによっては王冠を被っているように見えた。
さらにヴォルケイノーだけどこか雰囲気も違っている。
「みんな……どうしたの?」
それに、とミーティアはヴォルケイノーを見上げた。さきほど聞きそこねたことは鍵の件以外にもあった。
「ヴォルは何者なの?」
「俺は、俺だ。今の俺はヴォルケイノーという名の存在に過ぎない」
そう答えるヴォルケイノーのどこか厳かな雰囲気の漂うその姿は、少年期を過ぎ……そう、あと七つほど年を重ねた青年のようだった。
フルカルスやリベルト、マルキリスと並んでも遜色がないどころか、落ち着き加減はむしろ勝っているようにすら見えてしまう。
「さっき鍵が外れたから角笛が鳴るって言ってたわよね。あれってどういう意味?」
「言っただろう。鍵は魔王アバドンだと」
魔王アバドンが存在しているあいだは六回目の角笛が鳴ることはなくそのままの状態が維持されることになっていた。それはつまり人間に試練が課せられ続ける日々がずっと続くということだ。
鍵はアバドンの命。
勇者が魔王アバドンを倒した時にその鍵が外されて人々に安寧がもたらされる。
「安寧……?」
その言葉がなぜか引っかかった。
「どう……やって……?」
ミーティアはヴォルケイノーたちを見まわしてからそばの河へと目を向けた。
六回目の角笛が鳴ったあとはどうなるのだったか。
ミーティアの思いを見透かしたようにヴォルケイノーが答えた。
「河のほとりにつながれていた四人の騎士が解き放たれて人々を肉の体から解放する」
第一の騎士は白い馬に乗って頭に冠を被っている。
第二の騎士は赤い馬に乗って大きな剣を持っている。
第三の騎士は黒い馬に乗っており、第四の騎士は青白い馬に乗って黄泉を連れている。
「黙示録の四騎士……?」
「そうだ」
ミーティアはマルキリスたちを見返した。彼らはヴォルケイノーほど変化はないもののやはりよく見れば瞳が人とは違っていた。どこか暗く輝いているように見える。暗く闇を抱えているにもかかわらず輝いているという表現はミーティア自身もどうかと思うのだが、そうとしか表現のしようがなかった。
「ルキさんは……」
そう呼べばマルキリスが立てた人差し指を横に振った。
「すでに封印は解けた。今の俺の名前はキマリスだ」
それは悪魔の名前だった。
リベルトはベリト。フルカルスはフルカス。シェオルルはシェオル。『ル』の一音を加えたり並びを変えたり。そうして悪魔の気配を隠して人としてふるまっていた。こうして解放の時が訪れるまで。
では。
「ヴォルも?」
彼も悪魔なのかという問いには全員が首を横に振った。
「ヴォルは人だ。役目のために人と同じ肉の体を得なくてはならなかった。だから人として生まれている」
本性の記憶や魔力等々はそのまま引き継いでいたが、体は紛れもなく人だった。
勇者は人と決まっていたから。
「ヴォルが本当の勇者?」
どういうことなのだろうか。ミーティアは混乱するいっぽうだ。
「本来であればヴォルが勇者だ。そのために生まれるはずだった。だがなぜかミーティアちゃんが生まれた。そこでいろいろと予定が狂っちまった」
マルキリス――いやキマリスが苦笑する。
最後の村の最後の勇者。北の大地の最後の村で生まれるはずの勇者は、どうしたわけか直後に真反対の大陸にある最後の村で二人目が生まれてしまった。しかも勇者の剣というあるはずのなかったものを伴って。
「あるはずのないもの……」
ミーティアはいまだ手にしている勇者の剣に視線を落とした。
「これは勇者の剣じゃないってこと?」
「それはもとは女神アスタルトの愛剣だ」
剣は『勇者の剣』ではなく。
ミーティアも本来は『勇者』ではない。
ではいったい『ミーティア』とは何者なのか。
ミーティアは我がことながらわからなくなった。実際のところ自分が何者なのかという問いに答えられる人間はそうそういるものではなかったが。
ミーティアは首を振ってその問いを振り払った。
今は自身のことにかまけている場合ではない。
「私が生まれたことでいろいろと予定が狂ったって言っていたでしょう? それって具体的にどういうこと?」
ミーティアが生まれたために変わってしまったことの一つは、ヴォルケイノーが生まれた際の扱いだ。本来であれば即座に勇者として優遇されるはずだった。
長らく生まれていなかった子が産まれたと思ったら不気味なほどの魔力を内包していた。人からすれば嫌悪を示すにはじゅうぶんな要素だが、それをもってしても丁寧に扱ってコローメンスコエにあるロシア正教会へ里子に出されるはずだった。間違っても真逆の大陸に逃げるようにして移り住むことになるはずではなかった。
おかげで二つの大陸を無駄に行き来するようになってしまった。
次にミーティアの成長が遅く魔王を退治るまでに時間がかかってしまったこと。
ヴォルケイノーであれば五つ目の角笛が鳴ると同時に魔王のもとへひとりで乗り込んでいただろう。
「遅くなってしまったことでなにか弊害が……?」
いろいろと耳に痛い話ばかりだ。しかしミーティアは最後まで聞く必要があった。当事者として知らずにはおれなかった。




