50.らせんの坂道
そうして二人はようやく地獄の一層目にあたる第一圏の中心へたどり着いた。
「ここから一気に第九圏のさらに奥にいる魔王の元までおりていく」
ここから先の道は緩やかならせん状になっている。ただ道なりにぐるぐると進めば自然に最下層へとたどり着ける。ただしなにもなければだが。
「途中の階層の地表付近が一番危ない。それぞれの階層には罰や償いから逃れようとして霊たちがこの道へ殺到していることが多い。その霊たちを連れ戻すために獄卒の手下の魔も集まって大騒ぎになっているはずだ。とばっちりで流れ弾のような攻撃を浴びることもある」
地表付近を抜けて上空に出れば休憩することは可能だが、地表付近は細心の注意を払いつつ駆け抜けなければならない。
「気を抜くなよ」
ミーティアはしっかりと肝に命じながらうなずいた。
そうして二人は最下層を目指してらせん状の坂道を下って行った。
第一圏は特に変わったところは見受けられなかったのだが、第二圏に降りた瞬間層全体に暴風が荒れ狂っているのだとすぐにわかった。
おりていくにつれて地表付近に小さいなにかがうごめいていることが見て取れた。
近づけば近づくほどヴォルケイノーが言っていた逃げ出そうとする霊たちと捕縛しようとしている魔だということがわかってきた。
たしかに大騒ぎになっている。
だがそれ以外のところを見ても霊たちが暴風によってあちらこちらに吹き流されている様子が窺えてその都度悲鳴が縦横無尽にこだましていた。風が強い分、道へと腕を伸ばしてつかまろうとするのだが、せいぜい数メートル手前まで近づいてもすぐに暴風に捕まって飛ばされてしまうので、ミーティアたちにどうこうできるものはいなかった。
地表を過ぎるたびにミーティアたちは休憩をとった。その時しか食事も睡眠もとることができなかったためだ。
あえて補足するならば各層の中央付近も注意が必要だった。冥府の裁判官ミノスによって振り分けられた死者の霊がらせん状の坂道の中央に貫かれている光の柱を通って各階層に送られてくるからだが、ほとんどの死者がすでに選別を終えているので滅多に出くわすことはない。ただいつもよりも輝きが増した時は死者の霊が飛び出してくることがあるので注意しなければならなかった。
ひとつの層を超えるのに二日かかる。
それほどまでに地獄は層一つとっても深く広かった。
少しずつ疲労は蓄積される。
それでもどうにか第五圏を通過して第六圏に入った瞬間、あたりの様相ががらりと変わった。
「熱い……」
暑いどころではない熱に層全体が覆われている。
「第六圏より下は重罪人が送られる層だからな」
ヴォルケイノーは相変わらず汗ひとつかいておらず、疲れも全く見せなかった。
かたやミーティアはひっきりなしに流れる汗と、次々奪われていく体力に辟易していた。
風と水を操って体温を下げようとするのだが、無駄に体力と魔力を消費するだけでけっしてかんばしいとはいえない状態だった。
そんな状態だったからかもしれない。
第七圏の地表の様子がおぼろげに見えるくらいのところまでおりた時に魔術魔法で攻撃を受けたのだ。
ここは暴力をふるった罪で落とされている者ばかりで、他者を攻撃することに慣れていた。
これまでと同じ調子で警戒していたミーティアは己の判断力が鈍っていることに気づかなかった。ヴォルケイノーに説明を受けていても、これまでと同じではダメだったことを本当の意味では理解できていなかったのだ。
「ミア!」
ぶつけられた魔力の塊を避けることも受け流すこともできずにそのまま喰らってしまい、ミーティアの体は勢いのままに坂道から弾き飛ばされそうになっていた。
しまったと思った時にはすでに体は宙にいた。
ここまでかとあきらめかけたミーティアの手首をつかんで引き戻したのは唯一の同行者であるヴォルケイノーだった。
ミーティアを自身と入れ替えるように遠心力を使ったヴォルケイノーが逆に道から落ちていく。
「ヴォル!?」
「そのまま道なりに進め!」
ヴォルケイノーはその一言を残して第七圏の地表へと落ちていった。
ヴォルケイノーを目で追おうと道の端に近づこうとしたミーティアだったが、その後しばらくは飛来する魔術魔法を使った攻撃を避けるだけで精一杯だった。
ようやく攻撃が治まったころにはすでに地表は魔によって解散させられており誰も残っていなかった。
とりあえずミーティアはそこを急いで抜けて第八圏の上空へとたどり着くとその場にへたりこんだ。
背負っていた荷物をおろして腕で抱え込む。荷物に顔をうずめるようにしてミーティアは自身のふがいなさを嘆きながら泣いた。
荷はすでに背負っているこれひとつきり。
抱えていた荷の重さも軽くなっていることをあらためて認識してミーティアは心細くなった。
「ヴォル、ごめん……」
ごめんなさいと数度繰り返す。
そうしてミーティアは涙をふくと、たった一人で食事の支度に取りかかった。
貴重な食料を無駄にしないためにちゃんとひとり分だけを作るようにあらためて気を遣う。これまでどおりの慣れに任せると二人分作ってしまいそうになるからだ。
これ以上ふがいないさまを誰の前にもさらしたくはなかった。たとえ誰も見ていなくともミーティア自身がそれを見ている。今はそれだけのことすら許せなかった。
必要な量の栄養素をとりこんでしっかりと睡眠をとる。
もう守ってくれるヴォルケイノーはそばにいないのだから、寝ているあいだも警戒をしていなければならない。警戒しながら寝る。いつもヴォルケイノーがしていたことだ。
そしてヴォルケイノーは魔力も飛びぬけて強い。
「ここから落ちたって……」
きっと生き延びて最下層へとくるはずだ。
(ヴォルならきっと)
ミーティアは気合いを入れるように頬を数回たたくと朝食を食べた。荷物を背負って腰にさげている剣をあらためて確認した。いざとなれば今度こそこれを使うことになるだろう。少なくとも最後には使わざるを得ないに違いない。そのためにむしろ今から慣らしていたほうがいいかもしれない。
その場で数回軽く飛び跳ねて荷物の安定具合を確認したミーティアはひとりで坂を下り始めた。
第八圏はいわば地獄のイメージそのものの層だった。
鞭打たれるもの。炎に焼かれるもの。体を引き裂かれるもの。首を反対側に捻じ曲げられるもの。それぞれが犯した罪にあわせてさまざまな責め苦にさいなまれている。
水鏡を使って遠方の様子を映し出すことができるようになったミーティアは自身への戒めとしてそうした場面をあえて見つめていた。
これまでは二日で超えていた階層もミーティア一人では四日はかかる。
そのあいだ水鏡でその層での償いの様子を見つめたり、剣や魔術魔法を駆使して攻撃を避けたり。実戦経験を積むつもりでミーティアはあえて地表付近での移動速度を遅めて訓練にあてた。
ようやく第九圏にたどり着いたと喜んだのもつかの間。ミーティアはあまりの寒さに火と風を使って体温調節をおこなうことから始める羽目になった。北極圏など目じゃないほどの寒さのためすぐにはできなかったが、あれこれ挑戦しているうちに暑さも寒さもある程度の速度で快適な温度で自身を包む込むことができるようになった。
ここ第九圏は裏切り者が体を氷漬けにされる層だ。
ミーティアは体温調節はうまくいっているにもかかわらず体の芯が寒さに震えたような気がした。
水鏡を使ってざっと地表を眺める。地表というよりは氷上というべきか。とにかくここは監視者の魔以外はすべて氷漬けにされているので武器での直接攻撃は少ないだろうが、魔術魔法での攻撃は油断がならなかった。こんな最下層手前に落とされているということはよっぽどということになる。
案の定つららにそっくりな先がとがった氷の塊がいくつもミーティア目がけて飛んできた。それを炎をまとわせた剣で切り捨てていく。四方八方から飛来してくるそれらは、ある意味訓練として捉えるなら最適ともいえる執拗さだった。
やがてミーティアは肩で息をするほどになってきた。それでも攻撃がやまない。
しかし一瞬の空白の時間を目ざとく見つけて利用する。その時間を使って飛んでくるつららを一つ避ける空間が生まれたのだ。そこから反撃に移った。風に熱と水をまとわせて剣を振る。勢いよく放たれた熱と水を含んだ風はすさまじい速さで目的のものまで到着して切り裂き、熱で切り口を焼いた後は水で濡らして氷漬けにした。体の内部が凍る痛み。
これまで以上に苦しむだろうがこれはこの地獄に落とされた者の罰で償いだ。みごとに現状の責めの内容に酷似した正当な反撃だった。
そんな風に攻撃をしかけてきたもの全員にお返しをしたミーティアはとうとう魔王のいる最下層入口へとたどり着いたのだった。




