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5.鍛冶屋での最初の夜

 鍛冶屋に辿り着いたミーティアたちを迎えたのは玄関脇に置かれた椅子に座って、瓶詰めされた無色透明なウオッカをラッパ飲みしている黒髪の青年だった。

 年はフルカルスと同じくらいだろう。

 黒髪の青年もヴォルケイノーやフルカルスと同じような格好をしていたがトレンチコートまでは羽織っていなかったので、着崩した軍服をしっかりと見ることができた。青年が着ている軍服は色は全く同じだがヴォルケイノーのものとはわずかにデザインが違い、裾は腰までの長さしかなく刺繍もされていない。いかにも軍服然としたものだった。

 ヴォルケイノーが先に馬から下り彼の前に乗せていたミーティアに手を貸している様子をおもしろそうに眺めていた黒髪の青年は、瓶でミーティアを指し示しながらヴォルケイノーに視線を定めるとにんまりと下卑た笑みを浮かべてみせた。

「なかなか戻ってこないと思っていたらナンパをしていたとは。いやはや心配して損したぜ」

 ヴォルケイノーは疲れたようにわずかに肩を落として小さくため息を吐いた。

「……だからナンパではない。取引相手であり予言の当事者だ」

 予言という言葉を聞いて青年は慌てたようにミーティアを一瞥する。

「どう見たって女だぞ」

「性別は関係ないだろう。実際そこまでの指定は無かった」

「そうは言ったってなぁ……」

 青年は困惑したように頭をかいた。

「詳しい話は後だ」

 そう言って一旦話を切ったヴォルケイノーはフルカルスに荷物を下ろした馬を厩舎へ連れて行くよう指示した。

 そしてミーティアを振り返ったヴォルケイノーはまたしても親指で黒髪の青年を指し示した。

「ミア、この男が黒馬の騎手でマルキリスという」

 その後はマルキリスにミーティアの名前を紹介しただけでまずはサトウカエデの樹液を炉のある場所まで運ぶこととなった。

 しかしそこでもふいごを操っていた赤毛の青年鍛冶屋――リベルトに対してヴォルケイノーから簡単にミーティアと交わした取引について説明すると、後は任せたと言って樹液の入った容器を押し付けた。

「ねえヴォル、かまどだけ貸してもらえれば自分で煮詰めるわよ」

 仕事の邪魔をするようで申し訳なく思ったミーティアが口を挟んだのだが、ヴォルケイノーは一顧だにしなかった。

「火を扱うことに関してのベルは右に出る者がないと言われるほどの腕前だ。余計なことはしないですべて彼に任せておけばいい」

(相変わらず身勝手なお坊ちゃんね……)

 言うだけ言ってさっさと退出したヴォルケイノーの背中をあきれた眼差しで見送っていたミーティアの肩を、なだめるように叩いてきた人物がいた。

 荷物運びを手伝ってくれた――正確にはヴォルケイノーに手伝わされたわけだが――黒髪の青年マルキリスだった。

 長身の彼を少々首が辛いと思いつつ見上げると、そんなミーティアを見て小さく苦笑したマルキリスはやや腰を落とすようにして身長差を縮めた。

「ミーティアちゃんは馬に乗り慣れていないだろう。疲れがおもてに出ている。だからあいつは――ヴォルケイノーは、ミーティアちゃんを早く休ませてやろうとしたんだよ」

 そんなにわかりやすく顔に出ていたのだろうか。

 どうなるものでもないのにミーティアは反射的に両手で顔をぺたぺた触っていた。

 自分では平静を装っていたつもりのミーティアだったが、マルキリスが言ったように馬に乗るのは今回が初めてで体全体が疲労を訴えていた。

 指摘され、また改めて自覚してしまうと疲労度はさらに増した。情けないなという思いを隠す余裕すらなくなってしまい、あからさまに表情に現れる。

 マルキリスの大きな手が今度はミーティアの頭を優しく撫でた。

「とにかく今晩は、入浴して、晩飯を食べて、ベッドに横になって就寝だ。すべては明日、明日」

 おまけのようにウインクまでしてきたマルキリスに笑顔を返したミーティアは、了承の意を示すようにうなずいた。

 そして念のため赤毛の青年――リベルトのほうへと顔を向けた。

 視線を向けられたことがわかったのか。リベルトは大釜を備え付けていた手を止めて振り返ると、任せておけと言わんばかりに親指を立ててニヤリと笑い、すぐに作業に戻っていった。

「よろしくお願いします」

 ミーティアはリベルトの背中に向かって一礼した。


 食事の支度をしている間に先に入浴を済ませておいでとフルカルスに言われたミーティアはありがたくお湯をいただいた。

 ほっこりと体が温まり幾分眠気も感じながら食堂へ向かえば、ちょうどよかったとフルカルスたちが笑顔で迎えてくれた。

 できたばかりという今夜の晩飯はボルシチ。ロシア料理で肉と野菜を煮込んだスープだ。火焔菜かえんさいの色が溶け込んでスープが赤く染まっている。赤い色でありながら甘みがあり、軟らかくなるまで煮込まれた肉と野菜も体に優しく久しぶりにまともな食事をしたミーティアの胃にももちろん負担をかけることは無かった。

「ごちそうさまでした」

 なんとか完食して食後の挨拶もできたが、思考も体もかなりの部分を睡魔に乗っ取られてしまっている。

 周りの者が見てもそのことは一目瞭然だったようでマルキリスなどは相変わらずウオッカ入りの瓶を片手にくつくつと笑っていた。

 さすがにこれ以上醜態を晒すのは少々恥ずかしい。食事も済ませたことだしここは早々に休ませてもらうことにしようと立ち上がって就寝の挨拶をしたまではよかったのだが、一歩踏み出したところでミーティアの体が傾いだ。

(……あれ?)

 危ないと思う間も無くミーティアの体はしっかりした腕に抱き上げられていた。ミーティアの横に座っていたヴォルケイノーだ。

「ごめんなさい……」

 ここは謝罪とお礼を言わなくてはと、ほとんど寝かかっている頭で考えて半分実行したところでヴォルケイノー本人に遮られた。

「いいからもう寝ろ。明日もこちらが起こすまでは目がさめても横になっていればいい。ミアが感じている以上に体は疲れているのだからしっかり休ませてやれ」

 そうは言ってもこの状態では寝ることなどできはしないだろう。そう思っていたミーティアだったが乱暴な口調に反してその歩みはとても緩やかで揺り籠のようだった。そうしてヴォルケイノーが一歩二歩と歩くうちにミーティアは静かに眠りへと落ちていく。

「本当に寝るとはな……」

 寝息がこぼれていることに気づいたヴォルケイノーがあきれたように囁く。

 後ろからついてきていたマルキリスはその囁きの中に楽しそうな気配が紛れていることに気づき、声を殺して笑う。けれどヴォルケイノーにはばればれでギロリと睨まれ、そのことにまた笑った。

 鍛冶屋で過ごす最初の夜はミーティアに優しく過ぎていった。


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