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47.手料理

「なんとも過保護なことよ。それとも煩瑣はんさを厭うてか」

 嘲笑めいたマルコシアスの笑いにヴォルケイノーが目を眇める。

「マルコシアス。余計なことは言わなくてもいい」

 くつくつと喉を震わせて嗤うマルコシアス。けれどそれ以上はなにもなかった。

 すっくと立ち上がったマルコシアスはミーティアを見返す。

「これでそなたの願いはかなえられたということだな。では我は疾く去ぬとしよう」

 そういって消えるように去っていった。

 あまりの早さにただ消えたのか走り去っていったのかわからないが、とりあえず心の中で感謝の言葉を贈ったミーティアはヴォルケイノーへと向き直った。

「ねえヴォル、さっきのマルコシアスの言葉はいったいどういうこと? なにを言っていたの?」

 『過保護』という言葉はイグナートも言っていた。いったいどういうことなのだろうか。

 しかしヴォルケイノーは軽く肩をすくめただけで答えなかった。

 結局こういうことになるのかとミーティアは疲れたようにため息をつく。ほとんどの問いかけに答えは返らない。常に己の頭で考えろと促される。いったいどこが過保護なのか。

 でも、とミーティアは己の唇に指先をあてた。

 食事の前にはほぼ必ずといっていいくらいヴォルケイノーに口づけられていたのは、そうやって術をかけて飲食物に仕込まれていた毒を口を通過する際に中和して体内にとりこまないようにしていたからだった。

 それをミーティアに教えたのはトビアスだったがあの場面で虚言を弄するようなことはしないだろう。

 そこまで考えたミーティアはあたりを見まわした。

「どうした?」

 なにかを探す仕草をしたミーティアをヴォルケイノーがいぶかる。

「ねえトビアスはまだ来ていないの?」

「ああ、やつなら」

 そういって顎で指し示された場所にはトビアスの頭部らしき塊が氷の中に埋まっていた。

「え……? ヴォルがやったの?」

「ああそうだ」

「どうして?」

 フラーブルイの言伝はトビアスとヴォルケイノーは仲間だと言っていた。それなのに殺したというのか。

 仲間割れなのか、またしてもフラーブルイの勘違いなのか。そう思ったのだが。

「おまえを殺そうとしたからだ」

 ヴォルケイノーの答えは単純だったがそのどちらにも当てはまっていないようだった。

 とはいえ。

「どうしてそのことを知っているの?」

「トビアスが一人で来ればほかの者は始末したのだと一目瞭然だろう。本人の口からもはっきりと聞いたし、俺をここへ連れてきたものからもトビアスが俺をたばかったことは聞いていたからな」

 そういえばヴォルケイノーはどうやってここへ来たのだろう。ミーティアとてマルコシアスのおかげで予定からすれば数週間は早く到着しているのだ。

「おまえと同じだ。俺はアムドゥスキアスに乗せてもらってきた」

 ミーティアは目を瞠った。

「えっ、ヴォルってなにも持たずに行ってたわよね。いつからここにいたの?」

「おまえたちと別れたその日の内だ」

「え? え? じゃあヴォルってばもう何日も飲まず食わずだったわけ? ちょっと待って。今すぐご飯を作るわ」

 ミーティアは慌てて抱えていた荷物の中から食材と調理用具を取り出した。

「そんなに食べてないんじゃスープからのほうがいいわよね」

「……なんでもいい」

 ヴォルケイノーがなにかを言いかけていたようだったが、ミーティアはとりあえず食事を作ることに専念した。

 その様子を無言で見送ることになったヴォルケイノーは小さく苦笑すると氷のソファーへと再び腰をおろした。

 一方のミーティアは手早くスープを作りながらはたと気づいた。

(なにこの状態。まるで夫婦みたいじゃない)

 実際に公式の夫婦であるのだが、ミーティアにしてみれば仮の夫婦という意識がいまだに抜けずにいる。たとえ別れられない指輪の話を聞かされたとはいってもそれは本人からではないので余計に実感がわかない。

 そっと息を吐き出したミーティアは出来上がったスープを木製のカップのような器によそうとヴォルケイノーのところへ持って行った。

「はい。できたわよ」

「ああ」

 その後ミーティアは残りのスープを自分の器によそってその場に立ったまま口をつけた。

「ミア」

 なぜ「ティア」でないのか。わざわざ戻す必要はないだろうにと思いながらヴォルケイノーを見やる。

「なに?」

「こっちに来て座れ」

「座れって……どこに?」

 その氷のソファーに座れとでもいうのだろうか。ミーティアが不思議に思っているとヴォルケイノーはあろうことか己の太ももを指差した。

「えー、ヴォルの足の上に座れって? 遠慮するわ」

「いいからおとなしくいうことをきけ」

 相変わらずだなと思いながらしぶしぶ従う。なるべく顔を会わせないように視線を逸らせたミーティアはそこで忘れていた存在を目にした。

 じーっと見つめていればそれがなにかによって破壊されたそりの残骸だとわかる。

 ふとミーティアは思い返してみた。

 トビアスがここにいる。そして彼は犬ぞりで移動した。ではその乗ってきたはずの犬ぞりはどこへいったのか。

「ねえヴォル。あそこにあるのはトビアスが乗ってきた犬ぞりじゃないの?」

 もしそうだとすれば食料なども積んでいたのではないだろうか。

 そう確認すればヴォルケイノーはあっさりと肯定した。

「じゃあ食べるものはあったのね」

 てっきり手ぶらだと思ったミーティアは騒ぎ立てて悪いことをしたと思った。だが。

「いや、ない」

「え? そりに食料を積んであったんでしょう?」

「あれはすでにゴミだ。よく見てみろ」

 そういわれてじっくりと見てみればそりの周囲に幾体かの動物の死骸が転がっていた。あれはそりを引いていた犬なのだろうか。

「まさかすべての食材に毒が混ざっていたなんてことはないわよね……?」

「そのまさかだ」

 そういわれてもにわかには信じがたかった。

「だってあれをトビアスは食べていたはずでしょう?」

 しかも彼だけ別の食材を使っていたわけではない。それぞれのそりから持ち寄った材料で毎食調理していたはずだ。なぜ誰も気づかなかったのだろう。体の不調を訴えるものもいなかったのはなぜなのか。

「もともと俺を別行動させるために罠を用意していたような奴だ。それまでに必要な分は別に準備するくらいのことはしていただろうし、あいつは俺と同じで毒が効かないからな。仮に誤って食べてしまってもどうということはないうえに、荷を奪うような不心得者を楽に始末できて都合がよかったんだろう」

「じゃあ食べても問題なかったんじゃ……」

 そういえばじろりと睨まれてしまった。

「毒の影響がないからといって好んで食べる奴がどこにいる。あいつじゃあるまいし。俺はそこまで落ちぶれていないぞ」

「ん……まあ、言われてみればそうだけど……。でも何日も食事抜きは辛かったんじゃないの? 誰も来ないかもしれないのに」

「おまえはちゃんと来ただろう」

「私を……待っていたの?」

「ほかに誰がいる」

「でも……」

「俺ははっきりと言ったはずだ。ミアが予言の勇者だと」

「でもフラーブルイのことも勇者と呼んでいたわ」

「あれは本人がそう自称していたから合わせていただけのことだ。ただの揶揄でしかない」

 ミーティアは顔を伏せた。

「だから……。私が勇者だからヴォルは……」

 こうして守ってくれるのだろうか。待ってくれたのだろうか。

 聞きたくても聞けない言葉を再び呑み込めば、頭上からヴォルケイノーのため息がこぼれ落ちた。

 思わずミーティアは縮こまった。

「おまえはなんのために勇者として旅を続けているんだ」

 ミーティアはその問いかけにゆっくりと顔をあげてヴォルケイノーを見返した。

 ミーティアが旅を続けると決めたのは自分のため。けれどその根底は、この淡青色の瞳に蔑まされたくないからだ。けれどそのことを当事者である瞳の持ち主に告白することはできない。伝えればきっとあきれられてしまうだろう。

 どう答えればいいのか。言葉が出ないまま口を開けたり閉めたりしていれば、じっと見つめてきていた淡青色の瞳はなにを思ったのか持っていた空の器を差し出してきた。

「うまかった」

 そしてヴォルケイノーは星空を見上げた。

「そろそろだな。出発の支度をしよう」

 答える言葉を持たなかったミーティアは小さくうなずくと立ち上がった。

 使った調理具や器、そして食材といったもろもろを再び荷袋の中に片づけていく。そしてふと抱えてきた荷物を見た。

「ねえヴォル、食料はどのくらい必要かしら? この荷は持って行ったほうがいい?」

 とりあえずミーティアがマルコシアスの背にのせられるだけの荷物を抱えてきた。どれだけ必要かわからなかったからできるだけ多くを。

「そうだな。とりあえず持っていられるあいだは持っていればいいだろう」

 それもそうだと納得してミーティアはうなずいた。無理に今捨てていかなくても、どうにもこうにも持って行けなくなってから手放しても構わないのだ。

「そうね。じゃあ準備はできたわよ」

 ミーティアは自分の荷物を背負ってから、その荷物を抱えた。

「それじゃ道を開くぞ」

 どうするのか。実際のところをミーティアは知らなかったが、ただうなずいた。従うしかないという事実だけではなく、この先へ進むにあたってミーティア自身がヴォルケイノーの言葉を受け入れると決めたからだ。

 ふとよぎったフラーブルイの言伝を意思の力で振り払う。

(裏切りが確定されるまでは……)

 その瞬間まではヴォルケイノーを信じようとミーティアは心に決めたのだった。


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