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40.雪のように

 旅立ちを祝福しているのか。それともはばもうとしているのか。

 結局夜はヴォルケイノーの言葉どおりにミーティア一人で就寝して目覚めた翌朝。

 外に出てみれば朝焼けによって赤く染まる雪が舞っていた。

 一気に冬らしくなっている。

「雪……」

 吐く息が白くなっていると気づいたのは幾日前だったか。そうこうしているうちに例年より早く冬はおとずれ、ヴォルケイノーも教会から受注した品々を届けにやってきた。

 それとは別にミーティアたち用の馬車やもろもろの必需品を揃えたのもヴォルケイノーたちだ。アンナとアリーナは聖下からの指示を受けてそれを持ってきただけにすぎない。

 そっと手袋をはめたままの掌を差し出して雪を受け止めてみる。

 受け止めたように見えても感覚は伝わらず、雪もやがて融け消えてただの水滴がかろうじて残るのみ。受け止めた事実は目をとおして直接見たというただそれだけでしかない。

 証拠といえるものは手袋に残るまだらな水玉模様だけだが、それでは雨と雪の違いまでは証明できない。ましてやそれ以外のものだと言われても説得するだけの材料はない。今降っている雪がやんでしまえば状況証拠すらなくなってしまうのだ。

 見えているのにあやふやなもの。まるで――。

「なにをしている」

 振り返ったミーティアの視線の先では、腕を組んで出入り口にもたれかかっているヴォルケイノーがいた。

「雪が……」

 言いかけて、けれどもミーティアはなんでもないと首を振る。

 見えるのに捕まえられなくて。触れたはずなのにとらえどころがない。いったん吹雪けばこちらの意思はお構いなしで積もりゆく。まさに雪はヴォルケイノーみたいだと思ったことを本人を前にしては口にできなくて口をつぐんだのだ。

 ヴォルケイノーはしばらくなにかを待っていたようだが、あきらめたように組んでいた腕をほどくとミーティアに中へ入るように促した。

 ミーティアが屋敷の中に戻るとヴォルケイノーが腕をつかんで顎を持ち上げる。そして強引だけれど触れるだけの口づけが落ちてくる。

「今は誰も見ていないわよ?」

 いつものパフォーマンスだと思ってミーティアはそう言ったのだが、ヴォルケイノーはあきれたように片眉を持ち上げただけでなにも言わなかった。ただミーティアの腰に腕を回して食堂へとエスコートした。

「ねえヴォル、いったいなにをしているの? こんなことする必要あるの? 説明してくれないと私はなにもわからないんだけど」

 そっと訴えてみたのだが、ヴォルケイノーから返ってきたのは「自分で考えろ」という正しくも冷たい一言だけだった。

 ミーティアはやはりため息をこぼすことしかできなかった。

(やっぱりヴォルは雪だね)

 じっくりと検分したくてもさせてもらえない。そのくせ存在だけは強烈に示す。いや本人はそのつもりはないのかもしれないが、その存在感がどうあっても見過ごすことを良しとはさせてくれないのだ。

 朝食を済ませると旅立ち組は早々に支度を整えて馬車に乗り込んだ。

 居残り組三人も、食料や薪などのもろもろの生活必需品をすべて荷馬車に積み込んであるので、片付けが終わり次第コローメンスコエに持ち運ぶことになっている。冬のあいだはこの森の屋敷は封鎖して三人はコローメンスコエで過ごすのだ。

 御者台に座るのは耳あて付きの帽子にスキー用ゴーグルとマフラー、そしてドゥブリョンカと呼ばれる裏が毛皮になっているなめし革のコートやしっかりした裏地付きの革の手袋といった防寒着一式を身につけたヴォルケイノーとイグナートとミチオール。御者の役目は休憩ごとに交代することになっているがとりあえずはこの三人によって旅は始まった。

 ミーティアはとりあえず中で次の食事の用意をしていた。野菜の皮をむいて食べやすく火が通りやすい大きさに切って下準備を整える。

 予定ではおよそ二十八日の行程だ。そのあたりを考えて食材を使っていかなくてはならない。とはいえ一食がこのくらいだから総量はこれだけといった感じで準備はしているので一回に使う量を間違えなければさほど神経質になる必要はないだろう。

 馬の替えがないため、最初から負担をかけないように頭数を増やして日数を多めに見積もって準備しているのでむしろ予定よりは早く着く可能性のほうが高い。予定通りのほうが馬にとってはベストなので不必要に急ぐこともしないが、少々遅れたところで慌てることもない。かなり快適な旅になると思われた。

 しかし予期せぬ出来事というものは往々にして油断した隙間をついてくるものである。

 最初の休憩地点で昼食を食べようとしていたミーティアはあっけにとられて口に運ぼうとしていたスプーンを持つ手を止めた。

「は?」

「は、じゃないだろう。俺たちの昼飯はどこだって聞いてるんだよ」

 ミーティアはヴォルケイノーを見て、イグナートたちを見てから発言者であるフラーブルイへ視線を戻した。ほかの者は知らんぷりを決め込むつもりのようで食事の手を止める気配が欠片もない。ここはミーティアが相手をするしかないようだ。

「食材も調理用具も必要なものはすべて馬車に積んであったはずだけど」

 なにをいまさらなことを言っているのだろうとミーティアは首をかげた。

 万が一ほかの馬車とはぐれた場合を想定して、旅に出てからはそれぞれの馬車に用意している物はその馬車に乗車している者たちだけで使うように言われているのだ。でなければ万が一の事態が起こった際に、優先的に消費された馬車に乗り合わせた者たちだけが危機的状況に追い込まれてしまうことになる。不公平はいけないということで馬車ごとに食事等の支度をおこなうようにとミーティアは出発前にイグナートから指示を受けていた。

 その旨を伝えればフラーブルイは拳を握りしめて険しい目つきになった。

「なんだそれはっ、俺たちはそんな話は聞いていないぞ」

「私に言われても困るんだけど」

 ミーティアはイグナートのいうとおりだと思って素直に指示に従っているだけだ。

「じゃあ俺が許すから、俺たちの馬車に積んである材料を使ってくれてかまわないからお前らのと一緒に作ってくれよ」

 いったいなにが言いたいのか。ミーティアは侮蔑も露な半眼でフラーブルイを見返した。

(俺が許すときたよ。なにこの勇者坊ちゃん。しかも馬車の代金すら払ってないくせに俺たちの馬車ときたよ)

 ちなみにミーティアは修行中に狩った動物たちをいったんイグナートに買い取ってもらって、その中から屋敷への滞在費を払っていた。もちろん労働力でまかなえるものは先にそちらで清算したうえで不足分を金銭払いにしている。馬車に関してはヴォルケイノーと折半だが、ちゃんと自分の分は自分で支払っていたし、馬車も含めて北磁極到達までに必要な物品の代金は手配したヴォルケイノーにすでに全額支払い済みだ。全部合わせるとほぼ全財産をつぎ込むほどの金額で冷や汗ものだったが借金は一切ない。

 かたやフラーブルイたちはというと、屋敷での滞在費及び馬車関連費、それからその後の北磁極へ至るまでの必要経費のあれこれの一切を支払っていない。しかも三人分丸々。すべてヴォルケイノーが肩代わりしているようだがいったいどうするつもりなのか。

 ちらりとヴォルケイノーへ視線を向ければすでに食べ終えていた。

 ミーティアの視線に気づいたヴォルケイノーの口元が緩い弧を描く。

(これは相当ぼったくるつもりかしら? ああぼったくりじゃなかったわ。正当な利息というやつね)

 内心でうなずきながらミーティアが中断させられた食事を続けようとすると、しびれを切らしたのかフラーブルイが声を荒げた。

「なにをやってる!? 人のことを無視して勝手に食べるんじゃない! 俺たちの食事を作れと言ったんだよ! おまえはそのために連れてこられたんだろうが! ちゃんと働けよ!」

 どうやらミーティアは賄い方とでも思われていたようだ。

 食べようとして持ち上げていた器を再び膝の上に下したミーティアは盛大なため息をついた。

「なんだその態度は。わかったならさっさと支度を始めろ」

 ミーティアはあらためてヴォルケイノーやイグナートたちを見まわした。全員食事を終えているが、あからさまに傍観者的態度でにやにやしながら眺めているだけだった。

 やれやれといった感じでもう一度息を吐き出したミーティアはおもむろに立ち上がると彼らの馬車へと向かって食材を四人分取り出すと手早く調理していった。短時間でできる野菜スープだ。

 出来上がった野菜スープを器に取り分けると、ミーティアはフラーブルイたち三人分の器にだけ小さな欠片を落としていった。

「さあできたわよ。どうぞ」

 すべて彼らの目の前でおこなったため、彼らも自分たちの食事にだけなにかが入れられたことを知っている。

 じっと器を見つめる彼らを放置してミーティアは自分の野菜スープをさっさとお腹におさめた。

「おい」

 フラーブルイのぞんざいな呼びかけは無視する。が、彼はしつこく呼びかけてきた。

「おい!」

「うるさいわね。作ったんだから文句ないでしょ。さっさと食べなさいよ」

「……なにを入れた」

「なんのことよ?」

「最後になにを入れた!?」

「いちいち怒鳴らないでくれる? なにを入れたかだなんて今目の前で見ていたでしょ? これに決まっているじゃない」

 ミーティアが差しだしたのは以前ヴォルケイノーに渡された毒の結晶がはいった瓶だった。


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