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39.淡青色の瞳

 翌朝ミーティアに目覚めを促したのは扉を閉める音だった。

 寝起きの頭で、それでも昨日の出来事はすぐに思い出せたためミーティアはゆっくりと部屋の中を見まわした。

「ヴォル……?」

 そうして先ほどの扉が閉まる音を思い出した。

(出かけたのね)

 なぜかわからないが残念に思ってため息をこぼす。そうしてゆっくりと体を起こした。いまだミーティアはなにも身につけてはいない。体を見下ろせば昨夜ヴォルケイノーにつけられた紅い華が一つ胸元に残っていた。

 恐る恐るほかの部分に目をやる。そうしてなにもないことを確認したミーティアはほっと安堵の息をもらした。

 体のほうはもう大丈夫みたいだ。

 寝台を抜け出したミーティアは素早く衣服を身につけていった。

 本日の予定表はまだもらっていなかったのでミーティアはまず食堂へと向かった。どこも皆が集まるとなると食堂が使われていたのでそういう意識になっている。

 ヴォルケイノーもいつもミーティアが腰掛ける席の隣に座っていた。

 最初にミーティアに気づいたのはイグナートだった。

「おお、おはようさん。よく眠れたみたいだな」

「おはようティアさん、さすがだね」

 なにがさすがなのか。イーゴリの言葉はあいまいに流して、皆に挨拶を返した。

「おはようございます」

 そうしてざっと食堂の中を見まわした。

 なにか手伝えることはないかと思ったからだ。

「今日はなにをしましょうか?」

 けれど今日はなにもしなくていいということだった。

 イグナート曰く。ミーティアたちは明日ここを立つことになったから今日はその準備をおこなうようにということだった。

「明日……ですか?」

「ああ、そう聞いている」

「急ですね」

「ヴォル殿に聞かなかったのか?」

「ヴォルに? いえ、まったく。初耳です」

 ミーティアとイグナートは揃ってヴォルケイノーを見た。

 ヴォルケイノーはしれっと答える。

「昨夜はこれの処理に時間を使って疲れたからそれどころじゃなかったってことだ」

 そう言いながらヴォルケイノーが懐から取り出したのは、昨夜ミーティアの体から取り出した毒の結晶を詰めた瓶だった。

 それをテーブルの上に置けば、部屋の隅から息を呑むような小さな音が。そちらへと視線を向ければフラーブルイの仲間の一人――ミチオールだった。

 ミーティアとヴォルケイノーとイグナートとイーゴリの視線を受けてミチオールは居心地悪そうに体を揺らしながら視線を逸らせた。

 ヴォルケイノーが瓶へと視線を戻す。

「これはティアにやろう。いつどう使うかはティアが決めればいい。ずっとティアの体内にあったせいでティアの魔力も帯びているから扱いやすくなっているはずだ。おまけでちょっと細工もしてあるから好きに使え」

 そう言って瓶をミーティアの掌に載せた。

「なににどう使ってもいいのね?」

 ゆっくりと意味深に確認すれば、ヴォルケイノーもにやりと笑った。

 伸ばした手でミーティアの頬を撫でる。

「ああ、おまえのやりたいようにやればいい」

 そう言って後頭部へまわした手でミーティアの頭を引き寄せて口づけた。

 イグナートがまたしても咳払いをする。

「ですからヴォル殿、目の毒ですから人前ではやめてくださいと言っているでしょう」

「なにをしているか知っていていうせりふではないな」

「知っているからこそ言っているんです」

 ヴォルケイノーは鼻で嗤う。

「おまえたちは奔放すぎる」

「あなたは過保護すぎます」

「そうか?」

 嗤いながらヴォルケイノーはミーティアへと手を伸ばした。掌を向けて誘う。

「来い、ティア」

 細められる淡青色の瞳。なにかをたくらんでいるような影をにじませてミーティアを見つめてくる。この眼に逆らってはならない。ミーティアはなぜかそんな風に思って、差し出された手にそっと己の手をのせた。

 手を引かれるままに歩み寄れば、ヴォルケイノーの膝の上に座らされる。

(ちょっとヴォル、こんなことする必要あるの!?)

 ミーティアの心の葛藤をよそにヴォルケイノーがこめかみに口づけてくる。それをミーティアはしかたなく目を閉じて受け入れた。

 ヴォルケイノーが宣言するように言う。

「唯一と定めた我が妻はそこまで愚かではないと思っているが、唯一であるがゆえのことだ。目を瞑れ」

(愚かで悪かったわね!)

 昨夜のことが脳裏によみがえってミーティアはわずかに顔をしかめた。

 『そこまで愚かではない』というのは決してほめ言葉ではないとわかっているゆえだったが、すぐに顔にでる癖は健在でしっかりとイグナートに見られてしまっていた。

 イグナートが吹きだすように笑う。

「たしかにそこまで愚かではありませんが、とても素直な奥方ではありますね」

「若いからな」

 ヴォルケイノーにはなんのダメージもないようだった。

 イグナートが苦笑する。

「はいはい、どうせ俺たちはもうおじさんですよ。ヴォル殿にはかないません」

 そう言って両手をあげて降参のポーズをとった。

 話に一応の区切りがついたところでイーゴリが口をはさむ。

「それじゃあ今日は荷づくりと荷物整理ってところですかね」

「ああそういうことになるな」

 ヴォルケイノーはイーゴリにそう返すと、いまだ腕の中に囲っているミーティアへ視線を向けた。

「とりあえず私服に着替えて借りていたその衣服その他もろもろを洗濯して明日には返せるように準備をする。それが今日のティアの仕事だ」

 ミーティアは解放された膝から降りてからヴォルケイノーに向き直った。

「わかったわ」

 そうしてまずは朝食をということで全員席についた。

 やけにヴォルケイノーが楽しげなことに妙な寒気を覚えつつ、ミーティアは言われたことを次々と片づけていった。

 そうして昼の食事を食べ終えたころ、外から聞き覚えのある女性の声が聞こえた。アンナとアリーナだ。彼女たちはミーティアの旅に必要なものを持ってきてくれたのだ。

「ティアさんお久しぶり」

 二人の変わらぬ挨拶を聞くのもこれが最後だと思うと思わず涙が出そうになったミーティアだったがぐっとこらえた。

「アナさんもリナさんもお久しぶりです。お二人とも元気そうでなによりです」

「ええ、私たちにはなんら問題はありませんわ。すべて神の導くままですもの」

 そうアンナが答えてくれたので、なんとか笑顔と言える表情で返せたのだとミーティアはほっとした。

「今日はティアさんに餞別をお持ちしましたの。さあご覧になって」

 アリーナが手で指し示す先を見たミーティアは目を見開いた。

 そこにあったのは荷物が載せられた馬車の荷台ではなく、馬車そのものが居間兼寝室といった感じの移動用の部屋になっていた。

「寝台の下には保存のきく食料を詰め込んであります。ほかにも生活に必要な品をいくつか揃えてあります。目的地まではこれでじゅうぶんまかなえるでしょう」

 手前の馬車がミーティアとヴォルケイノー用で、もう一台がフラーブルイたち用だ。

「ヴォルと一緒……」

 これからしばらくのあいだ昼夜同じ馬車で過ごすのだと思った瞬間ミーティアは頬が熱くなった。

「あら、ティアさん今更照れなくてもよろしいではないですか。おかわいらしいですね」

 アリーナがからかうようにそう言って笑った。

「おいおいティアさんなにを考えてるんだ? 馬車は一台じゃないぜ? 俺たちの中からも三人が別の馬車で同行するんだからな。合計三台での行程だ。いちゃいちゃできると思うなよー」

 豪快に大口を開けて笑いながらそう言ったのはイグナートだった。一緒に行くのはイーゴリとあと一人はよくフラーブルイたちの面倒を見ていた修道士だ。イグナートやイーゴリと比べるとやや細身であったがじゅうぶん筋肉はついており肌色は濃いめだが髪は金髪だった。名前はトビアス。愛称は特になく、みんなそのままトビアスと呼んでいた。

 フラーブルイたちが乗る馬車とイグナートたちが乗る馬車はミーティアたちとは違って一回り大きくそれぞれ三人分の寝台が用意されていた。馬は三人用が三頭で、二人用が二頭だ。いざという時は馬車を捨ててそれぞれが騎馬で移動できるように人数分用意されていた。

 実際に馬車を見ながらそうした説明を受けていたミーティアだったが、それも終わって沈黙がおとずれた際に意を決したようなアンナに名前を呼ばれて首をかしげながら彼女に向き直った。

「アナさん、どうしたんですか?」

 アンナは泣き笑いのような顔を浮かべていた。

「やはり行かれるのですか?」

 ミーティアは小さく苦笑しながらうなずいた。

「だって行くしかないでしょう?」

「ティアさんが行こうが行くまいがご両親の生涯になんら影響がないとわかってもですか?」

「アナ!」

 アンナを叱咤したのはアリーナだった。

 口を固めようとしたのだがアンナは小さく首を横に振った。

「もういいでしょう? ティアさんが行っても行かなくてもご両親の生涯に影響はなく、世界が終末を迎え人の世に終焉がおとずれることに変わりはないのですから」

 はっきりとミーティアの両親に影響を及ぼさないと言い切ったアンナ。それはアリーナに対しての言葉であったが、この場にいるミーティアにも当然聞こえるわけだから二人に対して言ったことになる。

 そしてそれはミーティアの両親は人質になどなっていないから勇者として魔王のもとへ向かわなくともいいのだとはっきりと言ったことになる。

 ミーティアは俯いて足元に視線を落とした。

 それはもうずっと前から考えていたことだった。ミーティアがプレーリーにいた数か月間。ヴォルケイノーたちとリベルトの鍛冶屋にいた数か月間。コローメンスコエにいた数か月間。そしてここ森の屋敷にいた数か月間。これだけのあいだミーティアを監視し続けることが果たして可能なのかどうか。考えた結果、これはミーティアを村から出すための方便ほうべんなのではなかったのかと。

 口減らし。

 たぶんそういうことなのだろう。プレーリーにいたときも、高齢者を守るために比較的若くて体力のある者が食料を確保するために村を出てきていた。それも何人も。

 だからミーティアがどこかで逃げたとしても両親がどうこうということはないと思う。村に戻りさえしなければ。

 ミーティアがそれでもここまできて、そしてその先へ進もうとするのは。それは。

 そっと顔を持ち上げたミーティアはヴォルケイノーを盗み見た。

 それはたぶんヴォルケイノーの存在だ。

 銀の髪が後ろに流されているときはまっすぐに。前髪が垂らされているときはその隙間から鮮烈に。あの淡青色の瞳は『ミーティア』を見てくる。勇者ではなく、村を追いだされたかわいそうな少女でもなく、ただミーティアを。

 その瞳に蔑むような色が乗る瞬間を見るのが怖い。

 ミーティアがミーティアでなくなるのが恐ろしい。

 逃げればきっと最後の証明を自らが壊すことになる。

 だから。

 ミーティアはゆっくり顔をあげるとアンナを見返して淡く微笑んだ。

「それでも、私は行きます。使命だからではなく、両親のためでもなく、私自身のために」

 力強い宣誓などではなく、弱弱しい囁きにも等しいくらいの声だった。それでもたしかにアンナのもとへ、そして彼女たちの会話に聞き耳を立てていた者たちのもとにその声は届いていた。


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