36.因果応報に丸投げ
「……過激ですね」
なんとも間抜けな受け答えと言えなくはなかったが、ミーティアもほかに言葉が思い浮かばなかった。
だがミーティアと違ってイーゴリにしてみればごく当たり前のことを言っただけにすぎないのでいたって落ち着いたものだ。ただし相変わらず眼だけはいっこうに笑っていなかったが。
「これは過激でもなんでもない。動物と同じだ。一定の距離に接近するまでは相手の存在に気づいたとしてもせいぜい警戒するだけで基本的にはスルーする。そしてそれぞれが逃げ切れるぎりぎりのライン、もしくは獲物が射程内に入ったら一気に行動を起こす。草食動物なら逃げ、肉食動物なら追う。しかしどちらも射程から外れれば逃げることも追うこともやめる。そうしなければ体力の無駄遣いになるからだ。体力を消耗すれば消耗した分だけ食事をとって補給しなけりゃならないからだが、動物たちにはそう簡単にできることじゃないからな」
かなり食料は減ったとはいえまだまだ人間ほど飽食できる種はほかにはいないのが現状だ。
「あいつらは俺たちがなにも言わないから、自分たちは客人だと思っている」
だから率先してなにかを手伝おうとしたり、コローメンスコエにいたころのように仕事の割り振りがなくとも当然だと考えている。
むしろようやく自分たちが勇者だと認められたからだと誤認して思いあがっている節もあった。
「テーブルの上に置いてあったメモは見ただろう?」
「はい見ました。たしかにフラーブルイたちの名前はありませんでしたね」
「ここじゃ人手が少ないからやる気のないやつの相手をするだけの余裕はない。言われなければなにもできないような無能なやつを押し付けられても困る。だから放置している。やつらが働かなくともここでの生活になんら影響はない。むしろ部屋にこもっていてくれたほうが仕事の割り振りや監視をしなくてもいいだけ楽だ。だからあいつらが客人と勘違いしていようと邪魔さえしない間はこちらからはなにもしない」
ただし今のところは、と言いながらイーゴリは腕を組んだ。眼差しがさらに険しくなったような気がする。
「どうせこの先あいつらにはそれなりの仕打ちが与えられる。人は己の行動に対しての責任を常に問われるからだ。違うのはそれが今世か来世かということだ。もっともすでに終末に入ってしまっているから来世はない。あいつらのいく先にあるのは地獄のみだ。どの階層にいくかはこれからのあいつらの心根次第といったところだな」
だからミーティアがわざわざフラーブルイの相手をして自身の評価を落とすことはないとイーゴリは言う。
その都度注意と助言をしてもらえるのは子供の内だけ。
この世界にはもう『子供』はいない。
あとは子供のころに学んだことをベースにして自分で考えながら生きていかなくてはならない。そしてそういう風に生きている者には自然と助っ人が現れる。そうでないものからは人が離れていく。
「あいつらはもう子供じゃない。仕事というものは自らが率先して動いて見つけていくものだ。働く意思のある者はローテーションに組み入れてこちらから指示を与えることもあるが、やる気のないやつの尻を叩いてまでどうにかしてやろうなんて優しい心は俺たちにはない」
「それが中途半端なことはしないという結果ですか?」
「まあそういうことかな。俺たちはガキのけんかのようなちゃっちいことはしない。やるなら思いっきりやる。そうでないなら無駄な気力体力は使わない」
ミーティアはイーゴリを上目で見ながらそっと聞いてみた。
「ゴリさん、実はかなり怒ってます?」
イーゴリの口元だけが見事な弧を描く。
「あたりまえだ」
あまりにきっぱりと言い切られて、ミーティアはほっとしたようなあきれたようななんともいえない気持ちになった。
けれどイーゴリの言い分はもっともだと思う。
ふっと力を抜くように息を吐き出した。
「ですよね」
「そもそも俺たちは働かないやつも甘えたやつも大嫌いだからな」
「……ようするにいつか罰がくだるからフラーブルイたちの挑発にいちいち乗らないようにってことですね」
なにやら薄ら寒さを感じたミーティアは少しだけ話の軌道を修正した。
「それもあるが、実際のところティアさんにあいつらの相手をする余裕はないだろう? なんのためにここへ来たんだ? 冬までの間にやらなきゃいけないことは山ほどあるだろう?」
「そうですね」
ミーティアはしっかりとうなずいてからイーゴリを見上げた。
「フラーブルイから受けた憂さは別のところで晴らすことにします」
武術の練習ということは体を動かすということだろう。思いっきり体を動かしていればそうしたことも忘れられるはずだ。
ミーティアが気持ちを入れ替えて前に向き直れば、ようやくイーゴリの目が笑むように細まった。
「あとで差し入れを持ってきてやるからしばらく部屋で柔軟体操でもしていろ」
ミーティアは素直に従った。
たしかに狭い部屋なのでそのくらいのことしかできない。しかし筋肉を鍛えるという意味では継続することが大事だとは村にいたころから教わっていたのでそれに対して否やはない。
しばらく待てば半人前の量の食事がトレーに載せられてきた。
「これから外へ出るからあまり食べすぎないほうがいい」
イーゴリの言葉の裏を感じてミーティアは少々逃げたくなったがここで逃げては彼らに軽蔑されるだろう。腹を据えるとミーティアは手早く食事を済ませた。
ミーティアに武術指導をおこなうのはイグナートとイーゴリの二人だった。
三人で屋敷からわずかに森の奥に入ったところへ行き、ミーティアはまずは武術の型から教わっていった。
フラーブルイから挑発されてもミーティアはすべて無視して過ごし、ただ冬までに最低限猛獣から身を守れる程度の技を身につけることだけに努めた。
イグナートとイーゴリからの課題をひとつクリアするごとに少しずつ森の奥へと練習場を移動していく。そのたびに狩りをするというよりもミーティアの練習相手をする動物が大きく凶暴になっていく。
クズリにアカギツネくらいまでは素手で倒していた。
アムールヒョウにアムールトラを相手にするくらいになったころから帯剣して武術と剣術を合わせて攻撃をする方法を学んだ。もちろんどちらも魔術魔法は応用としてとりこまれていたので、単体としての武術や剣術ではなかった。しかしより実戦向きではあった。
そしてこの日ようやくミーティアが独りでヒグマを倒せたときには、冬はすぐそこまで訪れていた。
「よーし、なんとか間に合ったな」
イグナートが手を叩きながら及第を告げた。
それに対してミーティアは息ひとつ乱さずに笑顔で答えた。
「ありがとうございます。イーグさんとゴリさんのおかげです」
「うん。よく頑張った」
イーゴリも嬉しそうに何度もうなずきながらミーティアをねぎらう言葉を贈った。
「さてそれじゃいつものように獲物を持って帰って捌くとするか」
イグナートの指示にミーティアたちが応えてヒグマを荷車に載せようとしたところで、第三者の声が割り込んできた。
「さしずめ今夜はクマの肉を使ったシャシリクかボルシチあたりか?」
どことなくからかうようなせりふと聞きなれた声。
ミーティアが声の聞こえた方向に目をやれば、果たしてそこには銀髪の青年がくすんだ緑色の軍服と黒いトレンチコートを着て立っていた。
「ヴォル!」
ヴォルケイノーはミーティアに応えるように微笑を浮かべて軽く右手をあげた。




