35.手間は最小限に効果は最大限に
結論から言えばミーティアの助けは必要なかった。
彼らにしてみればクマがやってくることは当たり前と思って対策を施していたし、狩りの対象には当然クマも入っている。
風の盾は念のためというよりは、ミーティアが変に手伝うと駄々をこねて外に飛び出そうとするといった無謀な行為をしでかして邪魔をしないように先手を打っただけともいえる。むしろそちらのほうが正しい判断だろう。
実際のところイグナートやイーゴリは風の盾がなくとも問題がないような距離とタイミングを計っていた。それは冷静に考えればミーティアとて気づけたようなあたりまえのことだった。けれど風の盾とて出したりひっこめたりするタイミングを外してしまえば場合によっては命にかかわることとてあったわけだから、やはりある程度の信用がなければ頼むことはなかっただろう。
合図とともに外に飛び出したイグナートともう一人の修道士。
イグナートはすぐに目の前にいるクマに突進して顎から脳天にかけて突き抜けそうなほどの強烈な勢いでもって拳を喰らわせていた。
一撃で脳しんとうを起こして倒れるクマ。
立ち上がった時の雄叫びによってこちらの存在に気づいたもう一頭が自分以外のオスを追い払おうとでもしたのか全速力でこちらに走り寄ってきたが、これはもう一人の修道士がイグナートと同じように放った強烈な蹴りを後頭部に喰らって倒れこんだ。
二階で見張りについていたイーゴリ以外の修道士二人と玄関で待機していた一人の合計三人が丈夫な縄を持って応援に駆け付けてクマを縛り上げると、即座に屋敷の台所にある流し場へと運び入れて捌いた。
外でやると血が流れてほかの肉食動物を不必要に呼び寄せてしまうので、極力屋敷のそばでは血は流さないようにしている。
捌くときは必ずあとで血を洗い流せるここでと決められていた。
もちろん不可抗力の場合は除いてだが。
この屋敷の地下には浄水設備が整えられているので排水から血のにおいを嗅ぎ取られることもない。
一見レトロなたたずまいでありながら、実はほとんど失われてしまった技術の一部が地下に残っていたのだ。
ミーティアは捌き終えたクマの肉を三階に持ってあがって干す作業を手伝った。
何度か階段を昇り降りしていたミーティアはふと気づいた。人数が足らない。
「ねえゴリさん、フラーブルイたちはどうしているの? 見当たらないようだけどなにか別のことでもしているの?」
「ああ、あいつらならずっと部屋にこもったままだ。自ら出てきたのはティアさん一人だ」
「え? そうなの?」
あれほど大きな音や振動があったにもかかわらず気づかなかったのだろうか。
そんな風に考えながら頭をひねっているとイーゴリの苦笑がこぼれ落ちた。
「違う違う。怖くて出てこれないんだよ」
「え? でもあいつら勇者でしょ? 怖いって……クマが?」
「クマが、だな。あいつらは人間にしても魔にしても弱いものにしか出会ったことがなかったんだろうよ。雄叫び一つでビビっちまって布団の中で震えているぞ」
「それって……じかに見てきたことのように言いますね」
イーゴリはあきれたといった感じで軽く肩をすくめた。
「あいつらはティアさんと違って部屋の確認なんかしないからね。監視されていることにもいっこうに気づいていないよ」
「……なるほど、そういうことですか」
今度はミーティアが肩をすくめる番だ。
ということはコローメンスコエにいたときもいろいろダダ漏れだったのだろう。試しにイーゴリに聞いてみればあっさりとうなずいた。
「そもそも最初から選ばれしものだけが居住することを許された場所だということはわかっていたはずだ。排除するための正当な理由など常に求めていたのはわかりきったことで、対策を怠った彼らは自業自得。ティアさんはそのとばっちりを受けたってわけ。もっともティアさんに関しては武術の基礎を学ばせたいというヴォル殿の要請を受けていたのでどのみちこっちに来ることになってたんだけどな」
ニヤッと笑ってイーゴリは親指を立てた。
計画どおりと言いたいのだろう。ミーティアにとっては笑えない話ではあったが。どうせならいついつからこうこうこういう事情で森の屋敷へ移動になりますとでも言ってもらえていたならまた違った認識になったであろうが、こんな慌ただしく追い出されてしまっては背景を聞かされたとしても脱力感しか残らなかった。
「はあ、ええっと、とりあえずよろしくお願いします」
まったくあいつらは疫病神みたいだと思いながらミーティアは更に肉運びで階段の昇り降りを繰り返した。
「はあー、やっと終わったー」
最後の肉塊を持ってあがったミーティアはその場に座り込んだ。さすがに疲れた。階段の昇り降りは、故郷の村やその周辺の森を歩き回ることとはかなり勝手が違って筋肉が悲鳴をあげている。
ミーティアは掌でがくがく震える足をそっと撫でながら魔力を流し込む。疲労物質を拡散させて早く回復させるためだ。
その様子を見ていたイーゴリが首をかしげる。
「いちいちそんなことをやっていたら追いつかないだろう。最初から魔術魔法に組み込んで常時ベストで動けるように体内を調整しておかないとこれから困るぞ」
「どうやってやるんですか?」
「ティアさんは水を操れるんだろう? だったら簡単だ。体の中もほとんどが水分だからな。滞るものなく正常な流れをキープするように使役しておけばいいんだよ」
自分の体をほかの者に勝手に操られないようにするためにも、自身の全組織を把握しておけば病気はしないし怪我もすぐに治せる。疲れも感じない体になる。
「少しずつ試していくといい」
ミーティアは教えてくれたイーゴリにお礼を言うとようやく疲れや震えが治まってきた足で立ち上がった。その場で軽く足踏みをしてみて様子を見る。
ミーティアが良しというように小さくうなずけば、それを見ていたイーゴリが小さく笑った。
「大丈夫そうだな。それじゃおなかがすいただろう。食事にいくとしようか」
「はい」
二人が食堂へ到着したころにはすっかりと食事の準備が整っていた。
「おおちょうどいいところへ」
気づいたイグナートが軽く手をあげて迎えてくれた。
フラーブルイたちは相変わらず一番に席についている。
結局今日の予定は大幅に変更されて、朝食もピロシキを一つ口にしただけだったので、もうお腹がペコペコだ。そんなミーティアに彼らに構う気力などなく、またもともとミーティアからかかわったことなどないので放置していた。
ただそれだけだというのになにが気にくわなかったのか、それまで所在無げにしていたフラーブルイがいきなりミーティアに噛みついてきた。
「小さななりをしていてもさすがに魔だな。クマをも恐れぬとは。たいしたものだ」
主教にさえ魔ではないと断言されたミーティアをいまだに魔と呼ぶフラーブルイ。いったいなにがしたいのか。なにを言いたいのかミーティアにはまったくわからない。だからできたことといえば怪訝な顔をして見返すのみ。
なにも言わないミーティアに我が意を得たりといった感じでフラーブルイはさらに言いつのった。
「それとも魔術魔法を使って次から次へと男たちを味方につけているから怖いものはないか? いざとなればそいつらを身代りにして逃げればいいのだからな!」
言いながら興奮してきたのかフラーブルイの声は徐々に大きく早くなっていった。
このときのミーティアはただでさえ空腹で疲れも取れきれていなかったためやや短気になっていた。
目の前のテーブルに両の掌を思いっきり叩きつけるようにして立ち上がる。
「いいかげんにして! いつまでもぐちぐちと言いがかりをつけるのはやめてちょうだい。主教が私のことを魔ではないと断言したのを聞いていたでしょう!? それともその程度の言葉も理解できないほどに低能なわけ?」
「なんだと!?」
フラーブルイも負けじと立ち上がる。そのままの勢いでミーティアのほうへと向かって来ようとしたのを止めたのはイグナートだった。
「ほい、そこまでだ。これから飯だというのに周りの迷惑も考えろ」
そして二人は部屋で反省しろと言って食堂から追い出した。
フラーブルイに近くに座っていた修道士の一人が部屋まで付き添い、ミーティアにはイーゴリが付き添った。
部屋に入るとミーティアはイーゴリに頭を下げて謝罪した。
「ゴリさんすみませんでした」
そうしてミーティアは大きく息を吐き出した。
ここに来ることになった時も食堂でフラーブルイに言いがかりをつけられたのが原因で食事も抜きになった。そして今また食事を目の前にしていながら部屋へと追いやられている。
「あいつのせいで食事抜きはこれで二回目です……」
情けなく眉尻をさげたミーティアはお腹をさすりながら口を尖らせた。
そんなミーティアにイーゴリは苦笑した。
「気持ちはわからなくもないがあれはよくない。場所がどうこうじゃなくて男ってのは見栄っ張りな生き物でな、何人も人がいる前で赤っ恥をかかされると暴力に訴えるようになる。現にさっきも殴りかかろうとしていただろう? 腹が立つのもわかるがああいうときは相手の気が済むまでじっと我慢をしていたほうがいい」
「ずっと言われっぱなしでいろってことですか?」
「場所を選べってこと。中途半端なことはしないで時期を見て完膚なきまでに叩き潰せってことだよ」
何気なく聞き流しかけていたミーティアは勢いよくイーゴリの顔を振り仰いだ。
「え……?」
イーゴリは一見笑顔を浮かべているようでいてその瞳はどこか昏かった。




