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26.そして今夜も

 ミーティアが湯殿を借りて身を清めているあいだにどこかに行っていたヴォルケイノーが一人の修道士を連れて部屋へと戻ってきた。

 寝間着でもあるワンピース一枚しか身につけていなかったミーティアは慌ててガウンを羽織った。ヴォルケイノー一人だけであれば怒鳴りつけていたのだが、修道士が一緒ではそういうわけにはいかない。

 いったい何の用事かと思えば正式な指輪を誂えてきたということだった。

 教会内にはこうした装飾品の作成を専門にしている者もいる。そこへ行ってヴォルケイノーの注文どおりの指輪を四つ作らせたのだ。

「四つ?」

「正教徒であれば右手の薬指に嵌っていれば結婚指輪だとわかるが、ほかの者には左手の薬指で無ければそうと気づかないものが多いからな。どちらに対しても伝わるように左右に嵌められるように四つだ」

 ヴォルケイノーの言葉どおり、修道士が掲げ持つ小振りのクッションには指輪が四つ載っていた。

「右手を」

 ヴォルケイノーに言われるままミーティアは右手を差し出した。もうこうなったら従うしかないのだから。

 観客がいるからか丁寧な仕草で借り物の指輪を外すと、新たに用意したミーティア用の指輪を嵌めた。次に左手にも。そのあとはミーティアがヴォルケイノーの指へも同じように嵌めてこれにて儀式の終了だ。

「外すなよ」

 まるで離れているあいだに浮気はするなと言っているような口調だった。違うと思いながらもそう聞こえてしまったことに恥ずかしくなったミーティアはわずかに頬を赤らめた。

「……外さないわよ」

 顔を反らしてそれだけ言ったミーティアの髪を一房掬い取ったヴォルケイノーはそこにそっと口づけた。

 そうして未だ控えたままの修道士を振り返る。

「ありがとう。座下ざかに感謝しますと言伝をお願いできますか」

「承りました」

 そう言って修道士が退室して扉がしっかりと閉じたことを確認するとヴォルケイノーは大げさなほどのため息をこぼした。

 つかつかとソファーへと移動する。

 どっかりと乱暴に腰かけると、ヴォルケイノーはテーブルに置かれた飲み物を口にする。

 ミーティアはその様子を眺めながら別のソファーへとそっと腰掛けた。

「部屋には戻らないの?」

 ミーティアがなぜここにいるのかと問えば、ヴォルケイノーはここが部屋だと答えた。

「隣の部屋はすでに片づけられている。夫婦になったのだから同じ部屋だ。ましてや昨夜のことも見られてしまったからな。これで夫婦が別々の部屋で休んだりすればすべてが無駄になる」

 ということは。

「今日も昨夜みたいに……一緒に寝るの?」

「それでもいいが、今夜は逆に寝台を使うほうが自然だろうな」

 そう言ってヴォルケイノーは被ったままだったスクフィヤをとるとポドリャスニクも脱ぎ始めた。

「ちょ、なにやってるのよ」

「寝台を使って寝るのにこのままというわけにはいくまい」

 そうしてポドリャスニクの下に着ていた丈が踝近くまである白いワンピース一枚になると、さっさとミーティアの腕をとって寝台へと向かった。

 一応ミーティアも踏ん張って逆らってみたのだが、あっさりと横抱きにされて寝台へと運ばれてしまった。

 乱暴なようでいて丁寧なヴォルケイノーはそっとミーティアの体を寝台の上に横たえると、自身も隣へと滑り込む。ミーティアが体を起こす前に、気づけばしっかりとヴォルケイノーの腕の中に囲われた状態になっていた。

 ぱくぱくと口を開閉するだけで言葉にならないミーティアに対してヴォルケイノーは一言だけ告げてあっさりと目を閉じた。

「寝ろ」

 取り残されたミーティアはふと自身を見下ろした。

「ねえヴォル。ガウンを着たままなんだけど……」

 そっと訴えてみれば再び現れた淡青色の瞳が静かに見返してくる。かと思えばあれよあれよという間にガウンのベルトがほどかれて脱がされていた。ガウンはぽいと奥に放り投げられる。それを目で追ってからミーティアはヴォルケイノーに顔を向けた。

「ヴォルって器用ね」

 ミーティアとしては褒めたつもりだったのだが、ヴォルケイノーは眉を寄せると彼女の後頭部を掴んで自身の胸元へ押しつけた。

「いいから寝ろ」

 直後にはこれまでで最大級のため息がヴォルケイノーの口から吐き出されたのだった。

 今朝は修道女見習いが来る前に目覚めることができた。修道女見習いは修道女とは違ってベールではなくスカーフを頭に被っているので区別がつきやすい。

 ヴォルケイノーはさっさと衣裳部屋の扉を開いて自身の軍服を取り出すと、ミーティアが起きているにもかかわらず躊躇いなくワンピースを脱ぎ始めた。

「ちょ……っ、なんでそんなところで着替えるのよ」

 慌てて後ろを向きながらミーティアが抗議する。しかしヴォルケイノーは構わず着替えを続けた。

「ほかに着替える場所がないんだからあきらめろ。見たくなければそうやって後ろを向いていれば済むことだ」

 そういってあっというまに見慣れた姿が出来上がった。

「ティアも早く着替えろ。そろそろやってくるぞ」

 その言葉に慌てて寝台を飛び出したミーティアはヴォルケイノーに後ろを向いているように言ってからポドリャスニクに袖を通した。ヴォルケイノーと違って下着のワンピースを脱ぐわけではないので見られてもどうということはないはずなのだが、なんとなく羞恥を覚えたからだ。

 十字架とレースのベールと額飾りと一人で身につけていく。これからはずっと自分でやらなければいけないのだから、ここで実際にやってみて不都合がないかどうかヴォルケイノーにチェックしてもらっておいたほうがいい。

「これでいいのかしら?」

 軽く首を振って落ちてこないことを確認してからヴォルケイノーを振り返る。

「ああ、動いてもずり落ちないようになっていれば問題ない」

「今日は髪を三つ編みにしてみたけれど、これは問題はない?」

「むしろ作業の邪魔にならないようにまとめていたほうが誠意が感じられていいだろうな。客人とはいっても居候みたいなものだから当然仕事はある。きちんと仕事をこなす意思があるのなら必然的にちゃらちゃらした格好はできないものだから、そうした細かいことに気を配るのはいいことだ。不用意な諍いを回避できる」

 そうして二人が身支度を整えた頃合いを見計らったように扉がノックされた。

 朝食の定番としてリベルトのところでもよく食べた蕎麦の実のカーシャを二人が食べ終えた頃に、洗濯済みのシーツを持って二人の修道女が入室してきた。

 ミーティアたちが使ったシーツをはがして一言「あら」ともらした。戸惑う様子の二人にヴォルケイノーが声をかけた。

「どうかなさいましたか?」

 年嵩の修道女が姿勢を正してヴォルケイノーに向き合った。

「初夜をお迎えになられていないようですが、当方に手落ちでもありましたでしょうか?」

「いいえ、そのようなことはありません」

「でしたら……」

 そこへ一人の主教がやってきて事情を聞くと、やはりヴォルケイノーへと向き合った。

「女性の器官に種を植えられるのは、神の創造のお力をその身に宿されるとても尊いものでございますよ」

 ヴォルケイノーは笑顔で首肯した。

「ええ、存じております。ですが……」

 いったん言葉を切ったヴォルケイノーは、困惑して立ち尽くすミーティアの肩を抱き寄せてその額にベール越しに口づけた。

「座下のお心づかいのおかげで図らずもこんなに早く彼女を妻に迎えることが叶いましたが、初夜はこのように離れ離れになる前ではなくずっと共にあれる新居でもって迎えたいと存じます。ましてや一度触れてしまってはとても一晩で手放せそうにはありませんので」

 そう言ってミーティアを見つめるヴォルケイノーの笑顔は艶めいていてミーティアだけでなくその場にいるすべて者を赤面させた。

 主教は我に返ると咳払いでその場をうやむやにした。

「それではヴォル殿。そろそろ出立のお時間になりますので」

 もともと主教はヴォルケイノーを迎えに来ていたのだ。

 ミーティアも見送りのために門まで一緒に向かうことになった。あのプロエーズナヤ門だ。

 実際のところこの門の内側に建っている建物だけでは十四万四千人は生活できないため見習いや一般の正教徒たちはこの周囲の家々に散らばっている。今やこの町全体がロシア正教会といってもいいくらいだがあくまでも教会の門はここだった。

「では冬にまた」

 ヴォルケイノーがそう挨拶すれば、主教も「注文の品々のお手配をよろしくお願いします」とだけ答えた。

 ヴォルケイノーはミーティアの頬を一撫でしただけなんの言葉もなく旅立った。

 そしてヴォルケイノーの姿が見えなくなると主教がミーティアへと向かい合う。

「ティアさんにはこれより修道女と同じような仕事についてもらいます」

「はい」

「よろしい。ではこちらへ」

 再び門の内側へと向かう主教の後ろをミーティアが追う。

 一~二歩歩いてから一度だけ振り返ったミーティアだったが、すぐに前へと向き直った。

 冬までに。そう自分に言い聞かせて。


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