24.挨拶回り
次に向かったのは予想どおり大主教のところだった。
しかも総主教、府主教、大主教とすべて建物がわかれているため移動に時間がかかる。そのあいだ当然色々な人の視線にさらされるわけで、ある意味この教会で生活しているすべての正教徒たちへお披露目をしているともいえた。
府主教の時と同じような挨拶を大主教とも交わす。今度はミーティアが被るベールが贈られた。ほかの修道女とは違ってミーティアに渡されたのは総レースの一枚の四角いベールだった。ずり落ちないように髪に固定するための髪留めがついている以外はただの黒いレース編みのベール。これが白い色をしていれば花嫁のベールに見えるだろう。
ミーティアは思わずどきりとしてしまった。
合図を受けて先ほどと同じようにわずかに膝を折って頭を伏せる。
大主教の手によってふわりと頭に被せられただけのベールを、きちんと留めたのはやはりヴォルケイノーだった。ベールが落ちないように頭頂部を軽く押さえてから一度目元にかかっている部分を持ち上げて複数の髪留めを順に留めていく。今度は顔が近い分さきほどよりもさらに緊張した。
(なにこれ拷問?)
目を開けれていれば目の前にあるヴォルケイノーの唇を見つめていなければいけない状態。もちろんミーティアがそんなことに耐えられるはずもなく早々に降参して終わるまで目を閉じて乗り切った。
離れ際に額へ口づけひとつを落としてからベールを戻すヴォルケイノーを見ていた大主教も、府主教と同じように反応し、ヴォルケイノーもまた同じ答えを返した。
曰く、大切な相手だからこそ迎え入れる準備が整うまで安全な場所へあずけるのだと。
そうしてあとは主教のところ、修道女のまとめ役を務めている人、食事担当の責任者、庭師などといった最低限かかわりを持つであろう部署の責任者のもとへ挨拶に向かった。それぞれ「よろしくお願いします」といって軽く頭を下げるだけで終わったことがせめてもの救いであった。
ようやく部屋へと戻ってこれたころには疲労困憊で注意力も散漫だった。
だから部屋に入った瞬間ヴォルケイノーに口を塞がれて抱え込まれてもなにが起きたのかまったくわからなかった。
数拍経ってようやく頭が回り始めたミーティアはそっとヴォルケイノーを窺う。空いた手で人差し指を立てる仕草に喋ってはいけないと言われているのだと気づいたミーティアは小さくうなずいた。
口を塞いでいたヴォルケイノーの手が離れ際、念を押すように立てた人差し指で口元に触れるとようやく抱え込んでいたミーティアの体も開放する。
掌を向けてそこから動くなという合図を送ったヴォルケイノーは、足音を殺して壁際に置かれた装飾品に近づいた。
そこにはファベルジェのインペリアル・イースター・エッグが置かれていた。今は卵の蓋が開いており、中にはイースター・エッグが一つ入っている。そのイースター・エッグをヴォルケイノーが取り出した――直後に握りつぶしたのだった。
思わずあげそうになった驚きの声をすんでのところで呑み込んだミーティアにようやく警戒を解いたヴォルケイノーの声がかかる。
「もういいぞ。盗聴器は壊したからな」
そしてざっと部屋の中を見まわすようにしていたのかと思ったら違ったようだ。部屋の端から端まで首を振りながら見やったのでてっきりそうだと思っていたのだが、風の精にこの部屋の中での会話が外へ漏れないように命じていたらしい。ほかにもいろいろなものを支配下に置いたと自慢げに説明される。
「おまえもこのくらいはできるようになれ。でないと安心して寝ることさえできなくなるぞ」
「ここは世界一安全な場所じゃないの?」
たしか府主教がそんなことを言っていたはずだ。
「選ばれた者にとってはとも言っていただろう。そこにミアは含まれていない。つまり安全の保障はしないということだ」
それではこの男は安全でない場所にミーティアを連れてきたというのだろうか。なおさら疲れが増したミーティアはふらふらと部屋の中に入って用意されているソファーへと腰掛ける。
ヴォルケイノーも後をついてきたと思ったらわざわざミーティアが座っているソファーの背に腰かけた。
「あいているところに座ったら?」
ソファーの空席はまだたくさんある。なぜわざわざこんな近くの、しかも座面で無いところに腰かける必要があるのだろうか。
つくづくわからない男だと思う。
投げやりにため息をこぼせば、額になにやら冷たいものが当たった。
「まだ動くなよ」
頭の動きは止めたものの、いったいなにかと手で触ってみれば、どうやら石の付いた額飾りのようだった。
「これは?」
「総主教からの贈り物だ。これで少なくとも総主教と府主教、そして大主教に認められた教会の客人として大手を振って歩ける。勇者どもが目を覚まして騒ぎ立てたとしても誰も気にも留めなくなる」
教会のトップ三名が認めた客人。確かに自分たちの指導者が魔を招き入れたとは思わないから彼らの戯言に耳を貸したりはしないだろう。あとはミーティアが相手にしなければそれで済む。身の危険だけは守らなくてはならないが。
留め終わったのか、ポンと軽く頭を叩かれたミーティアは振り返ってヴォルケイノーを見上げた。
「ありがとう、ヴォル。なんとか冬まで頑張ってみるわ」
笑顔で礼を述べたミーティアを細めた眼で見返したヴォルケイノーはゆったりと身を屈めた。
「え? なに?」
戸惑うミーティアをなだめるように頬を撫でると、その手で顎を持ち上げた。
「我が血において」
ミーティアをまっすぐに見つめてただそれだけを口にするヴォルケイノー。
顎を固定されているミーティアは首をかしげることもできない。
「我が血において」
繰り返される言葉。
「我が血において……?」
ミーティアが言葉をなぞればまた新たな言葉が紡がれた。
「汝に祝福を」
「……汝に祝福を」
柔らかな温もりをミーティアは避けることもできずにただ受け入れた。
気づけばどうやら気を失っていたようだ。ミーティアは目を開けた先にヴォルケイノーの顔を見つけて無意識に睨みつけた。
「なんだ?」
第一声がそれか。
「なにをしたの?」
「俺の血を飲ませただけだ」
「……なぜ?」
もうなにをどういっていいのかわからなくなってきたミーティアはそれだけを尋ねた。
答えは、ミーティアの秘められた魔力を開放するためだった。
たった三人を伸すためだけにあれだけの時間と手間と魔力を使っていては効率が悪すぎる。今現在のミーティアの技量では冬までの短い期間ではここでどれだけ訓練をしても成長は小さい。まず自分の魔力を自在に操れるようになることから始めなければいけないからだ。
「それでヴォルの血?」
「そうだ。俺の血に含まれている魔力を呑ませることによって閉じていた弁を無理やりこじ開けた。だから気を失った。今もまだ急激な変化に体が慣れていないから起き上がれないだろう。明日の朝までには落ち着くはずだからそのままじっとしていろ」
実際ミーティアは自力で体を動かすことができなかった。
ソファーの上に腰かけているヴォルケイノーに横抱きにされた状態で会話をしなければいけないとは。動けるものならとうの昔に逃げていただろう。
「それはまあ動けないのだから仕方ないけど、なぜこの体勢なの? ベッドに寝かせておいてくれればよかったのに」
鍛冶屋での前例があるため寝ている体をヴォルケイノーに寝台まで運ばれることにはすでに抵抗はないミーティアだった。だからそうしてくれればよかったのにといったのだ。
だが今回はそういうわけにはいかなかったらしい。
「俺の血が鍵だからな。俺がそばにいたほうが早く馴染む。回復も早くなる。あきらめておとなしくしているんだな」
なんだかだるくてもうどうにでもしてくれといった気分になってミーティアは深く息を吐き出した。
とにかくこの時間を建設的に使おう。
ミーティアはそっと額に手をあてて記憶を呼び覚まそうとした。
聞かなければいかないことがあったはずなのだ。
そう、たしか。
「結局、ヴォルはこの教会にとってどういう存在なの?」
「総主教はルキの祖父だ。つまり俺の義理の祖父みたいな間柄だ。その関係でこの教会とちょっとした取引をしていて、俺はほぼフリーパスで教会内を行き来できる。もちろん府主教や大主教のように警戒している者はいるが、俺にはその気はないとはっきり意思表示をしている。だからポドリャスニクに袖を通していても絶対に十字架はもたないようにしているし、あくまでもビジネス上のつきあいに徹しているからこそ大多数の人間には信頼されている」
だからこそマルキリスの手紙だけでは弱かったミーティアの教会への長期滞在もすんなり可能になったのだ。それだけでなく今日のようにミーティアの後ろ盾のような役目を務めることもできたわけだ。
「そう……」
これは大量の借りを作ってしまったということか。
あ、そういえば。
「ねえ、それじゃあ私がヴォルの許婚ってのはどういうこと?」
「それが一番簡単な言い訳だったからだ。こうやって部屋に二人だけでこもっていても誰も不思議に思わない。ミアになにかあって俺が手や口をはさんだとしても許婚を助けるのは当たり前と思ってもらえる」
なにかにつけて便利だっただけのことだときっぱり言われてそれはそれで複雑な気持ちになったミーティアだった。




