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20.たくらみ

 ちょうど食後のお茶を入れているところだった。ミーティアはなにか嫌な気配を感じて、レイピア同様帯剣用ベルトに下げていたマンゴーシュを左手で抜いた。マンゴーシュとは盾の代わりを務める短剣のことだ。マルキリスの助言でレイピアはレイピアらしく基本的に刺突用として使い、切ることにおいても優れた特別な剣だということは極力隠すようにした。そのための練習もじゅうぶんおこなっている。その一つがマンゴーシュの使い方だ。

 ミーティアがしっかりとマンゴーシュの柄を握りしめたところで背にしていた大木を回り込んできた者が剣を振り下ろしてきた。それをマンゴーシュで受け止めるのではなく受け流す。

 二振り目の攻撃はこなかった。

 警戒態勢を解かないままミーティアは攻撃を仕掛けてきた相手を半ば睨みつけるようにして凝視する。

「気が済みましたか? とんだ勇者ですね」

 抜身の剣で襲い掛かってきたのは案の定フラーブルイだった。ミチオールは武器を持ち出してはいないものの、フラーブルイとは逆の方向から距離をとってゆっくりと大木を回り込んできた。そしてフラーブルイの横に並ぶ。

 ミーティアは二人の顔を順に見返した。瞳からは紗幕がかかったように感情が薄れ、ミーティアにしては珍しく無表情が面に浮かぶ。言葉を綴る声はどこまでも平坦だった。

「話というのはこういうことですか。大の男がふたりがかりで旅人一人を襲うとは」

「違う! 襲ってなどいない!」

 フラーブルイがミーティアの言葉を遮って叫ぶ。だがしかし実際抜身の剣で切りかかっておきながら襲っていないとは。

 ミーティアの口元がわずかにゆがむ。一瞬だけ小さく嗤ったのだ。

「とんだ笑い草だ」

 もし無抵抗でいたら今頃ミーティアは死ぬか大怪我を負っていただろう。寸前で止めるつもりだったのかもしれないが、ほんとうにそれができたのかどうか怪しいものだ。

「話があるというからわざわざここで待っていた。その相手に対していきなり剣で切りかかることのどこが襲っていないというのか。それともこれは私だけが知らぬ礼儀とでもいうのだろうか。これまで数々の人間と会ってきたがこのような扱いをされたことはない。それとも土地柄だろうか。旧ユーラシア大陸ではこれが常識だとでも?」

 わずかに首をかしげてミーティアが問いかける。

 フラーブルイとミチオールは目配せし合ったあと二人揃ってミーティアへ向かって頭を下げた。

「すまなかった」

 しかしそれだけだ。

 フラーブルイの手には未だ抜身の剣が握られている。

 もちろんそうである以上ミーティアもマンゴーシュの柄から手を離すわけにはいかず、警戒態勢もそのままだ。ただしミーティアは一撃目を受け流したあとですぐにマンゴーシュを鞘に納めていたが。二人の青年はそのことに気づいているのかいないのか。柄から手を離さなければ抜いていようがいまいが関係ないと思っているのかもしれない。

 どちらにしろミーティアには初対面の彼らがなにを考えているかなどわかろうはずがない。つまりミーティアはミーティアの常識の範囲内で最低限の礼を尽くすのみだ。それがのちに彼らへの恩にも貸付にもなるだろう。自分からは弱みを握らせないようにする。そのことだけを注意していた。

 だからまたしても隙を作ってしまっていたようだ。

 仲間がいるとは思ってもいなかった。

 気配を消して近づいていたもう一人の男が大木の後ろからミーティアに向かって縄の両端におもりがついた流星錘りゅうせいすいを投げつけており、大木にミーティアの体を縛り付ける形になった。

 慌ててマンゴーシュを抜いて縄を断ち切ろうとしたが遅かった。フラーブルイがミーティアの喉元に抜身の剣先を突きつけていたのだ。

「動くな!」

 鋭く静止の声がかかる。フラーブルイだ。間近で見た彼の瞳は色白の肌同様薄い色素で、浅瀬の透き通ったような水の色を思い出させた。湧き出たばかりで冷ややかな水。まさに今のフラーブルイはそんな瞳をしていた。

「どこまでも野蛮な人間だったわけね」

 ため息とともにミーティアが独り言ちた。ただの独り言だったのだがさすがに間近にいるフラーブルイには聞こえてしまった。冷たい瞳に険が宿る。

「魔の分際で利いた風な口をきくな」

「は?」

 ミーティアはあんぐりと口を開けてフラーブルイを見つめた。

「誰が、なに、ですって?」

 あまりにもミーティアが呆けた顔で聞き返したからか、フラーブルイが眉をしかめた。

「誰もなにも、おまえは魔だろう」

 今度こそミーティアは大声をあげた。

「はぁあああ? あなた頭おかしくなったの? 私のどこをどう見たら魔に見えるのよ」

「いつまでごまかすつもりだ。人間の女が独りで旅をして無事に済むわけがない。ミチオールの治癒を拒んだのだって魔だとばれると困るからだろう」

 ミーティアはがっくりと肩を落とした。

「わーなにその屁理屈。頑固に勇者って名乗り続けていたのはマジでこうやって無実の人間を殺してまわるための免罪符だったってわけ? 手を叩きたいくらいだわ。狂人すぎる。すごいわ。弁明も受けつける気ないんでしょ。手放しでほめてあげるわ。めっちゃめまいがするほどたまんないわね。背中に悪寒が走るほどであーもーそこまでいっちゃってる殺人者だとはさすがに気づかなかったわ。よ!」

 最後の一言を発すると同時にミーティアが目の前にあるフラーブルイの瞳をねめつければ、なんの気配もなく突然雷霆らいていが三人の青年たちをめがけて落ちてきた。

 野太い悲鳴をあげる暇もなく倒れる彼ら。

 そのすきにミーティアは縄を切って体の自由を取り戻した。

 三人の様子をざっと調べたミーティアは全員が気絶していることを確認した。多少火傷は負っているが命に別状はない。

 地面に掌をあててミーティアが小さくつぶやく。

「地の精、草の精。我の命によりこの者らを一刻のあいだこの場に拘束して足止めせよ」

 ぼわりとミーティアの掌から淡い光がもれると、地面と草が動いて青年たちの体を拘束し始めた。

 あたりを見まわしてほかに気配がないことを確認したミーティアは願いをかなえてくれた地の精と草の精にお礼を伝えると荷物をまとめてその場を足早に去っていった。

 悲鳴は上がらなかったがあれほどの雷が落ちたのだ。しかも晴れた空から。修道士たちが様子を見に出てくる前に姿を隠す必要があった。

 そうして人の気配を避けつつミーティアは一つの建物の中へと逃げ込んだのだった。

 そこは白亜の建造物――ボズネセーニエ教会。

 素早く入り込んだミーティアはそこの地下を目指した。

 ここだけはマルキリスたちに地図を見せられて構造を覚えている。さきほどの雷騒ぎで何人かの修道士が外に出ていったのであまり人は残っていないのか。人の気配がほとんどしない中を移動していればやがて気の緩みも出てくるものだが、今はフラーブルイたちに拘束されたことが戒めとなってミーティアは気を引き締め続けることができた。

 時間はかかっても確実に。

 入り組んでいるおかげで人をやり過ごすこともたやすく、ミーティアは誰に見つかることもなく目的の地下へと潜入することができた。

 あらためて目の前の扉の位置と形状を確認するとそっと取っ手を掴んだ。

 一度わずかな隙間を開けて中の様子をうかがう。

 周囲の気配をもう一度念入りに探ってから地下室の中へとその身を滑り込ませた。

 中には一人の老人がいた。

「どなたですかな」

 寝台に横になりながらも耳ざとくミーティアの気配をよんだ老人。

 ミーティアはできるだけ足音を殺しながらそっと近づいた。

「マルキリスというかたをご存知でしょうか?」

「どのマルキリス殿であろうか」

「……あなたは」

 一度言いかけた口を閉ざしたミーティアはあらためて老人の姿に目をやった。

 黒いポドリャスニクを着ているところはほかの修道士と変わりない。

 胸元には主教にだけ身につけることが許されている十字架の代わりの丸い形をしたパナギアと呼ばれている装飾品を首からかけている。

 頭には斜円錐の円周が小さいほうを切ったような帽子――カミラフカを完全に覆うようにベールをかけて前半分はカミラフカの中に折り込み、後ろ半分は肩と背中に垂らしたクロブークを被っている。

 髪もひげも白く染まってまるでこのボズネセーニエ教会のようだ。

 静かにミーティアを見返す瞳もこの教会内に敷き詰められた芝生の緑のように澄んでみずみずしい清らかさがあった。

 老いてなおロシア正教会の象徴たるその姿。

 ミーティアはあらためて一礼してから口を開いた。

「私はミーティア・アスタルトと申します。マルキリス・スリキルマの依頼で手紙を持ってまいりました。ムスティスラフ総主教とお見受けしましたが……」

 老人は静かにうなずく。

「いかにも。わたくしがムスティスラフです。マルキリス・スリキルマもよく存じておりますが、はて手紙をお預かりとはいったいどのような……」

 ミーティアは一言断りを入れてから背負い袋を開けて丁寧にしまっておいた手紙を取り出した。

 それをそっとムスティスラフへ差し出す。

 多くの皺を刻んでも損なうことのない上品な仕草で受け取った手紙に目を通すムスティスラフ。

 ややあって再び手紙を折りたたんで片したムスティスラフは穏やかな笑みをミーティアへ向けた。

「マルキリスの頼みであればあなたを客人として遇しましょう。北磁極には船でも行けなくはありませんがあなたが望んでおられるのはその先の道でございましょう。そこへ至るには北氷洋が凍る冬を待たなくてはなりません。それまでどうぞこの教会内に客人としてお留まりください」

 そうしてムスティスラフは寝台の横に下がっていた呼び鈴を鳴らすための紐を引いた。

 ミーティアはもう一度丁寧に頭を下げて感謝の意を示した。


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