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18.コローメンスコエ

 この鍛冶屋を出ていくと宣言したミーティアは、部屋に戻るとざっと私物を見渡した。

「これだけだしね」

 くすりと笑ってミーティアは寝台へ横になった。

 今度はいつちゃんとした寝床で眠れるのかわからない。私物は少ししかないのだから荷造りは明日の朝におこなうことにして、最後の夜をしっかりと堪能するために早々に寝ることにしたのだ。

 そうしてたっぷりと睡眠をとって目覚めたミーティアは、荷物をまとめると部屋を掃除してから食堂へと向かった。

 そこにヴォルケイノーの姿はなかった。

「おはようございます。ルキさん、ベルさん。ところでヴォルはいないんですか?」

「ああ、おはよう。ヴォルは所用で昨夜から出かけてるよ。戻ってくるのは三日くらい先かな」

「そうなんですか」

 昨夜あんなことがあったとはいえ世話になったことには違いない。きちんとお礼くらいは言いたかったのだがいないのでは仕方がない。

 ミーティアはヴォルケイノーへの言付けをマルキリスに頼むことにした。

「それじゃルキさんからヴォルに、いろいろ教えてくれてありがとうって伝えておいてもらえますか?」

「おう、ちゃんと伝えとくよ」

 そうして朝食を済ませたミーティアは外へと出る。リベルトに洗い物の手伝いは今日はもういいと言われた上にたくさんの保存食を渡されたミーティアは目を瞠った。

「え……っ、こんなにたくさんもらうわけには」

「こういうことに遠慮はしないほうがいい。飢え死にしたくはないだろう?」

 そういわれてしまえば返す言葉もなくミーティアは深く頭を下げて受け取った。

「ルキさん、ベルさん、長い間お世話になりました。ありがとうございます」

 二人に向かって改めて頭を下げたミーティアは荷物を背負って出立の準備を整えた。

 勇者の剣もきちんと腰につけている。帯剣用のベルトはこれまたリベルトからの餞別だ。

 マルキリスからは固形燃料と、内側に毛皮がついている防寒用の革張りコートがプレゼントされた。毛足が短いのでごわつくこともなくそれでいて暖かい。今は晩夏なので必要はないが近々恩恵にあずかるようになるだろう。丁寧にたたんで背負い袋へとしまう。

 もう一度お礼を言うと、ミーティアはすべての荷物を抱えた。

 そんなミーティアを手招きしてリベルトがそばの小屋へといざなった。

 この中はミーティアも初めて目にしたがそこにはなにも置かれていなかった。ただ中央の床に陣が描かれているだけだ。

「これは?」

「移動陣だ。一方通行でしかないし、魔力を持った人物とその所持品しか移動させられないが、どこにでも希望する場所へ一飛びに移動することができる。ヴォルもこれで飛んでいった。ミーティアも飛ばしてやるから好きな場所を言ってみろ」

 好きな場所と言われて、ミーティアは「教会」と答えた。『復元された予言書』の話を聞いていた時に『教会に身を寄せている信者たち』の存在を知り、一度どんなところか見てみたかったのだ。

「人目を避けるために教会の近くにある森の中に出るはずだ。しっかりと荷物を抱えてろよ」

「はい。ありがとうございます。本当にお世話になりました」

 うなずいたリベルトが小さく呪文を唱えると移動陣が光り始める。立ち上る光の円柱に囲まれたと感じた直後、気づけばミーティアは見知らぬトーポリの森の中に立っていた。

 前を見れば屋根の上についている十字架が目に入る。

「本当に一瞬だったわね」

 ミーティアは手荷物をざっと確認した。すべてそろっているようだ。歩行に支障がないように荷物を抱えなおしたミーティアはその教会へ向けて歩き始めた。

 最初に見えてきたのは木造の建物だ。一見丸太を水平に組み上げて作られた小屋のようだが、真ん中に半月形にくりぬかれたトンネル状の通路があるだけ。中央のトンネル上部は半円の尖塔屋根になっておりそこに十字架が取り付けられていた。十字架といっても木の角棒を十字の形に組み合わせて固定しているだけだったが。

 その門のような建物の前で旅人姿の青年男性二人と、十字架を首からさげた一人の中年男性がどうやら言い争いをしているようだった。

 十字架のペンダントをかけている男性は門を背にして青年たちに向き合っている。黒色で長袖、足首まである長さの長衣の前身頃を左衽さじんに着ておなかのところを縄紐で締めている。近づくにつれて立ち襟のところも左の目尻の下あたりをボタンで留めている様子が見て取れた。ポドリャスニクとよばれる修道士が着用する衣類だ。首にかけられた十字架のペンダントがちょうど縄紐の上あたりで揺れている。黒に近い栗毛であごひげも生やしていたためすぐには気づかなかったが、頭にピッタリとはまったような黒い球帽子――スクフィヤも被っていた。

 いっぽうの青年たちはといえば、特に修道士と真正面で対立しているほうが色白で金髪。けっして筋骨隆々というわけではなくどちらかといえば細身でありながらそれなりに鍛えてはいるようで、むき出しの腕は必要な筋肉がしっかりとついていた。帯剣している大振りの剣もじゅうぶん使いこなすことができるのだろう。

 その色白の青年を後ろからなだめようとしている青年は白すぎない肌色に金に近い明るい栗毛だった。こちらも長剣を帯剣している。色白の青年ほどではないが、同じように細身でありながら剣を扱える程度には鍛えているようだ。暴れる色白の青年を後ろから羽交い絞めにして突進をとどめていられるほどには。

 さらに近づいていくとかろうじて会話が聞き取れるようになってきた。ミーティアは聞き耳を立てる。

「だから俺は勇者だといってるだろう。いいから司祭に会わせろッ」

「ですから勇者などという得体のしれないものを神父に会わせるわけにはいかないといっているでしょう。そのような戯言たわごとにつきあっている暇はないのです。どうぞお引き取りください」

「だから勇者すら知らないおまえじゃ話にならないから司祭に会わせろって言ってんだよ!」

 どうやら延々とそんな不毛な会話を繰り返しているらしい。

 ミーティアは内心であきれたようにため息をついた。

(なにをやってるのかしら)

 そうしてミーティアがあと数メートルといったところまで近づいたところでようやく修道士が彼女に気づいた。

 ざっとミーティアを一瞥した修道士は疲れたように息を吐き出した。

「また『旅人』ですか。それともあなたも『勇者』とおっしゃられるのですか」

 初対面のミーティアに対してあからさまに侮蔑をはらんだ視線と言葉をぶつけられたミーティアは唖然とした。

(え? いきなりなんなの? コレが修道士?)

 驚きに目口はだかった顔をすぐに直したミーティアは礼儀に反しないように少し手前で立ち止まって会釈した。

「私は旅の者です。ちょうどこちらの建物が目に入りましたので一晩だけ宿をお借りできないかと立ち寄らせていただきました」

「ここは見てのとおり正教会です。宿屋ではありません」

 にべもなく断られてしまった。

 むしろ『教会』だからこそ困ったものを手助けしてもらえるものだと思っていたミーティアは面食らった。

 さまよう視線が奥に建つきらびやかな建物を捉えた。

「どこかの空き部屋で構わないのですが……」

 あれだけ大きな建物がいくつもあるなら空き部屋くらいたくさんあるだろうと思ったミーティアだったが。

「空き部屋など一つもありません。ここは主教先生をはじめとした正教徒によってすべての部屋が無駄なく使われております」

「でしたらそこの門でも構いませんので、端のほうで休ませてもらえませんか」

 この言葉に修道士が目をむいた。

「なんということを! ここはロシア正教会のプロエーズナヤ門ですよ。世界文化遺産に登録されたのはロシア最古の石造建築であるボズネセーニエ教会だけですが、このプロエーズナヤ門も木造建築としての歴史があり世界遺産としての価値もじゅうぶんにあるのです。そんな貴重な文化財をどこのものともしれぬ旅人に触れさせるなどできようはずがない。あなたもそちらの方々とご一緒に早々にここから立ち去ってください」

 なんだそれはとミーティアは思った。

 色白の青年も同じように感じたのか、ミーティアが登場してからそれまで閉ざしていた口を開いてなにかを言おうとした。

 それより先に修道士が続ける。

「そもそもここには選ばれた十四万四千人がすでに集まっております。余人の入る隙間などどこにもないのです」

 この一言でミーティアは理解した。

 彼らは『復元された予言書』の内容を知っているのだと。

 十四万四千人しか生き残れないことをわかっているがゆえに、あらかじめ自分たちで選別してこの場所へと集めたのだということを。

 選ばれなかった正教徒たちをここから追い出して作られた彼ら独自の千年王国。それがロシア正教会の今の姿だった。

 たまたま地理的に環太平洋造山帯およびアルプス・ヒマラヤ造山帯から外れ、津波からも逃れることができた。けれども彼らにとってはそれすらも神のおぼしめしとでもいって、むしろそれこそが選ばれた証であるというのだろう。

 これはダメだとミーティアは小さく首を横に振った。

 怪訝そうな顔をする修道士を憐れむような瞳で一瞥したミーティアは無言でその場をあとにした。


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