12.封印
マルキリスが指で指し示した場所は確かにミーティアにも覚えがあった。なぜなら。
「そこなら私も何度かはめなおそうとしたんだけど、いくら試してもすぐに落ちてしまうんだけど」
だからせめて失くさないようにとチョーカーにして身につけていたのだ。
「位置……というか向きがあっていなかったってことだろう。力の強い魔術だからこそわずかなずれも許されないからなぁ」
「それは気が遠くなりそうですね。せめてある程度の向きがわかる人はいないんですか? ルキさんはこの棒のどちらが上かわかります?」
「俺も無理だな。シジルの大まかなデザインしかわからないんだよ。だから欠けているのはここってことだけしかわからない」
悪いなといってマルキリスはすまなさそうに頬を掻いた。
そうした会話をしながらもミーティアは少しずつ位置をずらしながらはめてみるという行為を繰り返していたが、いっこうにピッタリとはおさまらない。
肩を落として緩慢に続けるミーティアを黙って見つめていたヴォルケイノーは、仕方ないなといった感じのため息を一つこぼすとマルキリスを呼んで食堂の外へと出た。
いったいどうしたのかとミーティアが首をかしげながら見送っていると、残ったリベルトが「ヴォルケイノーがなんらかの方法を思いついたのだろう」と説明した。
「なんらかの方法って?」
「すぐにわかることだからおとなしく待っていなさい」
一見ぶっきらぼうのようで、それでいて思いやりも感じられる声音で諭されたミーティアは、どうしても焦ってしまう己を見透かされているようでわずかに赤面した。
小さく縮こまっていると、微苦笑する気配とともにリベルトが立ち上がる。少しだけ席を離れたリベルトはどうやらお茶を入れなおしていたようで、ミーティアの目の前に湯気が立ち上るカップが置かれた。
「疲れたんだろう。少し休むといい」
優しいまなざしとともにいたわりの言葉をかけられたミーティアは、ふっと肩の力が抜けた気がして微笑み返した。
「ありがとうございます。いただきます」
そしてミーティアが数口お茶を飲んだところでヴォルケイノーとマルキリスが帰ってきた。
戻ってきた二人は席に座らずにミーティアのそばに立つ。マルキリスがミーティアの右横で、ヴォルケイノーが背後だ。振り返ろうとするとマルキリスにそのままでと止められた。
「さあミーティアちゃん続けようか。今度はヴォルが介添えを務めるから、ミーティアちゃんは力を抜いてじっとしていたらいいからね」
わずかに不安を覚えながらもうなずけば、マルキリスはにっこりと笑って心配いらないと言った。
「じゃあ目を閉じて。肩の力を抜いてリラックスして……」
マルキリスの言葉に従いながらミーティアはなんとかリラックスしようと数回深呼吸した。
ようやく肩から力が抜けてきたかなと感じたところでいきなり手で目隠しをされたミーティアは驚いて肩を跳ね上げた。
「あーほらミーティアちゃん力を抜いて。大丈夫だから。はいもう一度深呼吸してー」
そうしてまたミーティアが落ち着いた頃に背後から右手が伸びてきて両目を塞がれた。
(あ……っ、これヴォルの手だわ)
普段の言動に反してその手は温かく、思いやりをもって優しく触れてきた。
ヴォルケイノーはミーティアの背後から覆いかぶさるようにして左手も重ねてきた。視界を塞がれていたミーティアは触れた一瞬だけ反射的に逃げるような動きをしてしまったがすぐに深く息を吐き出して再びこもってしまった力を開放した。
(これはヴォルの手、ヴォルの手)
自身に言い聞かせるようにそうやって何度も心の中で繰り返していたミーティアだったが、重ねられたヴォルケイノーの手に操られるようにして自分の左手が勝手に動き出した時はパニックを起こして思わず彼を全身で拒絶してしまった。
「いや……ッ!」
「……ッ」
うめくような小さな声が背後から聞こえたミーティアは反射的に振り返っていた。
そこには全身に切り傷を負ったヴォルケイノーがそれほど多くはないとはいえ血を流していた。
「ヴォル!? 大丈夫?」
慌てて立ち上がろうとしたミーティアをとどめたのはヴォルケイノー自身だった。
「いいから構うな」
無傷だった右手を持ち上げてミーティアを制止させたヴォルケイノーは鋭い声でマルキリスを呼ぶ。
「ルキ!」
それだけでマルキリスには通じたようではっと我に返ったように見開いたままだった目を故意に瞬くと、ミーティアの肩を軽く押さえるようにして腰掛けさせた。
「でも……」
「ヴォルなら大丈夫だから。とにかくこれを先に済ませないとどちらにしろヴォルは治療を受けられないんだからおとなしくあいつに体を預けてくれないか?」
窺うようにしながらもその実ミーティアにとっては脅しにも近い言葉だった。ヴォルケイノーを傷つけたのはほかならぬミーティア自身だからだ。無意識の行動とはいえそれは紛れもない事実だった。
ミーティアはちらりとヴォルケイノーを一瞥すると、前に向き直ってきちんと椅子に腰かけなおした。そしてテーブルに投げ出すように置いた左手で封印となっている欠片を軽く持つと静かに目を閉じる。
ゆっくりゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「ヴォル。ごめんなさい」
ある程度気持ちが落ち着いたところで一言だけ囁くようにこぼしたミーティアは、あとはただなにも考えずに心を落ち着かせることにだけ集中した。
そんなミーティアを見ていたヴォルケイノーがふっと呼気をもらすようにして穏やかな微笑を浮かべていたことにも気づかぬくらいに。
改めてミーティアにそっと触れてきたヴォルケイノーの右手は変わらず優しくて、ミーティアは思わず泣きそうになった。
左手が触れてきたときはわずかに緊張したが、それでもミーティアは努めて肩から力を抜いた。
ゆっくりと添えられたヴォルケイノーの左手に操られるようにして持ち主の意思に反して左の手指が動き始めても、今度は逆らわなかった。
ゆるゆると操られながら動く手指が欠片を回して正確なシジルとなる向きを探す。ようやく探り当てたのか。ぴたりと止まった指はそのまま剣の柄まで移動すると、カチリと聞こえない音を立てたと思えるほどに空いた場所にはまった。ゆっくりと手を放してももう落ちることはない。
それを確認するように一瞬の間をおいてからヴォルケイノーの左手が離れていった。温もりが離れていった左手はやけに冷たく感じられた。それが血で濡れているから余計に冷たく感じるのだと気づいた瞬間、ミーティアの目から涙がこぼれ落ちた。
それは慰めのつもりだったのか。
ミーティアの頭頂部にそっと柔らかな温もりが触れる。
そしてそちらにミーティアの意識が移ると、今度はミーティアの目を覆っていたヴォルケイノーの右手がそっと外され、優しく指先で涙をぬぐいながら離れていった。
(え? え? え?)
今のはいったいなんだったのかと混乱しながらミーティアが振り返った時にはすでにヴォルケイノーは背を向けて退室しようとしていた。それをリベルトが追う。
ミーティアも慌てて追いかけようとした。
「ヴォルっ」
けれどまたしてもマルキリスに肩を掴まれて止められてしまった。
「ルキさん放して」
「ヴォルなら大丈夫だって。ベルは治癒魔法が使えるからついて行っただけだし、あいつは着替えるために部屋に戻っただけだから心配するな」
「……治癒魔法?」
その一言に反応してミーティアは抜け出そうとしていた動きを止めた。
「うん、そう。治癒魔法」
そう答えたマルキリスはもう手を放しても大丈夫と判断したのか、ミーティアを開放して自分の席に着いた。