11.女神の言葉
言葉もないといった調子のヴォルケイノーに代わってミーティアに向き合ったのは、それまで黙って二人を観察していたマルキリスだった。
ヴォルケイノーが背を預けている樹に手をついてもたれかかりながらミーティアを見下ろすマルキリスは、いつのまにか傾いた陽を背負っているせいで表情があいまいになっている。ただ静かな視線だけが明確に感じられた。
「ミーティアちゃんが村の人にどんな風に教わったか聞かせてもらってもいいかな?」
「ええ」
マルキリスの言葉はすんなりとミーティアへと入っていく。ヴォルケイノーと違って言葉が優しいからだ。
素直に快諾してミーティアが口を開こうとすると、ヴォルケイノーがそれを止めた。
「あとわずかで陽も落ちる。続きは部屋で話そう」
こればかりはミーティアもすぐに納得してゆっくり話ができる食堂へと移動することとなった。
とはいえすぐに全員が食堂へと向かったわけではない。特に急ぐわけでもなし。集まるのはいつものように入浴と食事を終わらせてからでも遅くはない。そうした用事を先に済ませたほうが落ち着くことは事実だし、後片づけをするリベルトの手を煩わせることもない。余計な気遣いをしなくても済むうえに、やるべきことをすべて終えてあとは寝るだけの状態から始めたほうが話に集中できるというものだろう。
そうしたことはこれまでも何度もあったためどこからも異論がでるどころかむしろ何も言わなくてもあたりまえのように淡々と進められていき、食堂に全員が揃ったところで改めてマルキリスが最初に話し始めた。
「まずは基本的なことから確認させてもらおうか。これまでに聞いた話では、ミーティアちゃんを身ごもった時に女性が現れて勇者の剣を授けた。同時に十六歳になったらその剣を持たせて勇者として旅立たせるようにとも告げる。勇者は魔王を倒す宿命を帯びているため死ぬことはないし病気や怪我もしない――ということだったがここまでは間違いはないかな?」
うなずくミーティアにさらに続ける。
「勇者が死なないということもその女性が言ったのか?」
ミーティアは目を閉じて小さく唸り声をあげながら記憶をさらった。しかしどうしても思い出せなかった。
「誰が言い始めたのかわからないわ。でも女の人に言われたことっていうのは剣の名前と十六歳になったら勇者としてっていうことと私のセカンドネーム。この三つだけだったはずだから、いつのまにかそういう認識になってたのかもしれない」
「セカンドネーム? それは教えてもらっても構わないか?」
「ええ、アスタルトというの。ミーティア・アスタルト」
ミーティアがそう答えた瞬間、その場の雰囲気が微妙なものへと変化した。
「……え? なに? どうしたの?」
きょろきょろとみんなの顔を見まわしながら尋ねたミーティアの問いに答えたのはやはりマルキリスだった。いつもならなにかしら口を挟んでいそうなヴォルケイノーはやや険しい表情をしているものの腕を組むだけで無言を貫いた。
いったいどうしたのかと気になりながらもミーティアはマルキリスへと向き直った。
「ミーティアちゃんが持っている勇者の剣。そのもともとの持ち主の名前がアスタルトなんだ。たぶんその女性がアスタルト本人なんだと思う」
「あの剣が? だってあれちゃんと切れないんですよ……?」
アスタルトといえば『豊穣と繁殖の女神』とも『戦女神』とも呼ばれるような女性だ。しかも『女神』。ただでさえそんな名前を授けられて恐縮しているというのに、与えた相手も与えられた名前も武器もその女神のものだと聞けば余計萎縮しかつ疑問に思うのも無理からぬこと。
けれどその疑問は拍子抜けすぎるほどあっさりと答えを得た。
「ああ、それは封印されているからだ」
「封印……ですか?」
首をかしげたミーティアを見て、マルキリスは大きくうなずいた。
「その様子からするとなにも聞いていないようだな。ところで、ミーティアちゃんがつけているそれは?」
マルキリスが指差す先にはミーティアが身につけているチョーカーがあった。ミーティアはそれを指先に引っ掛けるようにして軽く持ち上げた。
「これ?」
「そう」
「これは私が子供のころに剣で遊んでいた時――に、取れ、ちゃって……」
お転婆というべきか、乱暴者というべきか。どちらにしろミーティアにとっては恥ずかしい過去で自然声が小さくなっていく。そしてそれに合わせるようにほかの者も言葉を失っていったようだ。
そんな中で絞り出すような声で確認してきたのはマルキリスだった。
「…………マジで?」
ミーティアは下を向いたままこくりと小さくうなずいた。
「封印をかけたのはミア自身か」
ここへきてようやく口を開いたヴォルケイノーは疲れたように眉間をもみほぐしていた。
その仕草に思わずカチンときたミーティアは口を尖らせた。
「だから封印ってなによ。ただ柄の飾りが取れちゃっただけじゃない」
「それは飾りではない。シジル魔術だ」
「シジル魔術って?」
ヴォルケイノーは急に口を閉ざすとマルキリスへ視線を向けた。
「ルキ、頼む」
「わかった」
「どうしてそうなるの? そのままヴォルが教えてくれればいいじゃない。あ、もしかしてヴォルも詳しく知らないんじゃないの?」
にやりと笑ってミーティアがそういえば、ヴォルケイノーはあきれ果てた眼差しを彼女へ向けた。
「莫迦か。俺が話すといろいろ制約に触れてしまってまずいからだ。詳しくはなんの縛りもないルキに聞け。この中でそれができるのはルキだけだからベルにも聞くなよ」
制約とはいったいなんなのか。納得がいかないまでもマルキリスやリベルトの顔を順に見やったミーティアはとりあえず話を聞こうと結論づけた。振り返ってみれば今夜の話し合いではマルキリスが主導権をとっており、ヴォルケイノーはほとんど口を閉じていた。
最初からそれぞれに役割が振り分けられているようだったのでまずはそれに合わせようと考えた。話を聞けばなるほど納得となるかもしれないからだ。最後まできちんと聞いたうえでなにかあれば、その時に改めてヴォルケイノーに抗議なりなんなりをおこなえばいいのだから。
ミーティアは改めてマルキリスと向き合った。
「えっと、それじゃルキさん、シジル魔術について教えてもらってもいいですか」
マルキリスは快く応じた。
シジル魔術とは、まず願望を文章にしてその中で重複している文字を消していく。そして残った文字だけを使って一つの形に図案化する。そうしてできたものをシジルと呼ぶ。シジルを使った魔術だからシジル魔術と呼ばれている。
上位の魔術師であればそれを記憶しておき、いざ魔術を使うときには使いたい術のシジルを頭の中で思い描くだけで発現させることができた。
もっともこのシジル魔術はちょっとした願望しか叶える力がないため、タリズマンのような護符代わりにしかならなかったが。
「それじゃこれは護符みたいなもの? このシジルはどういう意味なの?」
「いや。これは女神自身が自分の魔力を編んで作ったシジルと言われているから魔術の効果は突き抜けている。封印さえ解けばこのレイピアは刺突だけでなく斬り合うこともじゅうぶん可能な剣になる。意味は――」
そこでいったん口を閉じたマルキリスは口が渇いたのか、わずかに水を飲んでから続けた。
「シジルの意味は『我が敵すべて滅せよ』だ」
ミーティアは何度か瞬きをしながらその言葉を脳内で繰り返しつぶやいた。
「……すさまじい内容ね」
「だろー?」
自分が敵だと認識した対象はすべて滅びてしまえという意味の魔術が女神自身の魔力で刻まれている剣。確かに封印が解ければすさまじいものになるかもしれない。
「でもどうすれば封印は解けるの? 私が封印したと言われても自覚はなかったからどうやったのかすらわからないんだけど」
「その欠けた部分をここにはめ込めば大丈夫だ」




