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1.吹き鳴らされた角笛

 世界に角笛のが響き渡った。

 決して大きな音ではなかったにもかかわらず、そのは世界中に存在する、音を知覚できるすべてのものの元に届いた。

「ようやく時が訪れたか」

 豪華な装飾が施された漆黒のアームチェアにゆったりと腰掛けている男はそう呟くと、おもむろに顔にかかっていた銀髪をかきあげた。

 露わになった淡青色の瞳がゆっくりと前を向く。

 そこには視線の主である若くしなやかな肢体の男とは反して、壮年期らしい力強さを感じさせる肉体を持つ大柄な男が立っていた。

「あとは任せた」

 青年の口から出ためいはただその一言のみ。直後には姿すら一瞬で消え去り、残されたのは受諾の意志を表すように恭しく頭を下げた大男と空になったアームチェアだけ。

 やがて体を起こした男は空いた席に向かってやおら歩を進める。そしていなくなった青年の代わりにそこへ腰を下ろした。

 何を思っているのか。男は感慨深い面持ちで肘掛を数回撫でると、姿勢を正すように改めて深く腰掛けなおした。

 刹那の後。男は残虐さが窺える笑みを浮かべると、粛清の狼煙を上げた。


 世界のいたるところに存在している火山。

 ある日、それらがいっせいに噴火した。

 とりわけ神の化身と囁かれるほどに標高の高い火山ほどその勢いは激しい。

 山肌は溶岩に覆われ、火山の周りには火の玉のような火山砕屑物かざんさいせつぶつが降り注ぐ。

 人も動物も。そしてその他の小さな生き物たちも。皆が皆、逃げ惑う。

 地上の三分の一に相当する地域が焼き尽くされていくなか、北アメリカ大陸の北東寄りに位置していたためにかろうじて厄災を免れた小さな小さな村で呱呱ここの声が上がった。


 それから十六年後。

 五回目となる角笛のが、世界に響き渡った。


 世界が終末に向けてゆっくりと時を刻むなか、一人の少女が森の中で木の実を探していた。

 一回目と二回目に角笛が吹かれたときはほとんど被害を受けることのなかった、少女が暮らす村とその周囲の森。

 けれど三回目では一部の川の水が毒に侵され始め、そのことによって川沿いの森から徐々に被害が広がっていった。

 四回目では陽の当たる時間が短くなり、さらに事態が深刻になってきていた。村人が生きていくうえで欠かすことのできない食料が手に入りにくくなってきたからだ。日照不足で植物が育ちにくくなっていることが主な原因なのだろう、とは村の大人たちの言だ。

 黙示録によれば神の御遣いが角笛を吹いているのだという。

 四年おきに世界に向けて吹き鳴らされる角笛。

 これまでどおりであればちょうど今年がその年にあたる。しかも今日あたりに。

 そしてこの五回目の角笛が吹かれると魔王アバドンが奈落の底から地上へとのぼってくるという。

 少女――ミーティアは木の根元でしゃがんでいた状態から立ち上がると両腕を持ち上げて背筋を反らすようにしながら体全体で伸びをした。

 黄水晶またはシトリンと呼ばれる宝石のような金色というよりはレモンのような淡黄色という表現のほうが似合う色の髪と瞳を持つミーティア。

 彼女の腰まで届く髪はうなじの後ろで無造作にひとまとめにしている。身につけているのは薄汚れた膝丈ほどのチュニックとくるぶし丈のパンツのみ。これは生地やデザインに老若男女の区別が無くすべての村人が着用している衣服だ。唯一個性を出すことのできるものといえば草木で染められる衣服の色と柄だけ。草木染で出せる色などわずかしかないがこの時代ではこれが精一杯のおしゃれだった。今日の彼女は元々はセイタカアワダチソウであざやかな黄色に染めたチュニックと、アオビユで薄緑色に染めたパンツをはいていた。

 そんなミーティアは今日で十六歳になる。

 角笛のが最初に世界に響き渡った日にミーティアは産まれたのだ。だからきっと今日中には五回目の角笛が吹かれるのだろうとミーティアは思っている。そしてそれは村人すべての考えでもあった。

 ミーティアはため息を一つこぼすと、空を見上げた。日はすでに傾き始めている。それなのに今日は未だに収穫がない。本来であれば実り豊かな季節であるにもかかわらず、どれほど枝葉を掻き分け掻き分け漁れども、もしや見落としたものが落ちていはしないかと落ち葉の中を探ろうとも一つとして木の実が見つかることはなかった。

 諦めたように再びため息をついたミーティアは小さく口を動かした。

『魔王……アバドン……』

 声は出さずただ唇でのみ呟く。

 まだ角笛の音は聞こえてこない。けれど名の持つ言霊は強い。どんな形で魔王自身に伝わるかわからないゆえミーティアは一応自重したのだ。

 もっとも本来であればそれすら危険な行為である。けれど完全に意識から消し去ることができるほどその名は弱くも無く、逆にミーティアの心はその名を忘れられるほど強くは無かった。

「本当に現れるのかしら……?」

 不安から思わず声に出してしまい、自身をとがめるように慌てて首を左右に振る。

 大きく深呼吸をして気持ちを切替えたミーティアは周りを見渡して改めて食べられそうなものを探す。木の実が無いのであれば代わりの何かを見つけなければならない。昨日から何も口にしていない彼女はとにかく食べられるものを探そうと一歩森の奥に向かって足を踏み出した。

 直後、ミーティアはびくりと肩を跳ね上げて一切の動きを停止した。

 五回目の角笛のが世界に響き渡り、ミーティアの耳にも否応無く飛び込んできた故の反射的行動だった。

 予想していたとはいえやはりこの音は心臓によくない。

 ミーティアは微かに震える手を握り締めると、空腹を忘却のかなたへ追いやり、即座に踵を返して村へと駆け戻っていった。


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